第27話 神頼み

 自転車を降りてから止まることなく階段を駆け上がったせいか、「はぁ、はぁっ」と息が上がる。

 別に急ぐ必要はないが、つい駆け足になって登ると思いのほか息が上がった。サッカーをしていた頃の俺ならもう少しマシだっただろう。流石にあの頃よりは体力が落ちたらしい体にムチを打って、俺は目的地に辿り着いた。


 重くなった足を動かして境内に入る。中を歩いてポケットに入れていた財布から小銭を取り出すと、賽銭箱に投げ入れた。


 二礼二拍手一礼。目を閉じて心から願う。


『雨宮さんに、紗蘭に謝って仲直り出来ますように』


 暫くして目を開ける。用事も済んだことだし、さっさと帰ろうと踵を返す。


 境内にふわりと風が吹く。

 ここは山にある神社だから、周りには木々が多い。ザワザワとその木々たちが揺れて、俺の髪も揺れる。


 気持ちいい風だな。


 最初はそう思っていたが、次第に風が強くなっていく。やがて歩みを進めるのが困難になり、土埃が舞うせいで目を開けているのも難しくなった。


 何だ!? 突風か? それとも竜巻!?


 俺は思わずその場にしゃがみ込んだ。すると、今しがたまで吹き荒れていた風がフッと止まった。


「……? …………何だったんだ?」


 立ち上がって辺りを見回す。あれだけ風が吹いていたのに今は無風だ。先ほどまで強風に晒されていたせいか、少し外気温が暖かく感じる。


 不思議に思いながら階段を降りようと歩き始めた。その時、息を切らす声が聞こえて来て、下から誰かが走ってくるのが分かった。特に気にも留めていなかったが、階段のすぐ側に来た俺は上がってきた人物に「え?」と声にならない声を上げる。


 俺の瞳に映ったその人物が俺自身だったからだ。


 いやいやいや!!

 あり得ない! 何かの見間違いか!? 


 ぐるぐる思考を巡らせていると、その人物がよく知った声で「紗蘭っ」と呟いた。


 幸いにも向こうは階段を駆け上がるのに必死で、視線が下を向いている。そのため、俺の存在には気付いていない。訳が分からないまま俺は境内の中に戻ると、御神木と思われる大きな木の陰に隠れた。その時、ちょうどもう一人の俺が階段を登り切った。「はぁっ、はぁっ」と息を切らして、そのまま膝を付く。


「俺のせいだ……!! 俺のせいでっ! 紗蘭が、死んだ…………っ!!」


 ……は? 紗蘭が、死んだ……?


 ドクン、ドクンと心臓が大きな音を立てる。俺は慌ててスマホを取り出す。今日は2月3日のはずだが、ディスプレイには3月17日と表示されていた。


 何だコレ!? 未来の日付だと!?


 混乱する中、落ち着け! と自身に言い聞かせて、俺の中にあるパズルの様にバラバラになっていた情報という名のピースを一つずつ整理していく。


 雨宮さんが未来で体験したきたこと、を話してくれた時、彼女は“一度死んだ”と言っていた。今、俺の目の前にいるもう一人の俺も『紗蘭が死んだ』と呟いた。つまり俺は今、未来にいるのか? それも、雨宮さんが死んでしまった世界線の未来に来たのか!?


「嘘だろ……」


 こんな事あり得るのか? いや、でも雨宮さんだって未来を体験してきたって言ってたし、彼女の場合、時間が巻き戻っていることになる。


 あー! もう!! 意味分かんねぇ!!


 俺はガシガシと頭を掻く。すると、もう一人の俺が立ち上がって、のそのそと歩き出した。少し前に俺がそうした様にポケットに入れていた財布から小銭を取り出すと、賽銭箱に投げ入れて、二礼二拍手一礼を行う。


 瞬間、ぶわりと俺の中に様々な感情が込み上げてくる。更に、頭には様々な情報が流れ込んで来た。


 これは……もう一人の俺の記憶のようだ。


 紗蘭を信じてやれなかったこと。彼女と別れた時、最後に酷い言葉を投げかけてしまったこと。そして次の日の放課後、……この世界ではつい24時間前のことのようだが、紗蘭がトラックに跳ねられたこと。それから、搬送先の病院で紗蘭の死亡が確認されたこと。


 即死だった。

 その事を今日、学校に来てから俺は知ったらしい。


 この世界の俺は、今日初めて紗蘭が悪戯されていたことを知った。今朝、教室に着いて直ぐにたまたま隣の席の彼女の引き出しから、紙切れが落ちていることに気付いてそれを拾ったからだ。


 酷い文言が書かれたその文字には見覚えがあった。それは中学の頃、授業でやった漢字の小テストを隣の席の子と交換して、採点した時に何度か見た文字だったからだ。

 それに気付いた俺は、紙切れをポケットに入れて、放課後になると急いで自宅に戻った。そして、押し入れに仕舞っていた卒業文集を取り出すと、ポケットから紙切れを取り出して、その文字を探し出す。


「あった……」と呟いて、その文集を書いた人物を確認する。

 俺は目を疑った。そして今日、声を掛けてきた彼女の顔を思い出す。


『私、紗蘭ちゃんとは仲良くさせてもらってたの。……悪戯や嫌がらせのこと、奏汰くんには言わないでって、紗蘭ちゃんから口止めされていて……』


 ポロポロ涙を零すその子は、俺を見てこう言った。


『紗蘭ちゃん、奏汰くんのことまだ好きだったんだよ。奏汰くんもまだ好きなんでしょ? 辛いよね?? ……私も辛い。紗蘭ちゃんが大好きだったから。同じだね。……私たち大切な人を失っちゃった。……奏汰くんさえ良かったら、紗蘭ちゃんの話し聞いてくれないかな? 奏汰くんがする紗蘭ちゃんの話しも聞きたいから』


 同じ、だと……?


 違ぇだろ!? お前は、ずっと友だちのフリして、心配する素振りを見せておきながら紗蘭のこと虐めてたんだ!!


 “篠田ミホ”


 自称、雨宮さんのお友だち。


 文集を片手に『お前、俺と同じ中学だったのかよ……』と、この世界の俺が力無く呟いた。

 この世界の俺も、彼女のことを同じ中学出身だったと全く気付いていなかった。

 彼女こそが紗蘭を苦しめていた張本人だった。それを知った時、俺は昼休みに綾奈が言っていた言葉を思い出す。


『いや、でも待って? もしも篠田さんが奏汰のこと好きなんだとしたら、悪戯していたのは篠田さんなんじゃない?』



 まさにその通りだった。



『例え俺が紗蘭に嫌われたとしても構わない。だからっ!! 紗蘭が生きている世界に……あの日、事故で紗蘭が死なない世界を下さい!!!!』



 もう一人の俺はそう強く願った。途端、再び強い風が辺りを包む。それからぐにゃりと視界が歪んた。立ったいられなくなった俺はその場にしゃがみこんだ。

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