第3話 シートノック

「お前・・・・・・」


 部員たちは、その冗談とも本気とも取れる功治の答えに、どう反応してよいのやら分からず一瞬押し黙っていた。


「ウチュウ? ピカチュウの間違えじゃね?」


 内田が立ち上がり、剃ったばかりの頭をくるんくるんと振り回りながらおどけて見せた。

行き場を探していた部員たちの思いが一気に流れ出たように笑いが部室に渦巻く。

 それを部室の隅で訊いていた毅は、功治の彼らしいその言葉に舌を巻いた。


「功治、いくらなんでもそれはねえだろ!?」

「大変だぞ、宇宙飛行士は」


 一斉に彼の無謀さを嗜め、また笑う声があがり、毅もその声に釣られて


「そうだぜ功治、いくらなんでも」


しかし言いかけたその言葉は行き場を失った。毅には、身長二m近い大男がロケットに乗り込んでいく映像が妙にはっきりと脳裏に映ったのだった。


「さあ、練習! 練習!」


他の部員からの声も一向に気にかけることもなく、手早く白い練習着に着替えた功治はグラブとスパイクを持つと立ち上がった。彼に用具を蹴飛ばされたくはないと、部員たちは散らかった用具を急いで彼の進路からどけた。騒然となった部室から功治は大股で扉へ向かう。隙間から陽の差す扉へ大股で歩く眼鏡の八頭身男は、宇宙服を着た宇宙飛行士に毅には見えた。


 鈍い衝突音とともに、部室が揺れた。

「でっ」


 勢い余った宇宙飛行士は、頭を下げるのを忘れ、出入口上部に歩くそのままの勢いで額をぶつけた。うずくまる大男を前に、部室は再び笑いの渦に飲まれた。



ノックが始まった。初夏の訪れを匂わせる風が、程よく水気を含んだ茶色のグラウンドの上を心地よく駆けていく。ボールが弾むたびに土がしぶきのように飛び散る。ボールとバット、硬いもの同士がぶつかる乾いた音が、等間隔で響く。バットに弾かれたボールは命を吹き込まれた生き物のように、まるで飛魚が海面を飛ぶように跳ねていく。打つ者とそれを受けるものとの張り詰めた空気と、その受ける選手に向けられる叱咤や励ましの声が、その空間を別世界に変えてゆく。高岡高の広いグラウンドで、ダイアモンドと呼ばれるその場所だけが熱を帯びている。打つ者も力を込め、受ける者も全力で受ける。外野から見ている功治は、その時だけは内野手を嫉む気持ちになった。


ーー毅の動きが良い。


功治はランニングや筋力トレーニング中心の冬場の練習が明けてからの3ヶ月で、毅の守備範囲がレギュラークラスにせまる勢いで広がっていることに気づいている。


もしかしてベンチ入りくらいあるかもな。毅は今までずっとベンチにすら入ることが出来ない補欠組みの選手だった。功治は最後になる夏の大会で毅とベンチに入っていることを頭の隅で想像してみる。すると背番号の無い小さな背中が思い出された。泥だらけの練習着と真っ白な試合着。そのコントラストが功治の中でひとりでに毅らしさになっている。


――闘っているんだ、みんな。

自分を奮い立たせるように、功治は自分に言い聞かせた。



 全身の汗腺が蛇口を開いたように、汗を体外に放出し、動くたびに顎や鼻先、時には睫毛から汗が滴る。毅の体は徐々に疲労に侵されていた。少しずつ頭の中で考えられることが減っていくようだ。視界も睫毛の上から滴る汗でしばしば曇る。そんな時も毅は自分を俯瞰している。自分は数多い内野手の中で、相変わらず冴えない選手であると。


 まだまだだ、自分はまだこれからだーー

毅は口の中に入った土を脇に吐き捨てた。そしてボールを打ち込んでくるノッカーに叫んだ。


「もういっちょ! さあ来いっノッカー!」


一・二塁間に打たれたボールに毅は最高のスタートを切った。腕を伸ばしても届かないと判断すると、左足で踏み切って飛び込んだ。毅のグラブの先を掠めて、ボールはライトへ抜けていく。ライトの位置で陸上部やサッカー部の練習を避けながらキャッチボールをしている功治の前にそのボールは転がって行った。

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