2-2 キャピキャピ

 サヤカと話したことがないわけではない。むしろこのサークルの中では、サヤカと関わった回数で言えば多い方だと思う。我々ラジオドラマサークルは放課後に各人が自由に集まり、自由に作品を作り、作品を聴き、作品を批評し合い、あるいは自由に漫画を読んで過ごし、突発ゲーム大会を開催するような、要するにかなりゆるいサークルだ。脚本・収録・編集は自分たちだけで行い、もちろん、声優もサークルのメンバーの中で工面する。将来本気で声優や脚本家を目指しているようなヤツはいない。適度なユルさと雰囲気の良さだけで成り立っているサークルである。

 

 サヤカは、俺が書いた脚本の声優として、同じサークルの後輩女子が連れてきたのだった。俺が書いた脚本にはキャピキャピ系の女子が必要だったが、我がサークルにはキャピキャピ・マインドを持ち合わせた女子は残念ながら所属していなかった。まあ声優なので本当にキャピキャピである必要はないのだが、何人か目ぼしいメンバーにお願いしてテストしてみても、やはりイメージと違っていた。声優は特に作品の完成度を大きく左右するので、こういう時はサークル内のメンバーのツテでなんとかするのが通例になっている。

 我ながら失礼な感想だと思うが、後輩女子に連れられて来たサヤカを一目見て、これはキャピキャピだ、と思った。いや、キャピキャピというか、快活そうな見た目ではあるが、清楚でもあり上品でもありほんのちょっとギャルっぽくもあり……。明らかにサークルの同僚とは雰囲気が違っていた(これも失礼)。長い髪は艶やかなブラウンで染められており、肩あたりからはふんわり巻いてある。爪はピンクのグラデーションに塗られていて、上品な感じだ。白いブラウスに薄緑色の長めのカーディガンを羽織り、グレーのミニスカートからほっそりとした脚が露わになっている。こんな子は少なくとも我がサークルにも、俺が通っている工学部にもいない。

 「この子、同じ文芸学部の同級生のサヤカです。こちら脚本を書いたリョウさん。」

 後輩女子が間を取り仕切ってくれている。俺は慌てて頭を下げた。

 「あ、すみません、リョウって言います。わざわざごめんね、今日はありがとう。」

 「サヤカです!演技とかしたことないですけど……楽しそうなので来ちゃいました!あんまり期待しないでくださいね?」

 サヤカ、と紹介された女の子がニコッと笑いながら挨拶をしてくれた。キャピキャピかもしれないが、ギャルではない。少しの上品さがその所作から滲んでいた。

 それから脚本について、そして今回サヤカに演じてもらう役について説明し、少し練習をしてから収録ブースに入ってもらった。初めてだという演技の質は思いのほか悪くなく、収録は順調に進んだ。


 とまあ、それだけである。自分の書いた脚本に一度声を当ててもらっただけ。その後サヤカは後輩友人の勧めもあり、サークルに正式に所属することになったが、普段の活動には顔を出さなかった。顔を出すのは同じように女の子の役が必要になった時くらいで、それもチョイ役だったためすぐ録り終わったそうだ(サヤカを連れて来た後輩女子が書いた脚本だ)。

 飲み会の参加者がまとめられたLINEグループにサヤカの名前があった時は軽く驚いたが、後輩女子が呼んだのだろうと時に気にも留めなかったのだが……、もしかしたら男を品定めに来たのかもしれないな。ただ残念なことに、我がサークルには世間一般でいうところのイケメンはいないように思う(これまた非常に残念なことに俺も含めて)。サヤカは飲み会に来たことを後悔しているかもしれない。


 飲み放題の規定時間である二時間が過ぎ、一次会はお開きといった段取りになった。居酒屋を出て、とりあえず飲屋街を、なんとなくそれぞれのグループで固まりながら、全員でゆっくりと歩く。これは居酒屋のキャッチから声をかけられるのを最適化するための秘伝の技だ。あまりに大人数だと、小さいお店のキャッチは店舗のキャパシティの問題からなかなか声をかけてこない。声をかけてくるのは大型の居酒屋、そのほとんどがチェーン店になる。ただチェーン店はしっかりした会社なので、バイトのキャッチなんかに割引の権限を与えていない。そうなると(我々大学生にとっては)法外な値段で発泡酒を煽ることになってしまう。そのため、いくつかのグループになんとなく分かれ、小さなお店のキャッチも声をかけやすいようなカモフラージュするのだ。そうして声をかけて来たキャッチに価格交渉しつつ、なんとなくみんなまた集まる。価格交渉がまとまったタイミングで「ちなみに……」といった具合に人数を伝えると、お店に連絡してなんとか席を空けてくれることが多い。その時お店側では、何時間も居座っている客へ退店を促しているのだそうだ。最初にキャッチが声をかけてこないのは、自分から声をかけたのに結局席が空いてませんでした、という事態を避けるためである。ただ一度交渉の席についてしまったので、「いや〜こんな大人数とは知りませんでしたよ」という言い訳をすることができる。この言い訳の余地をこちらから作ってあげることが大事なのだ。歩合制で働いているキャッチは大人数を逃したくない、お店はもうこれ以上単価の上がらない客を退かして新規の客を入れることができる。我々はスムーズに店に入ることができる。世にも珍しいWin-Win-Win、これが近江商人の言うところの「三方よし」なのかもしれない。まあ俺理系だから全然わからないけど。


 ダラダラと歩きながら前の方を歩くサヤカのグループを見る。先輩男子はそのグループにはおらず、仲の良い同級生グループに混じって笑いながら歩いていた。あれ、戦闘体制に入っていなかったのか。いや、ジャケットは脱いだままだ。単純に暑かっただけなのか?

 サヤカの後ろ姿を見る。同じく同級生女子で固まって何やら話している。前の店で険しい表情をしていた女子が、何やらサヤカに捲し立てているようだ。後ろからだとサヤカの表情はわからない。でも多分、同級生として先ほどの一軒目でのサヤカの振る舞い、そしてそこから派生する男遊びを窘めているんだろう、という想像はつく。


 サヤカはさっきの飲み会は楽しかっただろうか。お眼鏡に合う男がいなくてガッカリだろうか。いや、もしかしたらチョロそうな男が多くてニンマリとしているのかもしれない。わからない。サークルクラッシャーの生態がわからない。どういうモチベーションで男を渡り歩いているのか。好きでもない男に抱かれるのは嫌じゃないのか。同級生に怒られている時はどんな気持ちなのか。陰であることないこと(全部あることなのかもしれないが)言われていることに気づいていないのか。気づいているとしたらなぜ平気でいられるのか。


 気づいたら先頭にいたサークル長たちのグループがキャッチに捕まっていた。迷惑そうな顔をしながら歩速を緩めている。ちなみにこれもテクニックだ。「いや別に飲む気はないんだけどな〜。まあめっちゃ安かったら考えなくもないですけど?」的な雰囲気を出すことによって、交渉を有利に運ぶことができる。さすがサークル長、表情の演技が完璧である。ラジオドラマの声優としてはからっきしだけど。

 遠くでなんとなく伺っていると、キャッチと話していたサークル長がみんなへ声をかけた。交渉がまとまりつつあるようだ。散らばっていたメンバーたち総勢20名がワラワラとキャッチのもとに集まる。ただ見渡してみると、そこにサヤカの姿はなかった。


 あれ?と思い、人混みの中にサヤカの姿を探す。後輩女子のグループの中には見当たらない。先輩男子のグループにもいない。一次会で帰ったのだろうか。お持ち帰り(お持ち帰られ?)云々っていうのは二次会でベロベロになったところからが勝負なんだろうと思っていたので、ちょっと意外だった。まあ確かに我々のサークルにはイケメンはいないので、ガッカリして帰ったのかもしれない。

 二次会で俺はサヤカと話したかった。あの日、ラジオドラマの収録で見た快活で接しやすかったサヤカと、あらゆるサークルで男を食い漁るサークルクラッシャーのサヤカ、「普通」ではない後者の生態をこの目で確かめたかった。というか、その二面性自体が「普通」じゃない気がする。だって「普通」は後者の自分は隠して生きていきたいんだ。俺だって健康な男子大学生なわけで、モテたいしセックスもしたい。飲み会じゃなくて鬼ごっこ会がしたいし、もっとラジオドラマの脚本を書きたい。けどそれを前面に押し出して生きるのは辛いことだってわかっているから、押し殺して生きている。多分だけど皆そうだ。「異常」と思われないように、「普通」の線引きを越えたと判断した自我を必死に押し留めて生きているんだ。なのに何でサヤカは「異常」な自分をそのまま出して生きていけるんだ。


 俺はここ一年以上、脚本を書いていなかった。

 大したことないきっかけだが、地元へ帰省した際、友人にサークルの活動でラジオドラマの脚本を書いているという話をしたことがあった。小学生の時からずっと仲の良い、いわゆる気の置けない仲という間柄の友人である。その友人に、ほんの少しだけ、怪訝そうな反応をされたのが少しトラウマになっていたのだった。

 「え、ラジオドラマ?の脚本?を書いてる?」え?あ、まあそう。

 「へえ……どんな話書いてんの?」えーっと、今書いてるのはまあ、ラブコメかな。

 「あ、へえ、ラブコメかあ。お前小説とかラジオとか好きだったっけ?」あ、いやまあそういうわけでもないんだけど……。

 そっか、でもまあ面白そうだな!友人が言った言葉が、俺には「お前、『普通』じゃねえな」に聞こえたのだった。

 確かに、「普通」じゃないかもしれない。よしんば小説や映画、ドラマが好きならまだしも、今まで全く創作に興味が無かった俺がラジオドラマの脚本を書くのは、変だ。「異常」だと言っていいかもしれない。

 ハハハ、という空笑いと一緒に流し込んだ発泡酒とは裏腹に、酔いが急激に醒めていくのを感じた。その日から俺は「普通」に囚われ始めた。

 脚本を書くのは楽しい。自分の思う面白いことや、辛いこと、感動すること、興奮すること、心の奥底にしまっていた(もしくは気づいていなかった)自分自身の性癖を形にすることがとても楽しい。自分ってこんなのが好きなんだとか、こんなのに感動するんだとか、あるいはこんなのに悩んでいるんだとか、こんなのが悲しいんだとか、自分の中で知らず知らずのうちに燻っていた考えが前面に出てくることが、すごく気持ち良い。ただその快楽は、友人との会話によって「恥ずかしいもの」へと変わってしまったのだった。


 我々の団体から離れた奥に、サヤカの姿を見つけた。繁華街の出口へ向かって歩いている。やっぱり帰っちゃうんだな。話したかった。先輩の話はつまらなかったか、イケメンがいないことにがっかりしたか、きっともうサヤカは我々の飲み会には来てくれないんだろう。そう考えたとき、俺は人混みへ消えゆくサヤカの背中へ向かって走り出していた。

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