2-1 サークルクラッシャー

 楽しいことだけをしていたいが、そうもいかないのがこの世の常だ。20歳という若さでこの真理に気づいてしまったのは不幸なことだろうか。同じ席に着いているサークルの友人たちは生ビールと言われて出された発泡酒をゴクゴク飲みながら、あの先輩はイジリがつまらないだとか、誰と誰がヤったらしくてショックだとか、狭い世界のゴシップトークに花を咲かせている。生ビールと発泡酒の味の違いなんて大学生にはわからないとタカを括られているのだろう。無論俺もわからない。黄色くてシュワシュワして苦かったら全部生ビールだ。ただ、学生向けの安い居酒屋(飲み放題メニューに生ビールが入っている)でバイトをしている友人が、たまたまバックヤードの店長のPCに表示されていた店の仕入れ表を見てしまい、そこにはっきりと発泡酒の名前が書いてあったのだそうだ。それ以来俺は飲み放題で1,500円を切ってくるような居酒屋の生ビールは全て発泡酒だと思うようにしている。


 サークルの友人たちと飲むのはつまらないわけではない。今同じテーブルにいるメンツは特に仲の良いメンツだし、楽しいと言っていいだろう。ただ、飲み会である必要はないと常々思っている。

 正直言って、俺はこいつらと公園で鬼ごっこがしたい。なぜ大学に入ると人との関わり合いの場が飲み会ばかりになってしまうのだろうか。鬼ごっことか、缶蹴りとか、だるまさんが転んだとか、別に何だっていいはずだ。でも一般的大学生からして、というか大の大人が公園で鬼ごっこをすることが「普通」じゃないということは俺もよくわかっているので、結局今までの大学三年間で一度も言い出せなかった。今話しているゴシップトークだって、正直言って全くと言っていいほど興味がない。ただ、世の中の大半はこの手のゴシップに興味があるそうで、だからゴシップ系週刊誌は刊行を続けられるのだろう。興味を持つのが「普通」なのであればそこから逸脱するのは怖いので、俺も興味があるフリを演じている。


 この場合「普通」の対義語は一般に何と言うのだろうか。「異常」とかになるのだろうか。「異常」という言葉の持つネガティブなイメージは凄まじいものがある。考えてみれば、人間というのは「異常」ということに強い嫌悪感を持っているのではないだろうか。それこそ「異常」なまでに。ユダヤ人迫害、アパルトヘイト、ウイグル自治区問題、それぞれが持つ「普通」に対して、「異常」な対象への嫌悪感から産まれた悲劇なのかもしれない。まあ俺理系だから全然わからないけど。

 俺は「普通」に縛られている。世間一般の最大公約数的な「楽しい」「面白い」「興味がある」あるいは「嫌い」に囚われている。ただ、囚われている状態にいることが間違いなく正解なのだ。一度「異常」のレッテルを貼られたら途端に生きづらくなる世の中、いかに「普通」から逸脱しないかが大事なのである。自分が楽しいと思うことだけを取捨選択していたら、「付き合いの悪い奴」とか勝手に裏で呼ばれ、このテーブルの話の種になっていたに違いない。「普通」から飛び出ないことこそが正義だ。


 奥の席では酔っ払った様子の後輩の女の子が先輩男子にもたれかかっていて、先輩は満更でもなさそうだが、向かいに座っている別の後輩女子は顔を顰めている。うちのサークルはいわゆるヤリサーではないので、あんな光景を見るのは珍しい。慣れない光景すぎて、見てるこっちがドキドキするくらいだ。我々のサークルが占拠しているエリア中であのテーブルだけ浮いている感じがする。

 「おい、リョウ聞いてっか?」

 気づくと同じテーブルのみんながニヤニヤしながら俺を見ていた。

 「あ、わりいわりい、何だっけ?」

 「お前サヤカちゃんのこと見てただろ。わかるぜ、可愛いよなあ〜!」

 あんま大きい声を出すんじゃねえ。まあ可愛いとは思うけれども。

 「違う違う。そうじゃなくて、まあそうなのかもしれんけど、なんかあのテーブルだけ雰囲気ちげえなと思って。」

 「ああ、確かに。まあ、そりゃそうだろうけどな。」

 「ん?どういうこと?」

 「なんだ、知らねえのか。聞いた話によると、サヤカちゃんいろんなサークル掛け持ちして、そのサークル内の男を取っ替え引っ替えヤりまくってるらしいぜ。」

 へえ、と素直な声が出る。ちょっと驚きである。サークルを掛け持ちしているのは知っていたが、そんなファンキーな性格をしているとは聞いたことがなかった。今までそんな風には見ていなかったが、なるほど、そう言われてから改めて見ると、いかにも男慣れしていて遊びまくっているようにも見えてきた。先輩男子はさっきまで来ていたジャケットをいつの間にか脱いでいる。あれはまさしく戦闘体制万端といったところだな。

 「そうなんだ。そりゃ大変なことだ。」内心を悟られないよう、適当な相槌を返す。

 「大変も何も、男を荒らすだけ荒らしてサークル内の関係をぐちゃぐちゃにしていなくなるらしいからな。あれがサークルクラッシャーってやつだ。迷惑な話だよな。可愛いけど。可愛いから迷惑なんだな。」

 ふーん、と相槌を打ちつつ、俺は友人とは少し違うことを考えていた。

 サークルクラッシャー。主に女性が、サークル内の複数の男性と身体の関係を持ち、友好関係を崩すだけ崩してそのサークルからいなくなる。その行動は第三者視点で見ると明らかに「異常」だ。なぜそんな「異常」なことを繰り返すのか、本人には自らが「異常」である自覚はあるのか、「普通」でないことが怖くないのか。

 俺だったら怖い。全く知らない人からゴシップのネタにされるのが怖い。陰で「あいつはヤリマンだ」と罵られることが怖い。なぜそんなふうに生きられるんだろう。いつの間にか、俺はサヤカの生態に興味を持っていた。

 「リョウも気をつけろよ。ただ、もし仮にお前がサヤカとそういう事態になったら、しっかりと感想を聞かせてくれ。」

 俺らの友情は不滅だぜ、と友人一同がグラスを差し出してきている。俺は苦笑いをしながら発泡酒の入ったグラスを差し出し、乾杯を交わした。

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