後編

 クロバ・リジョウにとって、それは五十六年と二百十三日もの間、待ち望んだ瞬間だった。


***


 十七歳の頃、クロバの家はごく普通の一家だった。

 家具屋を営む父と母、そして三つ違いの妹がいた。

 クロバは学校に通いながら、空いた時間に家業を手伝っていた。


 それは唐突に訪れた。

 満月の夜。

 静寂に満ちていた夜更けに、クロバは物音で目を覚ました。

 最初は両親が起きたのかと思ったが、一度音がした後はそれきりの無音に、彼は違和感を覚えた。

 ベッドから出て、リビングへと向かう。

 

 むせ返るような鉄の匂いだった。

 その異常の原因を考える前に、倒れている両親の姿と、その傍らに立つ黒い影が視界に入る。

 その黒い影は、妹を片腕で軽々と持ち上げていた。

 影はその顔を、妹の首筋へと近づける。

 爛々と光る、青い瞳が見えた。

 肌を鋭利なものが突き刺す音。

 妹の体から、命が失われていく。

 

 クロバは動くことができなかった。

 それは脳が理解を拒んだからかもしれないし、心が恐怖したからかもしれない。

 ようやく動けるようになった時には、もう目の前に影が立っていて、その青い瞳がクロバを見下ろしていた。

 逃れる間もなく捕まり、牙を突き立てられる。

 身体から、血液が失われていくのが分かった。

 そうして、クロバ・リジョウは死んだ。

 五十六年と二百十三日前のことだった。


***


 吸血鬼に血を吸われた人間は、致死量の失血によって死に至る。

 ただし、例外はある。

 ごく稀に、吸血された者もまた、吸血鬼として生まれ変わる。


***


 意識を取り戻した時、すぐにクロバは自分の体の異変に気が付いた。

 体中が冷え切っている。まるで死人のように。

 すぐ傍に、父親が作った鏡台が倒れて転がっていた。その割れた鏡の破片に、自分の姿が映っている。

 見慣れた自分の顔、その中で瞳だけが、青く輝いていた。

 

 青い瞳を見て、彼は意識を失う前のことを思い出す。

 立ち上がり、部屋を見回す。

 荒れた部屋。

 倒れた両親と、妹の姿。

 窓から差す月光が、それらの惨状を照らしていた。

 クロバはただ、静かに涙を流した。


 やがて夜が明ける。

 ぼうとした頭で、クロバは外に出た。

 朝日が彼を照らす。

 彼は灰になる。

 そして消失した。

 灰が空に舞い上がる。

 

***


 『青の血族』となったクロバは、死ぬことは無かった。

 何度も日光を浴びて灰になり、その度に夜に蘇った。

 最初はただ呆然自失としていた彼も、いつしか自らの状況について考え始める。

 時間はいくらでもあった。

 各地の伝承記録について調べ続け、吸血鬼と『青の血族』のことを理解していく。

 

 そして同時に、家族を殺した吸血鬼を探し続けた。

 灰となって世界を流れるたびに、行く先々で仇の姿を求めた。

 だが、相手も『青の血族』であり、灰となって流動的に世界中を動き回る。

 見つかることは無かった。

 

 三十年ほどして、クロバは故郷へと戻ってきた。

 確率が変わらないのであれば、ずっと故郷で待ち続けようと思った。

 

***


 吸血鬼の中でも、『青の血族』は特別だ。

 通常の吸血鬼にとって致命的なあらゆる弱点が通用せず、この世界の生物の中でも限りなく不滅に近い。

 つまり彼らは、『飢え』ですら死ぬことは無い。

 彼らにとっては、吸血すら必須ではないのだ。

 ただ、堪えがたい渇きに襲われ続ける。

 

 クロバは誰の血も吸ったことが無い。

 身を焼くような渇きにも、彼は屈することは無かった。

 だからこそ彼は、家族の命を奪った吸血鬼を許せない。

 吸血が不可欠でないのだとしたら、彼の家族が死ぬ意味など無かったのだから。


***


 そして今夜に至る。

 故郷の街で、クロバは仇である吸血鬼を見つけた。

 彼は気配を殺し、機会を待ち続けた。

 

 その吸血鬼は街が寝静まるのを待ってから、夜更けに動き出した。

 大通りを越え、裏路地へと入っていく。

 その姿をクロバは追った。

 そして、吸血鬼が獲物を見つけ、喰らおうとするその時。

 生物が最も油断する、食事の瞬間に。

 クロバは彼の背後に立ち。

 振り向いた相手の心臓を。

 その右腕で貫いた。


***


 『青の血族』には、通常の吸血鬼にとって致命的なあらゆる弱点が通用しない。

 ゆえに彼らは、この世界の生物の中でも限りなく不滅に近い。

 しかし、彼らにも死は存在する。

 『青の血族』にも、殺し方は存在する。


 『青の血族』は、『青の血族』によってのみ殺すことができる。


***


 驚愕に目を見開きながら、ラファエロ・ラノラッタは相手の顔を見る。

 相手もまた、青い瞳を輝かせた『青の血族』だった。

 その瞳は憎しみに燃えている。

 だが、ラファエロがその相手を思い出すことは無い。

 悠久の時に磨滅した彼の記憶の中から、探し出すことはできない。

「お前は、誰だ……?」

 それが彼の最後の言葉だった。

 絶命する『青の血族』は全身を青い炎に包まれながら、灰を残さずに消滅する。

 それは朝に迎える仮初の死とは決定的に違う、もう決して蘇ることは無い絶対的な終わりだった。

 

***


 人間離れした跳躍力で空を駆け、クロバ・リジョウはこの街で一番高い場所、境界の尖塔に辿り着く。

 街を見渡せるその場所は、吸血鬼になってからの彼のお気に入りの場所だった。

 ずっとここで、仇を探していた。

 だが、もうその必要はない。

 

 紙煙草を取り出した。半世紀以上前から存在するその銘柄は、彼の父親が好きな銘柄だった。

 念力で火を点ける。

 一口。

 煙を吸い込み、咳き込む。

「……不味い」

 彼の時間は、五十六年前に死んだ日で止まっている。

 この煙草を好むようになる日もきっと来ない。


 夜明けが訪れる。

 太陽の光が、街を、そしてクロバを照らし始める。

 彼の身体は、いつものように灰になっていく。

 そして舞い上がる。

 煙草の燃えさしだけが残った。

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ブルーブラッド 空殻 @eipelppa

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