またしても何も知らない聖女

朝日が木々の間から、顔を出し始めた頃。

ティアナは、砦の宿舎で目覚めた。

やや冷えた空気が、小鳥の囀りと共に小窓から流れ込んでくる。

 

「んっ…んん…うぅ…アッタマいてぇ…うぷっ…うげぇ…おえっ…くっそぎもぢわりぃ……」

 

起き抜けの彼女は、誰から見ても明らかに酷い有様だった。

 

就寝前にする筈の、身体の清めは当然していない。

腋の下からは、汗臭が漂い自身の鼻を刺激する。

粘ついたヨダレが枕を濡らし、寝具はぐちゃぐちゃ。

純白だった聖職者のカソックは、葡萄酒のシミで所々汚れており、お世辞にも清潔とは思えない。

普段は美しく艶やかな、黄金の長髪も大暴れ。

とてもハイセンスな、ヘアスタイルだ。

下着も、昨日の粗相を一晩放置したためか、異臭を放っている。

 

「…うっわ、何だコレ。あと誰もいないし…ってか、くっせぇ」

 

周囲には、空の酒瓶が大量に散乱していた。

彼女は、何となくであるが察した。

 

「あぁ………またやってしまったか。はいはい、浄化魔法”クリーン”……そういや、帰り道でションベン漏らしたまんまだったわ。まぁ、誰にも言ってないし…浄化魔法使ったし…バレてへんやろ……」

 

浄化魔法を唱えた彼女は、見る見る内に、いつも通りの清純な姿に戻っていく。

 

「あー…思い出したぞ。アーシャが言い出しっぺだったわ。アイツ、いきなり俺に酒飲めって言い出すし。アルト君も相変わらずドンドン飲ませて来るし…」

 

彼女は、周囲に人影が無いのを良いことに、一人愚痴を垂れた。

 

「うっ、膀胱やべぇ…ションベン漏れそう……と、とりあえず朝ション行くか…便所どこや…便所、便所…」

 

身綺麗になったものの、実際のティアナは寝惚けたままである。

彼女はショボショボとした目をしながら、砦にある筈のトイレを探すために、部屋を出た。

 

同時刻、夜間警戒をしていた若い兵士。

その兵が交代で寝る前、砦の廁へ立ち寄った。

彼は、そこで衝撃的な光景を目にした。

 

男子用の小便器で、堂々と気持ち良さそうに用を足している、聖女の姿である。

 

「おっふ…おっ、おぉー…溜め込んでた分、すげぇ出るなぁ………ふぃー…あ〜スッキリ、スッキリ」

 

彼女は器用に、聖職者のローブを捲し上げ、美しい黄金の弧線を描いていた。

それを目撃した若い兵士は…

(これは、私の信仰を妨げる、悪魔の見せた恐ろしい幻だ!そうに違いない!)

そう考えた。

彼は生涯においてその光景を、終ぞ誰にも語ることは無かった。

 

ーーーーーー

 

ティアナはアルト達と集合する前に、完璧に身なりを整えた。

朧げだった彼女の意識も、完全に覚醒した。

準備万端な彼女からは、まるで後光が差しているようだ。

 

「お待たせしました、皆さま。ところで、サティアさん…昨晩は、大人しくして頂けましたか?アルトさん達に、ご迷惑をお掛けしていませんか?」

 

ティアナが砦の会議室に来る頃には、サティアとパーティ全員が揃っていた。

 

「聖女サマは正気か?私よりも、聖女サマ…アナタの方が随分、昨日は自由に振る舞っていたように見えたがね」

 

サティアは悪態を吐きながら、ティアナに皮肉を返した。

 

「お酒を飲む事で、皆さんに信用して頂けたのは、今だ以て疑問ですが…サティアさんもソレで助かったんだから、良かったじゃありませんか…」

 

(サティアさんが私に向ける視線、何だか昨日より蔑んでいませんかね?)

ティアナは訝しんだ。

 

「ン゛ン゛ッ!これで全員揃ったね。さてと、話を進めるとしようか」

 

二人のやりとりを誤魔化すように、アルトが一声挙げると、周囲に軽い緊張が走った。

 

「既に、いらっしゃるのでしょう?王国の密偵さん?」

 

この場に居ない筈の、密偵の男にティアナが呼び掛けた。

 

「さすがは聖女さま、私が来ている事もご存知でしたか」

 

今回の砦防衛依頼を持ちかけた、王国の密偵。

気付けばその男が、会議室の入り口に佇んでいた。

 

「聖女様が、戦死なされたと聞いた時、さすがの私も、血の気が引きましたが…無事にご帰還下さり何よりです。その上、魔族との和平交渉まで行っていたとは」

 

密偵の男には、事のあらましを態々説明する必要も無さそうだ。

 

「その様子だと、もう話の大筋は知っているようだな」

 

アルトが男に確認した。

 

「はい…魔族の使者を伴っている事も、既に聞いておりました。まさかその魔族が”血塗れ”とは思いませんでしたが」

 

男は、鋭い視線でサティアを見据えながらもアルトの質問に答えた。

サティアが使者として、ティアナに随行して来た事に驚きを隠せないようだ。

 

「ええっ?アンタ有名なの!?アタシ、アンタの事ただの、ぱっつんぱっつんデカパイサド魔族の女だと思っていたわ…」

 

アーシャが、驚きの目でサティアに問い掛けた。

アーシャは、サティアを戦場で一度しか見ていなかったため、彼女については殆ど知らなかった。

昨晩、泥酔したティアナの醜態を、二人で観察していた程度の付き合いである。

 

「ふふんっ!トーゼンに決まってる!魔族随一の実力と、美貌を兼ね備えた…魔王様第一の臣下、それが私だ!私は有名なんだ!さすがは王国の密偵、敵ながらアッパレだな!魔族には劣るが、マァマァ優秀だな!」

 

戦場でティアナを背後から無惨に騙し討ちした、あの時の邪悪な笑みは何処へやら。

サティアは腰に手をやり、胸を張って誇らしげに、フンスフンスと鼻息を荒くした。

 

「ま、まぁ…魔族の大物が使者ともなれば、さすがの国王様も無視はできますまい。私は、先んじて王国に報告いたします。皆様におかれましては、ゆっくり王都へ向かって頂ければ結構です」

 

「ああ、そうさせて貰うよ。皆んな、一度街で休息してから、王都へ向かおうか」

 

アルト達は、昨日より余り休めていない。

防衛戦の後は三人寝ずに過ごした。

昨晩もやはり、サティアの見張りで三人碌に寝ていない。

 

「私はキサマらの指示に従おう。それと、王国の密偵よ。我ら魔族は交渉の間、其方へ攻め入る気は無い。くれぐれも、人族も此方へ攻め込まぬよう、軍を押さえ付けておくんだな」

 

「又とない和平の機会です。重々承知いたしました、国王へは必ずお伝え致しましょう。では、私は今これにて失礼…」

 

密偵の男は、砦から去って行った。

 

「サティアさん、先程から何だか…私に対する目線やら言葉が、冷たくありませんか?」

 

「ふんっ、気のせいだろう。こんなのが聖女とは、人間も堕ちたものだな」

 

「何か仰りました?」

 

「いや、何でもない。ホラ勇者よ、街へ行くんだろう」

 

「あ、あぁ。じゃ、準備できたら街に戻ろうか」

 

アルト達はサティアに急かされるよう、街に戻った。

 

ー勇者移動中ー

 

「よせ、聖女。近寄るな、ばっちい」

 

「ええ…何でですか……私、聖職者ですよ?清く、正しい存在ですよ?」

 

聖女は馴れ馴れしく、サティアと腕を絡めようとした。

 

「ええい、ひっつくな!えんがちょ!」

 

しかし、その聖女ホールドは華麗に躱されてしまった。

 

サティアが聖女へ送る、軽蔑的な目は移動中、終始変わることがなかった。

 

ティアナは街への帰路、それを訝しんだ。

しかし、心当たりが無かったので、移動中は気にするのをやめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る