第3話「誇りの形」

リカロンでも特に賑わいを見せる酒場の扉を開く。


木造の大きな二階建てフロア、客と店主を挟むカウンターを初め、数列はある横長のテーブル席、1階に天井はなく、部屋の脇から2階まで登れる室内階段が設けられていた。


南帝の首都ともなると酒場の大きさもこれ程の規模になるのかと言うところは少し感心する。


白昼の時刻にもかかわらず、多くの者がそこにいた。

楽器を奏で路銀を求める演奏士達…

奥の部屋で春を売るべく艶やかな衣類に身を包む娘達…

酔いにまかせて気を大きくしながら言葉を交わして豪笑する兵士や市民…

数にして六、七十人はいる…


「人買いはこの中にいる…」

「えぇ、ですがこう何人もいたら誰がそうなのか…

片っ端から聞いて回りますか?」

「いや、それを続けているとかえって連中は警戒して身分を誤魔化す。

気配を探るんだ…

商売上奴らは異質な気配を纏っている…

柱にたっている者やテーブルの端に座る者、如何にもな者がいたらそいつが人買いだ…」


兄者の言葉を頼りに、周りの人間を探ったところすぐ見つかった。

酒場にいながら飲食の類を一切せず、ただ手元で小さく広げている読物を書いては口元を緩ませているフードの着いたマントを羽織る男がそこにいた

一見、絹織の上等な身なりをしておきながら本質的に下卑た気配を纏う男…

人買いで間違いないと直感した。


「あのテーブルの端、フードで顔を隠すあの男でしょうか?」

「感がいいな。

手元に広げる羊皮紙のスクロールを見てみろ…あれは恐らく商品として扱われる人間の名簿かなにかだ」

「人間を金にするなんて正気じゃない…」

「その通り…だがそれでも、二人を救う手がかりを握る男かもしれん。辛抱所だぞ弟よ…」

「わかっています…では早速」

「待て。仕事の性質上奴らは口が堅い…

喋らせる前に酒を入れよう…

上手く行けば饒舌に舌を動かすかもしれん…」


兄者が店主に、一杯の酒を頼む。

ゆっくりと近づきながら、目星をつけた男の目の前に座って、酒を差し出す。


ぬるりとした目線で手元に置かれた酒を眺めるフードの男…

我ら兄弟を見つめ、兄者が口を開く


「朝から、一杯もやらずに待ち惚けるのも苦だろう?少し気を休めるといい。

仕事に支障を来さないよう、軽めの物を選んだ。」


そう勧められた後、奴は再び我々を見る。

舐め回すような視線…こちらの身なりで値踏みしている事が想像つく。


少しの沈黙の後、いやらしく口角を釣りあげて口を開いた


「その様子…俺がなんの仕事をしているかわかってて言ってるらしいねぇ。

ありがたく頂戴するよ旦那ぁ…」

「あぁ、遠慮なくやってくれ…」


杯を手に取ってゆっくりと傾ける…

見れば見るほど鼻につく男だ…


「ふぅ…いいねぇ人から奢られる葡萄酒の味は…

いつもよりも美味いと感じるよ。

で、売りたいのかい?それとも買いたいのかい?」


人を物のように言う…

湿気を好むナメクジのように気持ち悪さを伴う声も相まって、話せば話すほど人の神経を逆撫でにする奴だ。

そんな私の考えを読んだのか、兄者がこちらを見つめる…

堪えろ…そう聞こえた気がする。

男の方を向いて、兄者が口を開いた


「姉弟を探している。姉は金髪、弟は茶髪の子ども二人だ。なにか心当たりはないか?」


男の目が光った。多分何か知っている…

しかしすぐには話し始めず…こちらを値踏みするような視線を向けた。


「ほぉ〜…

そりゃまた随分と、限定的なご要望だねぇ…

なにか事情があるのかい?」

「これはこれは、客から事情を伺うとは…

そういうのはそちらの界隈ではご法度ではないか?」

「へへへ、そうとも言えるねぇ…

失言だったよ許してくれ…

なにぶん卑しい身の上なのでねぇ…」

少し考え込む様な素振りを見せて、なにか思いついたように向き直す。

「そういえば今の要望にふさわしい2人の情報知ってるよ…もしかしたらお探しの子どもかも知れないねぇ…」

男の言葉に思わず私は反応してしまった。それに対して兄者は実に冷静だ…

続けて話を聞こうとすると、男はテーブルを指先でコツコツと叩き、何かを求めるような所作をした。

感づいた兄者はすかさず手元からデナル硬貨を収めた袋を置く。

「もちろん情報代は支払おう、500デナル入ってる。相場よりも高いだろ?」

「おおぉ…そりゃ大金だぁ。

農民が3ヶ月は生きていける位の金額だね…

確かに相場よりも良い値を出してくれたよ…

だがねぇ…」

なんという事だ、この男言うに事欠いてさらに吹っ掛けて来ようというのだ。

卑しいとは思ったが、金になるならどこまでも低俗になれるものなのか…

意識せず、利き手の拳に力が籠った。

流石の兄者もその返答は想定していなかったのか少し動揺している。


「た、足りないというのか?

なら、いくらならば話す?」

「いやぁ、金という気分じゃない…

例えば…」

男が兄者から、私の腰に目をつける。

「おいそっちのアンタ…その腰にぶら下げてる布巻の長物…」

「なっ!」


迂闊だった…動揺して、中の剣をカチャリと鳴らしてしまった。

その音を聞いた男が確信づけたようにいやらしい口元をさらに釣りあげてきた


「アハハハハぁ…

やっぱりそうだぁ、布で隠してても音でわかるぞぉ…

タスマケン鋼のグラディウスだろう…?

この間、遠方の鉱山に売り飛ばされた貴族野郎様が同じものを持ってたから知ってる…

鍔は宝石の装飾…塚は純金…ケツにこさえられてるのは…銀のポメルか?」

「な、何故そこまで!」

「レオス…!」

「やっぱりそうかぁぁ…!

オタクら良い身なりしてるからまさかとは思ったが…

あれだろう?さらわれた姉弟を助けようとしてる貴族かぶれだろ?

分かるぞぉ…そういう奴はこっちのいい値で金払いも思いのまま…大好きだよアンタら…!!!」


目の前の男が悪魔かなにかに見えてきた。

兄者もそれに対し、怒りを覚えたのか声を荒くして掴みかかろうとした。


「そこまでわかっておきながら要求してくるか!

貴様どこまで下劣なのだ!」

「おいおいやめろよ…

まるで俺が恫喝してるみたいじゃないか…

良いんだぞ無理しなくても…

だが、そちらの解答次第では…

この話はここまでと言うことに…」


兄者はよく耐えた。

男爵の息子として、貴族の誇りを守る為に振舞おうとしてるのだ。しかし我慢の限界を迎えていた…

男の言葉に激情を隠せていない。

かくいう私も、男の言動には煮えたぎる何かを感じている。

だが、今は一刻でも早く攫われた家族を救わなければならない。

こんな世界だ…捕まってすぐ殺される事だってよくある。

背に腹は変えられない…

腰から外した剣を抱え目を瞑る。

「父上…どうかお許しください…」

自然とこぼれた言葉、私の真意を汲み取った兄者が苦虫を齧った顔のまま、目を瞑って首を背ける。

「…ほら…」

静かに差し出した布巻を、男は乱暴に掴み布を捲る。その顔はこの世のどんなものよりも醜悪だった…


「やっぱりそうだぁぁ…!

この芸術品みたいな造形…!

死んだ皇帝アレニコスが優秀な働きをした部下に与えた褒賞のグラディウスだぁぁ…

売れば7000は下らない超一級品だねぇぇ…

ケツのポメルには貰ったやつがどんな働きをしたかが刻まれてるんだが…

あぁ…やっぱりアンタら帝国騎士の息子達か。

貴族の誇りを捨ててまで家族を助けようとする兄弟愛…

本当泣けるじゃないかぁ…」


汚された気分だ…


私達にとって、父上がその命をかけて勝ち取った家宝の剣…こんな汚らわしい男が手に触れる事でさえ気が狂いそうだ…

兄者も、噛み締めた口元から血が流れる程に押し寄せる怒りを耐えている…


だが、掴みかかってはダメだ…この男に喋らせろ…さもなくばその時こそまた家族を失う。


必死に言葉を取り繕いながら口を開く。


「さぁ…こちらは対価を支払ったぞ…

全て話してもらおうか…!!!」

「へへへへ、まぁまぁそう慌てなさるな…ちゃんと話すからさ…」


機嫌良さそうに残った酒を飲みこみ、杯をテーブルに置いた。


「二、三日前に…

ラダゴスというバッタニア人の男が俺の所に来た…

オタクらが言ってた金髪と茶髪の子ども連れててねぇ…

弟の方が姉の名前を呼んでたよ?

確か名前はアレアだ…」


アレア…!

連れ去られた妹の名前だ。


「そ…その男はどこにいる?」

「リカロン近郊、オルニアの岩の南に野営地作って人攫いに励んでるよ?

待ってたら明日も来るかもねぇ…」


明日だと…?そんな悠長に待ってる時間は無い…!


「兄者!」

「あぁ!今すぐに装備を整えて助けに行こう!」


情報を掴んだのならこの男にもう用はない…

差し出した剣を目に焼き付ける、名残惜しさを強引に振り払いながら足早に酒場を出ようとしたその時だ…


「待ちな…」


男が呼び止める…

殺してやりたいという衝動を抑えながら、私が返答する。


「なんだ…」

「二人で行くつもりかい…?」

「貴様には関係ない」

「死ぬよ…?」

「関係ないと言った…!」


少しの沈黙…その後男が溜息をついた


「素人が行ったところで犬死するのがオチだろうにねぇ…」

「なっ!!!」


別れ際まで本当にイラつかせてくれる、1発殴り飛ばさなければ気が済まない。


振り向きかけた時、兄者が肩に手を置いて静止した。


「よせ、殴る価値もない…

行くぞ…」

「………はい」


拳を握りながら耐えた。

その直後男が言う…


「夜だよ…」

「は?」

「いいかい…?

昼間ってのは連中が警戒してるから探しに行ったところで雲隠れするよ…?

行くんなら夜にしといた方が気の抜けたお顔を拝める…

それに、二人で行くのはどう考えても無謀さ…

夕方正門に顔出しな、ソードシスター何人か手配してあげるよ…」


ソードシスター…!

それは、傭兵を生業とする者たちの中でもかなりの腕前を持つ、馬の扱いに長けた女剣士達の総称だ。

その強さは一騎で帝国軍の正規兵、三人に値する猛者たちでもある。


意外な提案だった。男にとっては話す以上は何の得にもならないはず…


「なんのつもりですか?」

「勘違いやめとくれよ…

オタクらから貰った情報料高すぎるから…

このまま帰してボッタクリだって騒がれたら溜まったんもんじゃない…

おまけくらいはつけたげるよぉ…」


良心でも痛んだのだろうか?

だが今はそんなことどうでもよかった。


「礼は言いませんよ…」

「結構だよ…毎度ありお二人さん…

またお待ちしてるよ…?」


最後の言葉を無視して、酒場を後にした。


酒場を出た直後裏路地に入るや、壁を思い切り殴りつける…


「クソ!あの男、いつか絶対殺してくれる!」

「よせレオス…」

「兄者は悔しくないのですか…!あの男、金目の亡者もいい所ですよ!!」

「わかっている!!!」

「…っ!」

「わかっているが…

俺たちでは、連中がどこ

にいるかさえ分からなかった…

どれほど低俗な輩だろうが、それでも手がかりを掴む為には歯を食いしばって耐えねばならん!お前とてそれをわかって父上の剣を差し出したのだろう…!」

そうだ、今更どれほど怒り狂おうが…

差し出した時点で合意したのも同じ。

今の私に声を荒らげる権利も物に当たる権利も無い。


「すみません兄者…」


「良い、俺とて同じきもちだ…

それに、俺たちがここで憤慨していることを人買いが知れば、それこそやつを喜ばせるだけだ…

それはさすがに悔しかろう?」


なるほど確かにその通りだ。

あぁいう輩は、人が嫌がるところを見る事で愉悦を感じる事がある。


あのニヤけた顔を余計に喜ばせる真似を自ら進んで行うのはあまりにも愚か。


なら一層大したことは無いと今だけでも考えよう…


兄者の言葉にはそう言う意図があったように感じる。意識せず笑ってしまった…


「ふふ、えぇ確かに。

あの男を喜ばせるのは癪ですね。」

「そうとも、だから気丈に振る舞え。

たかが、形ある物を得たくらいで勝った気になってるあの男に、自分が如何に愚かでくだらない三下かということを解らせるためにもな…」


力強い言葉だった…

例え形を失おうと、その心までは売らせない。

兄者の高潔さ…

私も見習わねばならない精神だ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る