第二章
すらりとした紺色のパンツスーツ姿で現れたのは、坂下署で唯一の女性警部の塩月だった。塩月がこれまでの二十何年間で築いてきたキャリアは、小日向を含めた若手の女性刑事たちにとっての憧れになっていた。
一方で、小日向は塩月と直接会ったことはなく、実際の姿は謎に包まれていた。今のところ、姉御肌の面倒な人なのかもしれない、というのが正直な第一印象だった。
須田はすぐさま立ち上がると、敬礼でもしかねない勢いで言った。
「塩月警部! 失礼いたしました」
須田は以前に塩月と会ったことがあるらしい。だが、塩月は須田のことを覚えていないのか、かしこまった返事を適当にいなして須田を手で追い払った。須田はすごすごと寝室を出ていき、玄関の前の警備に向かった。
塩月は、寝室の入り口に立ったまま、しばらく両手を腰に当てて現場を眺めていた。しばらくして右手を上げると、人差し指を突き立てて小日向に向けた。若い女性巡査はびくりとして気をつけの姿勢を取った。
塩月はいたって平板な口調で命じた。
「駆けつけたときの状況を説明して」
「わたしですか?」
塩月は真顔で部屋の中を見回してからふざけるわけでもなく言う。
「他に誰がいるの?」
小日向はしどろもどろになりながらこれまでの経緯を報告した。
「窓は? 窓の鍵も来たときから閉まってたの?」
寝室の中を歩き回りながら小日向の報告を聞いていた塩月が訊いた。
「はい、閉まっていました」
ふ~ん、と気のない相槌を打つと、塩月は北面の金属扉を凝視し始めた。
「この奥にあるのは金庫室だけ?」
「えぇと、たぶんそうだと思います」
小日向の返事を訊くと、塩月は急に言葉のピッチを上げて一気に喋った。
「すぐに調べて。第一発見者の妻に確認して、それから庭に回って他に出入口がないかどうか見てきて。もしも通気口でも何でも出入りできそうなところがあったら見張っておくように。外に応援の警官もいるから適当に使って。頼んだよ」
有無を言わせない口調だった。慌てて小日向は動き出し、遺体に足を引っかけそうになりながら廊下に出て行った。ちょうどそのタイミングで鑑識がやってきて、扉のところですれ違いになった。
まずは被害者の妻に確認しなければいけない。財津淑江は、廊下に面したリビングで私服の男性警官から事情聴取を受けていた。警部の塩月と同じか少し若いくらいの年齢に見える。状況を踏まえると、塩月の相棒なのではないかと思われた。
小日向にとっては初対面の刑事であり、年齢も役職も上なのだが、この際丁寧な挨拶を交わしているわけにはいかない。強引に事情聴取に割り込むと、淑江に訊いた。
「寝室の奥の金庫室にあの金属の大きな扉以外の出入り口はありますか?」
「ありませんが……」
いきなり質問者が代わって意外な顔をしながらも素直に回答をした。小日向はそのまま玄関から外に出ると、他の警官と一緒に立ち入り禁止テープを貼っている須田に声を掛けて庭に連れていった。
庭をぐるりと回ると、先ほどまでいた寝室の南の窓に辿り着いた。中で塩月と鑑識が捜査をしているのが見える。さらに回り込むと、金庫室の外壁らしき場所に着いた。金庫室は寝室の北側に隣接している。
壁は他の場所と全く同じものだった。ただし、窓は一つもなく、完全にのっぺらぼうである。換気扇やエアコンの室外機などもない。西の外壁、北の外壁、東の外壁を順に見て回ったが、すべて同じ状況だった。人間が外に出られるような出入口は一つもない。
塩月は、もしも出入口があったら見張っておくようにと言っていた。だが、出入り口は一箇所もなかったので見張る必要はない。それでも一応、小日向は須田に金庫室周辺を監視しておくように頼んでから寝室に戻っていった。
調査の結果を聞いた塩月は、さらに眼光を鋭くし、唇を引き結んだ。明らかにさっきまでとはモードが違う。臨戦モードだ。
鑑識に早口で確認する。
「今、この扉には鍵が掛かっているんだな」
「はい」
「血の手形から判断して、被害者が扉を閉めて鍵を掛けたものと判断して構わないか?」
「精密な判定は必要ですが、指紋は一致しているようですし、手形の形状から見てもほぼ確実にそうでしょう」
塩月は何度か一人で頷くと、今度は「浦部!」と叫んだ。廊下から先ほど被害者の妻に事情聴取をしていた刑事が顔を出した。
「どうしました、警部」
「金庫室の内側から鍵を開けられるか至急調べてくれ。まずは被害者の妻に訊いて、後はメーカーなり設計者なり、誰でも良いからわかりそうな人に訊いてくれ」
浦部は手帳に素早くメモをする。三秒で書き終わると、確認するように言った。
「それは、誰かが金庫に閉じこめられていたということですか?」
塩月が訂正する。
「閉じこめられていたんじゃない。閉じこめられている可能性が高い」
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