第17話 半端者
蝶野と蜘蛛に乗り、半日が経とうとしていた。
さすがに抱き抱えられた体勢に対して何度も抗議をすると、渋々といった体で俺の体を離し、蜘蛛の背中、即ち蝶野の背後へと乗せた。
跳ねて移動するという初めての経験にバランスを崩して目の前の細い腰にしがみつくと、蝶野は再び意識を飛ばす。
何とか正気を取り戻させるが、万一でも振り落とされないようにと、腰に手を回した状態で糸で括り付けられてしまえばどうにもならず、俺は諦めざるを得なかった。
女子特有の仄かに香る甘い匂いと柔らかい体に何とも言えない気持ちになるが、蜘蛛が飛び跳ねる度にぶんぶんと揺れるポニーテールが俺の頬を叩くことに対する苛立ちと、こいつは初対面で薬指を渡そうとしてきたストーカー女なのだという事実が、それを掻き消す。
「もーすぐ着くよ」
「そもそも何処に向かってるんだ?」
俺の問い掛けに、蝶野は立てた人差し指を唇に当てながら、こてんと首を横に傾けた。
「んー、過激派の拠点? 的な?」
要領を得ない返答だった。拠点、ということはそれなりに大きな施設なのだろうか。そこには鈴谷が過激派と呼んでいた連中がいて、アイツを殺す算段を立てている。
そこに俺という、アイツの能力を視ることが出来る存在が加わって計画がより具体化され──
──本当に?
鈴谷の言葉を信じるのであれば、俺の異能は共有出来るらしいが、近くに居ると多少、触れていてぼんやりと視える程度。はっきりと視えるのは俺だけ。
例えば、俺の異能が強化されて広範囲に効力が及ぶようになったとして、それで何が変わる?
アイツの能力が視えようと、その攻撃を避けられなければ意味が無い。鈴谷のように俺を盾にした戦術を取るとしても、その防御を貫けなければ意味が無い。鈴谷のように殺されるだけだ。
「…………はっ」
自嘲。自分自身を鼻で笑った。
己の能力と、そして、最終的に他人任せになっていた思考に。
これは誰の、何のための復讐だ?
俺だ。俺による、家族を殺された復讐。
目的はアイツを殺すこと。
俺がアイツを殺すことだ。
誰かが殺して、そこに何の意味がある。
それは俺の目的ではない。
手段はともあれ、目的を履き違えるな。
「とうちゃーく」
緊張感のない間延びした蝶野の声が、俺を思考の渦から引き戻した。ぴょん、と高くジャンプした蜘蛛は、コンクリートを突き抜けて狭い廊下に着地する。
「はぁ、夢のような時間もこれで終わりか……」
溜息混じりの声。俺の腕から不可視の糸が消えていくのを感じ、俺は即座に蜘蛛から飛び降りる。蝶野は、そんな俺に物欲しそうな視線を向けていた。当然、無視する。
「…………拠点、って言ってなかったか?」
其処は、何の変哲もないマンションの廊下だった。強いて言うなら少し高そうなマンションだろうか。しかし、タワーマンションという程のものではない。
「うん、拠点」
「このマンション全体が、か?」
「ううん、この部屋」
そう言って蝶野は目の前の一室を指差した。呆然とする俺の様子を見て、小首を傾げている。
「あれか。支部、みたいな」
「ううん、本部だよ?」
俺の小さな希望は、きょとんとした様子の蝶野によって打ち砕かれた。
「あっ、大丈夫! 3えるでぃーけい? とかで割と広めだから!」
俺の様子に何かを察したらしい蝶野は、ぐっと胸の前で両手の拳を握り、何処か自慢げに鼻を鳴らした。
違う。そういう問題じゃない。
言葉の出ない俺を不思議そうに横目で見ながら、蝶野はチャイムを押す。ガタガタと室内で音がした後、
「……あぁ、蝶野ちゃんか」
出てきたのは、タンクトップにジーンズのラフな格好をした妙齢の女性だった。気怠そうに背中を丸めているが身長は高い。肩ほどの長さの黒髪は、その真ん中から鮮やかな紫色に染められている。
「んー? あぁ、そっちは例の少年、ね」
女性としてはやや低めの声。切れ長の目が俺の方へと向けられる。寝起きなのか半目ではあるが、心の奥まで見透かされそうな色素の薄い瞳孔に僅かに恐怖心めいたものを覚えた。
「ははっ、これは面白い。半端者が半端者を連れて、それで一人前にでもなったつもりかなぁ?」
小さな笑い声と共にその目が見開かれ、口角が吊り上がった。そこには明確な嘲りが浮かんでいる。開口一番のその言葉に、俺は青筋を立てた。
▽
「
部屋の中、リビングに案内されると、テーブルの反対側に立った女は名乗ると共に手を差し出した。握手でもしようというのか。
俺は無視を決め込む。
「おいおい、初対面で無視はないだろ。無視は。名前くらいはさぁ」
「えっと! アタシは蝶野さ──」
「知ってる」
「アッハイ」
俺の隣に座っていた蝶野が元気良く立ち上がるが、女に一蹴され、直ぐに神妙な顔つきで椅子に座った。
「まぁ、聞かずとも知ってるんだけどね。ユータ君?」
「馴れ馴れしく呼ばないでもらえますか?」
名前を知っていることはどうでもいい。どうせ蝶野から聞いたのだろう。明らかに年上故に丁寧語こそ使ったが、目線は合わせずに名前呼びを一蹴する。俺はコイツを信用する気にはなれなかった。
「やれやれ、つれないねぇ。それなら少年呼びでいいや」
俺の態度に特に気分を害した様子もなく、肩を竦めてから対面へと座る。
「これから一緒に住むんだから、段々と心を開いてくれるとおねーさんは嬉しいな」
「…………は?」
それから発せられた言葉は想定外のもので、俺は眉間に皺を寄せながら女の方へと顔を向けた。視線が合うと、女は
「家出少年に行き先はあるのかい? んん?」
家出という表現には反発をしたかったが、その言葉は事実であり、俺は押し黙る他ない。
「そそそそそそれならあああああああああアタシの家──」
「嫌だ」
「アッハイ」
俺の視界へと片手を挙げた蝶野が割り込んでくるが、即答で断ると素直に引き下がってストンと椅子に戻り、肩を落として小さく溜息を零していた。ポニーテールが犬の尻尾のように垂れ下がっているが、心底どうでもいい。
「だから、おねーさんが匿ってあげようって言ってるのさ。ついでに軽く稽古もつけてあげる」
「稽古?」
「少年は妹ちゃんを殺したいんだろう? だというのに、せっかく発現した異能は戦闘にはまるで役立たない。残念だろうねぇ、無念だろうねぇ」
一々引っかかる言い方をされて俺は不快感に女を睨み付けつつも、感情的な言葉を押さえ付けて無言で先を促す。
「だから、最低限戦える力を授けてあげるって言ってるのさ。妹ちゃんと戦うために必要な力を」
「……アイツは、妹なんかじゃない」
力を授ける、その言葉は魅力的だ。しかし、それよりも、それ以上に、アイツを妹だと言われたことに虫唾が走り、俺は呟きを零す。
「ふぅん。……なぁ少年、何故キミはあの化け物を殺したいんだい?」
「復讐だ」
そう、復讐。
俺はアイツに家族を殺されたのだ。愛する家族を。だから、殺したい。当たり前の感情だ。誰だって、家族を殺されたら復讐心を持つ。
「別に少年じゃなくても良くないかい? 他の誰かが殺しても、復讐は果たされる」
違う、果たされない。
俺が殺したいのだ。
俺が殺さなければ意味がない。
「少年の能力は補助系なんだ。なら、補助に徹していればいい。殺す為の直接的な協力だ。少年がいなければ殺せないのなら、それはキミが殺したに等しい」
違う、それでは駄目だ。
俺が、俺の手で、やらなければならない。
それが目的。
自問自答したばかりの、明白な答え。
「納得していなさそうだね。分かるよ。自分じゃなければならないんだろ? じゃあさ、それはなんで?」
何だ。
何が言いたいんだ、この女は。
「問い直そうか。殺意の理由ではなく、そうでなくてはならない理由は?」
殺す。殺したい。殺さねばならない。
そこにあるのは殺意と──義務。
そうだ。
殺意と同等に、俺は義務感を覚えている。
…………義務?
義務とはなんだ。
何に対する義務だ。
何に起因した義務だ。
それは俺が──
「ほらね、即答できない。それは、アイデンティティが迷子になっている故のもの」
女はいつの間にか頬杖を止めて、気怠げに椅子の背もたれに体を預けていた。しかし、その鋭い眼光は俺を見据えている。
「そういう所が半端者だと。そう言っているんだよ」
向けられる嘲笑に対して、俺は返す言葉を持ってはいなかった。
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