第43話 九英承菊、太原雪斎、太原祟孚

ども、坊丸です。

自分には、挽茶と抹茶の違いがわからんとです。入れ方や作法の違いなんでしょうか?ま、細かいことは気にせんとです。そう、そういうもんだと受け入れるのです。


そのうち、信長伯父さんは、茶道を褒美として使い始めるはずだから、今のうちからいろいろ勉強しておくことは悪いことではないはず。それに、茶道と言えば、和菓子!きっと誰かが作ってくれるはず!


甘いもの食べたいよぉ~!



「そういえば、駿河の今川館のそばの寺からいただいたとのことですが、織田と今川は尾張や三河の地で争っている間柄ではないのですか」


と素直な疑問を沢彦禅師にぶつけます。




「そうよな、先代の信秀様のころは三河の安祥や小豆坂で何度も戦をしておるからな」と柴田の親父殿。




「ふむ、坊丸殿が言いたいのは、織田と今川は戦を繰り返す間柄なのに、何故、駿河の臨済寺から茶をわけてもらえるのか?という疑問かの」




「そうでございます」


そうそう、そこが聞きたいのよ。教えて、プリーズ。


「はっはっは、賢いと言っても、やはり、童よな。よいか、坊丸殿。織田と今川が争っていても、人は動くし、物も動く。大名の勢力にとらわれない商売人も連歌師も旅の僧侶もおる。朝廷が定めし律令国も幕府が定めし守護・地頭も、織田や今川の勢力範囲も所詮は文言や紙の上の境じゃ。関所などはあるが、人や物はその境目を超えてうごくもの。まして、仏法や人の心、流言飛語の類はさらに軽々と越えていくものぞ。我ら僧侶は仏法を広めるため、菩提を弔うため、修行のためなら国の境なんぞ屁とも思わんものよな」




「そ、そのようなものなのですか」




「ちなみに、臨済寺の先代住持は今川の大黒柱だった太原崇孚ぞ。そなたの理屈では、尾張のものは臨済寺に立ち入れぬことになる。しかし、臨済寺は臨済宗妙心寺派の寺院であるゆえ、我が弟子たちが訪問したこともある。また、臨済寺の僧侶が犬山の瑞泉寺、美濃の瑞龍寺に修行に訪れることもある」




「太原崇孚?太原雪斎ではないのですか?」


某コーAの歴史シミュレーションゲーム、信長の矢Bowだと太原雪斎だったような…。




「ふむ、太原崇孚を知っておるのは、重畳。しかし、雪斎は間違いぞ。太原禅師の庵の扁額に雪斎と掲げておったとは聞いてはおったが、本人は太原崇孚としか名乗っておらん。雪斎と教えたのは、柴田殿か?」




「いえ、それがしは太原崇孚殿のことは教えておりませんぞ」と、柴田の親父殿。




「では、信行殿が誤って教えたものかのぉ…。たしか、太原禅師は、建仁寺派から妙心寺派に変わったときに、太原崇孚に名を改めたはず。その前は、確か、九英承菊と名乗っていたはずじゃからな、雪斎と自ら名乗ったことはないはずじゃぞ」




太原雪斎ってまちがいやったのか!戦国時代に来て知る、この事実。




「太原崇孚どのですか、沢彦禅師と同じ臨済宗の僧侶だったのですなぁ」と感嘆してみる。




「それどころか、太原崇孚殿は京の大本山、妙心寺の住持も務めたこともある名僧であるぞ」


え、ずっと駿府で今川家を支えてる存在じゃなかったの?




「いや~、それがしは、西三河で軍を率いる太原禅師しか知りませんからな。太原禅師が率いた時の今川軍はいつもの倍は強いと思いましたぞ。できれば、太原禅師の率いる今川軍とはもう二度と戦いたくありませんな」と武闘派らしいご意見、ありがとうございます、柴田の親父殿。




「それよな、信秀様も小豆坂、安祥で戦っていた時に勝っていると思うと、いつの間にか形勢が悪くなっているから非常にやりづらいと申しておったわ。なんというか、信秀様の話を聞くに、大局を見るのが上手い御尽だと思ったわ。太原禅師は今川と関係の悪かった甲斐の武田、相模の北条といつの間にか友誼を結び、あまつさえ、婚姻まで結ぶのに奔走しておったのだからな。しかも、駿河、遠江、三河で妙心寺派の寺を再建したり、新しく建てたりと僧侶としても結果を残しておる。まさに、軍事、外交、名僧と一人で何役もこなす偉人よな」




「その、太原禅師も数年前に亡くなったと聞いておりますが…」と柴田の親父殿。




「ん?聞いておらぬか?拙僧はきちんと信長様に報告しておいたのだがなぁ。4-5年前に亡くなったぞ。そうよな、ちょうど、坊丸殿が生まれたころよな。ふむ、坊丸殿が、太原崇孚殿の生まれ変わり…ということはないか」といって、微妙な笑顔をこちらに迎えてくる沢彦禅師。




「それはないでしょうな」


って、親父殿、刹那の間も置かずに即答ですね。いやぁ、そこは「そうかも」とか言ってくださいよ。


しっかし、即、否定は悲しいね。って、生まれ変わったのは、令和の日本人だからね。太原崇孚の魂とか入ってるわけないんだけどね。




「ま、それはさておき、太原禅師の葬儀には、駿府、遠江、三河の三国のみならず尾張、美濃、甲斐、はては京の大本山の妙心寺からも参列の僧侶が来ておったと聞き及んでおります。さすがに拙僧は、信長様の師父として近隣に知られておりますからな、太原崇孚殿の葬儀には呼ばれませんでしたが、葬儀に参列した犬山の瑞泉寺住職からの情報なれば、間違いないと存じる」




「ふむ、太原崇孚殿がおられなければ、三河の争乱をなかなかおさめれないのも道理か…」と柴田の親父殿。




「あのぉ…、用件が終わったなら、お話はお終いでいいですか?お茶もたくげん漬けも無くなったようですので」


「はっはっは、たくげん漬けの話をしていたのに、話題が多くて、つい話し込んでしまったわ。では、虎哉のやつが到着したら、追って書状を差し上げる故、しばし、待たれよ。さてさて、本日は、ここまでといたしとうござりまする、かな」




なんか、終始、沢彦禅師のペースだった…


ま、たくげん漬けの名前の由来として、沢彦禅師の許可ももらったし、今日は仕事したぞぉ!


---------------------------------------

「今宵はここまでに致しとうござりまする」は1988年放映のNHK大河ドラマ「武田信玄」で、信玄の母である大井夫人が言う締めのセリフ。沢彦禅師の最後の言葉はそれを意識してます。いや、させらています。天使級10589号がお遊び感覚のせいで。



ここまで読んでくださりありがとうございます。




続きが気になる!楽しかった!という方は★や❤で評価していただけたたり、ブックマーク、フォローなどしていただけますと大変ありがたいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る