第10話 信行、叛心ふたたび
しばらくのち、末森城内。信行にその行状を改めるよう、家老の柴田勝家が言上していた
「信行様、酒を控えて、もう少し領地のことを見て下さい」
「ええぃ、勝家、毎度毎度、うるさい。貴様があげてくる書状や訴状は目を通しているわ。それ以外の時間は何をしようと儂の勝手じゃ」
「ですが…」
「勝家、稲生での戦いで貴様が信長兄者に勝っていれば、信長兄者を討ち取っていれば、こんなことにはならなかったのだ」
「それは…」
「勝家、筆頭家老としての仕事は見事、なれど、次の戦働きに備え、軍の編成を変える。貴様につけた寄騎のうち、愛知郡の西部にいる国人衆の寄騎は、津々木蔵人に付け替える、良いな」
「なっ!」
「津々木、聞いておったか、今、柴田・津々木の両名に伝えたことを、書状にして国人衆に伝えておけ、儂の右筆も貸す。速やかに取り掛かれ」
「はっ」
まじめな顔をしながらも口角がすこしあがってしまい、それを噛み殺しながら、書状の手配に向かう津々木蔵人と、あまりのことに言葉を失い、その場に立ち尽くす柴田勝家。
柴田勝家が、いつもの諫言をしたところ、信行の逆鱗に触れ、一瞬にて柴田と津々木の家中での立場が変わってしまった、そんな瞬間であった。
「信行様は変わってしまわれた…」
がっくりと肩を落とし、城内を後にする柴田勝家の足取りは重かった。
信行が信長にわずかな叛意を抱えながらも、尾張でくすぶっているその頃、美濃の主、斎藤義龍は、盛んに尾張に調略を仕掛けていた。
織田伊勢守家の織田信安、織田信長の庶兄の織田信広の二人は、簡単に斎藤義龍の誘いに乗る。
特に織田信安の居城、岩倉城は、美濃に近い。美濃から居城や領地を攻められる事無く、協調して信長を攻めようと言われれば、後顧の憂いなくその軍勢の大半を動かせる。
斎藤義龍と結んだ織田信安は、すぐに清洲城や春日井郡を荒らし始めた。
織田信広も斎藤義龍の誘いに乗り、斎藤の軍勢が北尾張に出陣したのに合わせて、清洲城の後詰めのふりをしてその城を奪う策を立てたが、これは失敗に終わっていた。
織田信広が使えないと判断した斎藤義龍は、次の調略の相手として、信行を選ぶ。
斎藤義龍としては、織田信長の勢力を削るのに、尾張の軍勢を使えば、自分の兵力を減少させることはないのであるから、誰でも良いのである。
信長を協調して討てれば、北尾張の一部を割譲させ、信長より弱体化した同盟国が尾張に生まれる。
支援して、属国にするも良し、機を見て攻めるも良し。
信長を討てなくても、しばらくは、信長の動きを制限でき、美濃を掌握するための時間を稼げるし、その間に国力も増せる。しかも、内乱で信長の勢力は、いくぶんかでも弱体化できるので、これもまたよし。
いずれに転んでも、斎藤義龍に損は無い。
斎藤道三からの評価は高くなかった斎藤義龍であるが、さすがは蝮の子、親のやっていた様々な調略をそのそばで見続けてきただけはある。対信長包囲網を築くため、着々と尾張の諸勢力に調略をかけていくのだった。
坊丸の策を聞き、一度は退けた信行であったが、斎藤義龍側からの接触に、心が揺れた。
「津々木、美濃の斎藤から内密の書状が来た。盟約を結び共に信長を討たないか、とのことだ」
「信行様、いかがいたします?」
「斎藤と盟約を結ぶ、この一年、徐々に当方の勢力が削がれているのが、分かる。本来は、自分の力だけで、兄上を、いや、信長を討ち、自分こそが織田弾正忠家の正統後継者だと皆に思い知らせたかった。その思いは今も変わってはおらぬ。だが、信長の勢力は上り調子。このままでは、どんどん力に差がつく。ここで斎藤と結び、岩倉の織田信安を利用し、信長を討つ。ここしかないと思う」
「は、津々木蔵人、信行様の命に従いまする」
眉目秀麗の優男で、かつて信行の衆道の相手を務めたこともある津々木蔵人は再び、その身を信行にゆだねる決心をした。信行のもとで信長を討てば、信行の権勢のもと、自分にも尾張を差配できる可能性がある、それに賭けたのだった。
「斎藤との連絡は、白山明神の美濃の馬場、長瀧寺に寄進に行くという名目で、美濃に入り、美濃の斎藤にわたりを付ける予定だ。津々木、岩倉の信安殿に信長を討つために盟約を結ぶために、つなぎを付けろ。儂の右筆を適宜使ってよい。信長方に悟られぬよう内密にことを進める。年明けには、信長を、清州城を三方より攻め、そして儂が信長の首を取る」
弘治三年秋、織田信行の野心、兄への対抗心が、信安、信広といった織田の一門を巻き込み、美濃斎藤の謀略に乗り、信長の首に向かって疾走し始めていくのだった。
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