第5話 ギルの過去
フランは鞄につめて持ってきた食料を厨房に出していた。
人型になったストリクスが、口笛を吹いた。
「ずいぶんたくさん買い込んだね。それも保存食ばかり」
「生鮮食品は手に入ったからね。調味料や日持ちがする物を仕入れに行ってたんだ。帰ってきたら店も何もかも無くなってたけどね」
ストリクスは、真顔になってフランの顔をしげしげと見た。
「フランは全部無くなったのにすぐに樹海に飛び込んだんだな。ラソに行きたかったとはいえさ……怖くなかったのか? 女の子一人で」
「衛兵に拐かされる方が怖いよ。知ってる? 戦の後は負けた国の民はどこに連れ去られたって文句は言えないんだ。前の戦争と違って、今回は内乱だったからね。同じ国の兵士でも、どんな格好の誰がやってきて、平民をどうするか分からないだろ。それなら一人で樹海に入ってった方がまだましだ! 木は人を騙さないもの」
先の戦で疲弊してしまった父は流行病で亡くなり、良くしてくれていた近所の知り合いたちは、言葉巧みに敵国に連れていかれてしまった。
自宅に隠れていたフランは助かったけれど、自宅が燃えてしまっていればきっと同じように捕まっていただろう。
ストリクスは
「俺は木の精だから、誰かを失うっていうのはまだ分からないけど」
と前置きをして、
「きっとフランは強い人間なんだな」
と言って、まん丸い目でフランをのぞき込んだ。
「そうじゃなきゃ、燃えた自宅の前から立ち上がって、歩いてここまで来れない。樹海に入ってこの館にたどり着けるのは、森の精に気に入られた者だけなんだ。フラン以外に来たことがあるのはこれまで2人だけさ」
ストリクスは笑いかけて、厨房の調理板の上にあった燻製ハムの塊を掴んだ。
「なあ、これは何だ?」
「燻製にしたハムだよ。煙でいぶして、日持ちするようにしているんだ」
「わくわくするような、良い香りがするなあ……」
ストリクスの黒目がちの瞳がらんらん輝いてある。
フランは少し切って、ストリクスにハムを味見させてあげた。
「んんん……!? すごいぞ、わくわくが止まらん」
ストリクスは目の色を変えて食べると、ぺろりと口端を舐めて言った。
「燻製というのは、ねずみでも作れるのか?」
「うーん……それはちょっと難しいかも……」
あまり見たくない光景だ。
「そうか……グレイにあげたら喜ぶと思ったんだがなあ……」
と、ストリクスは残念そうにハムを眺めた。
「グレイって?」
「フランを連れてきた灰色のフクロウさ。可愛いだろ」
確かに可愛いけれど、フクロウの美醜はよく分からない。
皆同じに見える、という言葉を飲み込んだフランは話を変えた。
「ねえ、ストリクスさん。ところで、聞きたいことがあるんです」
「何だ?」
「あの、ギルさんは……いったい何を食べるんでしょう」
「さすがに、水だけでは育たないなあ」
と言って、ストリクスは茶化した。
フランが尋ねたのには理由があった。
ここに来る前に山を越えた先の市で手に入れてきた食材は、フランが食堂のメニューを考えながら一つ一つ仕入れたものだった。
しかし今や戦争の後で、何もかもが高くなっているはずだ。
今回の前の内乱の前の戦では、キャベツが千ガロンにも値上がりした。
主食のグレッドひとつが五百ガロン。酒なんて一瓶三万ガロンだ。
ぼったくりにもほどがあると思ったけれど、闇市の価格だと適正だ。
「なるべく、ギルさんのお好みに合わせてあげたいけど……食材にも限りがあるもんね」
「食材? 野菜だとか、木の実ならたくさんあるぞ。もともとエルフは肉を食べないからな」
「えっ、そうなの? じゃあ、ハムは駄目かあ」
「ギルはハーフエルフなんだ。半分エルフで半分人間。肉や魚を食べられないわけじゃないけれど、ここ最近は……人間とほとんど会ってもいなかったからな。食べる気になれないんだろう」
「食事を食べたくないって、いったいどういう心境? 私、人生でそう思ったことは一度もないよ」
フランが驚くと、ストリクスはケラケラと笑った。
「フランは強いなあ。でもきっと、フランみたいな人間が必要なんだよ。今のギルみたいなのには」
「ギルさんは元気が無いのかな。病気だったりする?」
「いや……うーん、もしかしたらそうかもしれない。昔のギルはもっとよく笑ったし、ずっと歌ってたもの」
ストリクスは懐かしむように目をほそめた。
「ギルは王様の前でも歌っていたんだよ」
「えっ!? ゼガルドの!?」
「ゼガルドだけじゃない。オリテでも、レヴィアスでも……いろんな国に行った。ギルはどこででも、笑って、歌っていたよ。ギルの歌声は神様に愛されている声だった。神様だけじゃなく、あの頃のギルは、本当に多くの人々に愛されてたんだ」
「でも、じゃあ、どうして、今」
(ひとりぼっちなの?)
フランは、埃をかぶったピアノと散らばった古い楽譜を思いだした。
ストリクスは寂しげに笑った。
「戦が起こって、ギルの歌声を愛してくれていた王様は死んでしまった。ギルを歓迎していたオリテが、ゼガルドを攻撃したんだ。国の政と、文化は別物だって言うけれど、ギルは音楽そのものなんだ。その頃ギルはゼガルドに住んでいた。街は壊れ、王は死んだ。そして、新しい王が立ち、暫くしたらまた内乱が起こった……」
フランの頭に、繰り返される戦の被害と、壊れていく街の光景が浮かび上がってきた。ストリクスは遠くを見た。
「ギルは傷ついて、苦しんで……声すら出なくなったんだ。それで、僕が無理矢理ラソに連れていこうとしたけれど、ここに大きな木があるのを見つけてね。ギルが今生きてるのは、僕の精霊の加護と、この館を建ててくれた通りがかりの魔法使いのおかげだよ」
「へえ……いい人もいたのね」
「うん。彼はラソからゼガルドに行く魔法使いでね、ちょうどここで会ったんだ。人間にしてはすごい魔力持ちで、緑と黄色を混ぜたような、不思議な目をしていた。詠唱もせずに魔法を使って、この館を建てると、彼は去って行ったよ」
ストリクスは家の隣の畑に連れていってくれた。
少し日当たりは悪いが、さほど雑草も生えておらず、何より土が良い。
石に囲まれた菜園に植わっている新鮮そうな野菜や果物は自然の香りがする。
「すごい、宝物がいっぱいある」
と、フランが言うと、ストリクスは胸をはった。
「そうだろう、そうだろう。ギルは枯らしてしまうから、僕が管理をしてるんだよ」
「耕して、草抜きをしているの?」
「そんなことはしない。僕は精霊だからね、精霊の加護をかけているだけだよ。こんなふうに」
ストリクスは指を鳴らした。
パチンという音と共に、花壇の土壌の表面がふわっと波打ち輝く。
「今、何が起こったの?」
「土に加護をかけた。こうすると良く育つ。草もある程度勝手に抜けるし」
「うーん……」
フランは花壇にしゃがみこみ、手が汚れるのもかまわずに、素手で草を引き抜いた。
「根の深い草は、手でとらないと気持ちが悪いや」
「放っておいても育つよ、フラン。ニンジンやイモは土の中で育つし」
「そうだけど、ギルさんは今は野菜とか果物しか食べないんでしょう。じゃあ、とびっきりのお野菜を作らなきゃ」
「一本一本抜くの!? 日が暮れてしまうよ!?」
「そんなにかからないよ」
「面倒じゃないか」
「面倒だけど、やる。人間と違って、作物は手間暇かけたぶんだけ返ってくる」
ストリクスは苦笑いして言った。
「フランは人間が嫌いなの? さっきから、植物の方が好きそうな言い方をするね」
「そうかな。意識したことはないんだけど……食堂ではたくさん人間にご飯を出してきたよ。嫌いってことではないと思う。でも、植物は落ち着くよね」
フランは草を引き抜きながら言った。
「植物はなんにも言わないけど、だからこそ癒やしてくれる時も多いよね。ストリクスは植物の精霊なの?」
「そう。エルフには精霊が付くのが決まりなんだ。従者のようにね」
「みんな人型をしてるの? ストリクスみたいに」
「好きな形になってるよ。僕だって、グレイといちゃいちゃしたいときはフクロウの形になる」
と、言い終わると同時に、ストリクスは茶色くて大きなフクロウに姿を変えていた。
鋭いクチバシから人間の言葉が聞こえる。
「じゃあね、フラン。僕はグレイともう一眠りしてくるよ。昼寝中のグレイは僕が近くにいないとさみしくなって泣いちゃうから」
ストリクスが羽をひるがえして大木へ戻っていくのを見て、フランは雑草抜きを再開した。
精霊の加護だとかいう魔法は、土の状態を良くするのだろう。
ふかふかした土で野菜はすくすく育っている。
でも、草を抜いたり、天気によって水の量を変えたりすれば、もっと良く育つかもしれない。
(あとは……語りかけたり、歌いかけるとよく育つってきいたことがあるな)
フランは考えながら、ぶちぶちと雑草をむしった。
ギルの、諦めたような無気力な色をした魚のような瞳が、頭の端に焼き付いて離れなかった。
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