大阪えびすばし③

 富田がくすねた金は、一年間で二百万ほどだったが、それに利息が付き、一千万になっていると組幹部は凄んだ。今後も毎日利子は付くと言い、そんな大金を返すのは、体を売るしかないと笑った。あけみの体は商売道具になると組員たちは口を揃え、卑猥な目つきをし、ニヤニヤ笑った。

 富田に目をやると、上目遣いにあけみを見ていた。卑屈で媚が含まれていた。二、三秒目を合わせていたが、富田の方が先に逸らした。その瞬間、あけみは体を売って、富田の借金を返すことを決意した。

 翌日から、デリヘル嬢としてのあけみの生活が始まった。店のホームページなどはなく、電話で組員が客の好みを聞き、それがあけみと合致すれば待機していたあけみが待ち合わせの場所へ赴くのだ。待ち合わせ場所は戎橋の上だった。

 本番行為がないとはいえ、見も知らぬ男と会い、数分後にはその男とホテルの一室で二人きりにならなければならないことには抵抗があった。だが、それも最初のうちだけだった。全て富田のためだと自分自身に言い聞かせ、文字通り体を張り続けた。

 幼い頃から、血のつながった親戚にも邪魔者、厄介者扱いされた自分のような人間でも、必要とし、頼りにしてくれている富田という人間がいると思うと、辛くてもがんばれた。

 そして、いつの日か借金を完済し、平凡でいいから普通の生活を送りたいという想いがあけみを支えていたのだ。

 仕事を終え、疲れて帰り、そのまま富田と一言の会話も交わさず、眠りに落ちることもあった。しかし、あけみは愚痴ひとつこぼさなかった。

 だが、富田は日に日に荒れていった。

 最初こそ、あけみに体を張らせていることがうしろめたかったのか、やさしい言葉や謝罪のセリフを口にし、仕事を探していたが、やがてそれも諦め、仕事から帰ったあけみを口汚い言葉で罵るようになった。

 自分が組の金をくすねたことが原因であるとはいえ、あけみが毎日他の男と濃密な時間を過ごして帰ってくるのを、気が狂いそうな闇の中、じっと待ち続ける富田の苦しさを思うと、あけみは何を言われても黙って耐えることができた。

 そしてあけみが何も言い返さず、毎日当たり前のように出勤する様子に、富田はさらに汚い言葉を投げつけ、やがて帰ったあけみに暴力を振るうようになった。

 それでもあけみは黙って耐えた。富田の弱さがわかっていたからだ。自分の不甲斐なさ、情けなさ、そして嫉妬や屈辱を、全てあけみにぶつけていることに気づいていたからだ。それなら全部受け止めてやろうと思ったのだ。

 富田は決してあけみの顔を殴ることはなかった。いつも腹を蹴るのだった。商売道具に傷をつけてはいけないという気持ちからなのか、顔を殴る勇気がないのか、おそらく気が小さく、勇気のない富田のこと、後者だったのだろう。

 富田は、あけみを足蹴にした後、決まって涙を流しながら謝罪の言葉を繰り返し、やさしくあけみを抱いた。あけみの体を清めるように、富田は時間をかけ、ゆっくり労わるように抱くのだった。

 あけみは、富田の弱さと甘えを全身に受けながら、時折、この生活に出口はあるのかと考えることがあった。だが、考えても意味がないと、すぐに思い直し、思考を停止した。なぜなら、たとえ出口があったとしても、あけみには、この生活から逃げ出す気がさらさらなかったからだ。

 富田と離れられない自分がわかっていたのだ。富田は、この世で最初に自分を必要だと言ってくれた人間だったからだ。

 自分が富田を必要かどうかはよくわからなかった。ただ、離れることはできなかった。情が移ったとか、空気のような存在になったとかいう次元ではなく、自分を必要としている人間の元にいることが、人間の、そして自分の幸せだと感じていたからだ。

 あけみは、果てしない闇の向こうに広がっているであろう光の世界を、富田と共に歩きたいと願っていたのだった。

 そんな、昨日が今日でも、今日が明日でも変わらない日々が繰り返され、それが一年という時を生み、やがてそれが七回繰り返された。

 デリヘル嬢になって七年。組の借金がもうあとわずかで完済できるという時、あけみは妊娠した。

 もちろん富田の子だった。客とは一切本番行為をしていないし、そもそも、富田としかそういう関係になった相手はいないからだ。

 三十歳を越えた富田は、相変わらず仕事をせず、仕事を探そうともせず、堕落した生活を送っていた。もちろん組も完全に富田を見放していた。

 酒が飲めないというのが唯一の取り柄といえば取り柄だった。もし二十四時間アパートにいる富田が酒飲みだったら、とっくに身を滅ぼしていただろう。

 組への借金が減るにつれ、富田が荒れることは少なくなった。あけみへの暴力もほとんどなくなっていた。ただ、夜中、あけみがアパートに帰ると、まるで母親の帰りを待ちわびた子供のように、足元にじゃれつくようになった。あけみが帰るまでのひとりきりのアパートは、富田に幼児期の心の傷を思い出させるのに充分だったのだろう。

 その度、あけみは、他人が見ればどうしようもない人間である富田が愛おしくなり、やはりこの人は自分を必要としているのだと強く思うのだった。

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