大阪えびすばし②
富田は、あけみが働く二十四時間営業の喫茶店「ともしび」の常連客だった。富田は、毎晩十一時過ぎに現れては、朝方まで粘るというのを日課にしていた。そして、毎晩二時を過ぎた頃、居眠りを始めるのも日課だった。
店内での睡眠は禁止されているため、眠った富田を起こすのは新人のあけみの仕事だった。
そんなことが毎日繰り返されるうち、二人は頻繁に会話を交わすようになった。
何となく富田の崩れたところにあけみは魅力を感じていたし、富田は富田で、あけみの純朴さに親しみを感じたようだった。互いに惹かれた二人は、やがて外で会うようになる。
富田はあけみより五つ年上で、借金の取立て屋をしていた。富田はいわゆる暴力団の準構成員というやつで、組が守りをしているスナックやバーのツケ客への取立てが主な仕事だった。
富田がそんな仕事をしていても、全く気にならなかった。仕事と人格は違うと思っていたし、あけみは、富田の少し陰のあるところに惹かれていたからだ。
富田は西成の花園町にアパートを借りていたが、そこには「ともしび」で朝まで粘った後、わずかな睡眠をとるために帰るだけで、ほとんど寄り付くことはなかった。夜、一人でアパートにいると、この世の闇の底にいるような錯覚に陥り、気が狂いそうになるのだと告白した。だから夜は「ともしび」で過ごし、陽が昇ってから帰ることにしていたのだ。
富田は幼い頃、両親に捨てられ、施設で育った。十五になった時、施設を出、ミナミに出てきたところを暴力団に拾ってもらった。とにかく捨てた両親をはじめ、世の中全てに復讐心のようなものを持っていた。だが、気が小さく、どこかやさしいところのある富田は、十年近くたっても組員になれずにいた。
あけみは、富田が夜に一人でアパートに居れないのは、幼い頃の体験が原因だとすぐにわかった。両親に捨てられ、暗闇にひとりぼっちにされた経験が、心の襞に根強く残っているからだと直感した。
あけみはそんな富田に親近感を覚えた。
背が低く、痩せこけた体に、決して男前とは言えない風貌。弱い目の光。だが、あけみは徐々に富田に好意を持つようになっていった。
富田もあけみの境遇に同情し、それがやがて好意に変わっていったようだった。
そんな二人は自然の成り行きで、同居を始める。住居はあけみのアパートだった。あけみは処女を富田に捧げた。いつしか好意は愛情に変わっていた。
富田は言った。「俺にはお前が必要や。ずっとそばにおってくれ」。その一言に、体だけでなく、心まで全てを捧げたいと思ったのだ。
物心ついてからというもの、あけみを必要だとか、そばにいてくれと言ってくれる者は誰一人としていなかった。常に邪魔者、厄介者扱いされてきた。そんなあけみにとって、富田の一言は、この上なく重みと厚み、温かみのあるものだった。
だが、あけみのアパートでの暮らしも長くは続かなかった。富田と一緒に住んでいることがオーナーにばれたのだ。
オーナーは激怒し、あけみに退去を命じた。「ともしび」もクビになった。オーナーは、あけみを囲っているような気になっていて、いずれあけみのことを我が物にしようと画策していたのだ。最後の捨てゼリフがそれを物語っていた。
「お前なんかもういらん! 出ていけ! 人がせっかく身寄りのないお前を二号にしてやろうと思ったのに、裏切りやがって」
あけみはオーナーと、自分を厄介者扱いした親戚たちの姿がオーバーラップした。それだけに、自分が必要だと言ってくれた冨田の存在が大きくなるのだった。それが、富田の、寂しがりやで、心の弱い部分が言わせたセリフだとわかっていても……。
あけみたちは、解約したばかりの富田のアパートを再契約し、同居生活を続けた。だが、富田が組から貰う、小遣い程度のわずかな収入だけでは食べていくのがやっとだった。あけみは仕事を探すと言った。すると富田は、「心配すんな。もうすぐ正式に組員になるから、金もぎょうさん手に入る」と言い、あけみには働きに出ず、家の中のことをしてほしいと頭を下げるのだった。
その言葉どおり、すぐに富田の収入は倍近くになり、充分生活が営めるようになった。ただ、組員になったという話は聞かなかったので、そのことを問うと、「話が流れた」とだけ言い、相変わらず借金の取立て屋を続けるのだった。
あけみは、裕福な生活が送れるほどではないにしても、組員に格上げされたわけではない富田の収入が倍近くになったことに釈然としないものを感じていた。そして少しの嫌な予感が心の奥底に生まれていた。
だが、富田との生活の精神的な部分での満足感が、いつしかそれを忘れさせた。生まれてはじめて、これが人間の生活だという感慨に浸っていた。確かに平凡だが、今の富田との生活が、それゆえに、人間の真の幸せなんだと感じていた。
一年経ち、微かに感じた嫌な予感も、完全に心の中から消え去ったある晩、富田が血相を変えてアパートへ戻ってきた。そして、「逃げるぞ」と言うやいなや、あけみを表に連れ出そうとした。
あけみはいつかの嫌な予感が再び心の奥底に生まれるのを感じながら、富田に一体何事なのか訊ねた。富田は貴重品をバッグに詰めながら、収入が増えたのは、取立てた金を毎日少しずつくすねていたからで、今日それがついに組の上層部にばれ、今にも組員たちが富田を捕まえにくることを手短に説明した。
あけみは情けない想いに包まれた。
富田がコソ泥のようにくすねた金で生活していたことに。いや、それ以上に、そんな生活に、人間の幸せを感じていたことに。
情けない想いは、絶望感に変わった。アパートの鉄階段を駆け上がってくる数人の足音が耳に入ってきたからだ。明らかに怒りのこもった、そして追い込みをかける足音だった。
あけみはそんな状況になっても、富田だけは逃がしてやりたいと思い、先に窓から逃げるように言った。取立てた金をくすねるような、そんな情けない、ちっぽけな男だったが、あけみにとってはやはり大切な人間だったのだ。
だが、敵もそれは計算していて、窓の下の空地には、二人の組員が待ち構えていた。
二人は捕まった。
桜川にある組事務所に連れていかれた。三日三晩、富田はリンチされ、あけみは輪姦された。四日目に二人は対面したが、富田のあまりの憔悴しきった表情と傷だらけの体にあけみは憐れを感じ、思わず、自分が働いてお金を返すと言っていた。
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