ジャージ姿の天使④

「ふざけるなよ。誰が人助けなんか……でも、そうしないと、ずっと翼がついたままだしな……いや、待てよ、別に翼が生えていたっていいじゃないか。誰にも見えないようだし……」

 俺は呟くと、とりあえず街へ出ることにした。

 そういえば……腹も減らなければ喉も渇かない。トイレにも行きたくならない。これが、男の言う、完全に生き返ったわけじゃないということなのか……。

「まあいい。好都合だ。メシを調達したり、トイレを探す手間が省ける。街に出て、人助けどころか、悪事に手を染めてやるか! そうすりゃ、今度こそお天道様が殺してくれるんじゃないか!」

 そう嘯くと、俺は繁華街に出た。

 そして、どんな悪事を働こうかと、あたりを物色していると、老女が引ったくりにあう現場に出くわした。

「ほう、世の中には悪い奴がいるもんだ」

 自分のことは棚に上げ、そう呟いた時だった。

 俺の体は自然に動いていた。

「!」

 手提げカバンを抱えて走ってくるひったくり犯に体当たりを食らわせていた。

 犯人はかなり大柄だったが、膝にタックルをするように突っ込んでいったため、犯人はもんどりうって倒れ、腰や背中を路面にしたたか打ちつけたようだ。

 気がつけば通行人たちが犯人を取り押さえていた。誰かが警察を呼んだらしく、パトカーのサイレンが聞こえてきた。

 俺は自分の行動が信じられなかった。呆然と立ち尽くしていた。だが、俺の中の冷静な部分が、その場を立ち去れと命令していた。俺はその命令に従っていた。手柄を立てたのだが、警察と顔を合わせたくなかった。別に指名手配されているわけではないが、犯罪に手を染めたことがある者の性だ。俺は、礼を言う老女の前から黙って姿を消した。

 ビルとビルの隙間に入り、自分の取った行動を頭の中で反芻する。自分が取った行動なのに、そうではないような気がしていた。当然だ。意思に反して体が動いたのだから。

 それにしても……わけがわからなかった。

 その時、背中が一瞬くすぐったくなった。顔を向けると、視界に、一枚の羽根が落ちていくのが映った。

「……」

 あの男の言う通りだ……。

 俺は、ビルの窓に背中を映してみた。羽根は数え切れないほどある。それにしても、見るからに不恰好だ。翼だけを見ていると天使なのだが……。

「……」 

 自分でも絶句してしまう。

 三十を過ぎた男が、学芸会の劇の登場人物のような恰好をさせられている。それもジャージを着ているため、学芸会本番ではなく、予行演習の時の姿だった。他人には、翼は見えていないようで、それだけが救いだったが、俺は泣きたくなった。

 同時にうんざりしていた。今まで悪事を働いてきたことに対する償いを、これからさせられるというのだろうか。きっとそうだ。そういうことだろう。

 散々悪事を働き、それを刑務所で償うことなく、死のうとしたことの罰なのだろうか。

 結局、羽根に縛られることになった。自由が遠くなった。これなら自殺など試みずに、警察に捕まった方がよかったかもしれない。

 俺はそんな想いを抱えながら、覚悟を決め、繁華街に出ていった。

 すぐに困っている人に出会った。両手に持ちきれないほどの荷物を足元に置き、往生している人がいた。

 俺は面倒臭いと思い、背中を向けようとした。だが、意思とは反対に、その困っている人に駆け寄っていた。タクシー乗り場まで荷物を運んでやる。

 一枚羽根が落ちた。

 コンタクトレンズを落とし、探している人がいれば一緒に探してやり、道に迷っている人がいれば教えてあげた。

 道で倒れている人がいれば、近くの病院まで運んであげた。

 そのたび、一枚ずつ羽根が抜け落ちた。

 そんなことが毎日続いた。全て、俺の意思とは関係のないところでそれは行われた。

 なぜ、自分がこんなことをしなければならないのかという想いが何度も込み上げてきた。だが、男の言葉を思い出した。翼がなくなった時、自由になれるという言葉を。

 俺は一刻も早く自由になりたくて、操られるがまま、困っている人を助けた。

 その甲斐あって、羽根はかなり減った。身軽になり、自由が近くなったような気がする。

 しかし俺は、未だに自分は長い夢を見ているのではないかと思うことがあった。

 背中に翼が生えていること。体がコントロールされていて、善い行いをするとそれが一枚落ちること。その羽根に誰も気づかないこと。そしてあの男……。男はあれ以来姿を見せない。

 だが、紛れもない現実だった。事実だった。

 俺はまさに黙々といった感じで、毎日を善行のためだけに生きた。いや、困った人の手助けをするために、自分の体を提供した。ただ、自由だけを思い描いて。

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