第5章 ジャージ姿の天使①


 俺は悪事という悪事を働いてきた。窃盗、詐欺、スリ、恐喝……。

 だが、一度も捕まったことはなかった。だから、三十歳になる今まで、犯罪だけでメシを食ってくることができた。

 それでも人殺しだけはしなかった。人殺しではメシにありつけない。いや、殺しの依頼を受けて実際に殺人を犯す輩もいるらしいが、殺しは性に合わないというか、それをすると、今度こそ捕まると思っていたからだ。

 警察に捕まるのだけは嫌だった。そのくせ、犯罪でメシを食うという今の生活も嫌だった。それなら、警察に捕まった方が、食いっぱぐれがなくていいと思うのだが、自由がなくなることがつらかった。

 俺は自由に飢えていた。そのせいか、どんな仕事も長続きしなかった。

 幼い頃、不慮の事故で両親を亡くした。親戚、親類がいなかったため、児童養護施設へ入るしかなかった。自由に飢えているのは、まだ物心つかない頃から施設で育ったせいだと、自分で分析していた。

 事実、施設は一見自由そうに見えて、実際はそうではなかった。細かい規則やきまりがあった。社会へ出た時に困らないよう、親代わりのスタッフが厳しく躾けてくれたのだろうが、俺はそれらが嫌で、施設を中学生の時に抜け出した。自由を求めて。

 その結果、俺は十五にして自分の考える自由というものを自ら手にしたのだ。

 それ以降、自由に犯行を繰り返し、自由に生きてきた。もう十五年になる。人生の半分を犯罪で食べてきたのだ。

 好きなことをして好きなものを食べ、好きなところで寝泊りする。誰にも束縛されない。それが俺の考える自由だった。

 でも、最近はそんな自由にも疲れていた。もう、いつ人生に幕を下ろしてもいいとさえ考えるようになっていた。自分の両親は、三十歳を前にして事故で命を失っている。そして自分は現在三十歳だ。両親より長く生きている。

 嘘か真か知らないが、施設の園長によると、両親は真面目で立派な人間だったそうだ。自分たちのことはいつも後回しで、常に人のことを考え、困った人がいれば手助けし、人のために尽くす一生を送ったらしい。

 園長によく言われた。両親のように、真面目に生きろと。

 だが、今の世の中、一体何が真面目で立派なのか、その定義や基準がわからなかった。ただ、何となく、普通に労働して金を得、もちろん犯罪に手を染めることなく、つつましく生きることが、真面目で立派なのだというイメージは持っていた。おそらく、両親はそういうタイプの人間だったのだろう。

 そんな生き方を否定するつもりはないが、果たして、そんな生き方をして、両親には自由があったのだろうかと思ってしまう。真面目なだけでなく、自分たちのことより、他人のことを考える人生を送っていたのだから……。

 多分、自由などなかっただろう。

 自由もない、真面目で立派な生き方をしても、不慮の事故で命を落としてしまっては何ひとつ報われない。何のために生きてきたのかわからない。

 俺は時々、両親がかわいそうだと思える時があった。

 だが、そんな両親をうらやましく思えることもあった。死んだら本当の自由に巡り会うことができると考えるようになったからだ。今、あの世で両親は生前の分まで自由を楽しんでいるはずだ。

 だから俺は最近、死への憧憬に包まれることが多くなっていた。

 それに、ついつい両親と自分とを比較してしまい、その結果、自分の生き方にどこか後ろめたさを感じるせいか、両親より長生きしていることが申し訳なく思えることがあったのだ。

 だから早く死ぬのもいいなと考えていた。

 もちろんそれは、死の向こうに真の自由があるという確信、心の支えがあるからこそなのだが……。

 だが、金がなくなり、腹が減ると、犯行を繰り返した。飢え死には嫌だった。プライドなどではなく、ただ単に苦しいことが嫌いだったのだ。

  

 そして俺は今日も空き巣に入り、三千円ばかりの金を手にした。しかし、それも、ほんの十分でオケラになってしまう。パチンコで負けたのだ。金を増やそうとしたのが裏目に出た。

 俺は腹立ちまぎれに台を叩いた。何度も何度も。それを見かねた店員が飛んできて、俺を店の外へつまみ出した。まるで、虫ケラのように扱われた。

 プライドが砕かれた。俺はホームレスなのだが、自分ではそうは思っていなかった。公園に住みながら、自分は他のホームレスとは違うと。自分だけは違うと。人にものを恵んでもらったことはないし、ごみ箱を漁ったこともない。生きるために危険を冒し、命を張っているのだという、少しピントがずれたプライドを持っていた。

 そんな妙な、変なプライドが俺を激怒させた。店内に再び入ろうとする。しかし、店員は体が大きく、力も強そうだ。俺は思わずガラスに映った自分の体を眺めた。

 痩せ細り、背も低い。三十歳というのに頭髪は薄く、上下ジャージ姿の俺は、自分で見ても貧相だった。

 店員に挑みかかっても、返り討ちにあうのは目に見えている。それだけならまだしも、警察に突き出されでもしたら厄介だ。食いっぱぐれはないが、自由がなくなる。

 舌打ちをし、尻尾を巻きかけた俺の視界に、パチンコ店脇に設えられた換金所が入ってきた。

 思わず足を止めていた。

「襲うか……」

 小さく呟いていた。

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