残飯②

 ルルとはそれっきりだった。

 いや、手紙は届いたかもしれないが、家賃を払えない俺は、アパートを追い出されたため、それも定かではない。

 ルルがいなくなって、俺は自分の甘えがどれほど大きなものだったのか、同時に、俺にとってのルルという人間の存在の大きさを、嫌というほど思い知らされた。

 それでも俺は、発奮するどころか、それまで以上に荒んだ生活を送るようになった。

 しばらくは日雇いの仕事をして食いつないでいたが、やがてそれにも嫌気がさし、ホームレスとなった。公園に寝泊りし、腹が減ったらスーパーやコンビニの裏へ行き、俺のようなホームレスが漁らないように、水をかけられ、踏み潰された弁当やおにぎりの残骸を拾い集めて食べた。それらにありつけない時は、ゴミ箱を漁った。

 だが、ホームレスの間には縄張りなどの掟があり、それに従うのが面倒で、俺は公園から公園を渡り歩く生活を続けた。そんな生活が五年続いた。

 怠けた生活は俺の心をより荒んだものにしていった。

 俺は、全てルルのせいにしていた。あいつさえイタリアへ行かなければ俺は立ち直っていたのにと。俺は本当に卑怯者だった。ルルが向こうで失敗し、傷つけばいいと考えたことは一度や二度ではなかった。

 そんな腐った自分を自覚した時、俺は死のうと思った。生きていても仕方ない。生きている意味がない。生きれば生きるほど惨めになるばかりだ。それなら死のうと。

 それも、俺にピッタリの死に方、野垂れ死にしようと。


 もう一週間、飲まず食わずだ。人は水だけで一週間は生きられるというが、俺の場合、水も飲んでいない。当たり前だ、死ぬのだから……。

 だが、なかなか死ねなかった。人間という生き物は、飲まず食わずでも何らかの防衛本能が働くらしく、生きていられた。

 ずっと公園のベンチで寝転んでいるため、エネルギーの消費がないことも関係しているのかもしれない。ただ、動こうとしても動けなかった。いよいよかもしれない。

 と、そこへ見知らぬホームレスが近づいてきた。この公園へ来て一週間、まだ縄張りのことで文句を言われていない。もしかしたら、男はそのことで文句を言いに来たのかもしれないと思ったが、体を起こせなかった。

 だが、男は文句を言いに来たわけではなかった。それに、男はどうやらホームレスではないようだ。ボサボサの長めの髪に黒いナイロンコート、素足にサンダル履きという風体は、ホームレスに見えなくもないが、どうも雰囲気が違う。どこがどうと上手く言えないが、俺たちと同類ではない何かがあった。

 と、男がいきなり言う。

「おい、わざと飲まず食わずで命を落とすのは、自殺と同じだぞ」

「……」

 やけにガラガラした声と、その言葉の内容に、俺は戸惑いながらも、何とか体を起こしていた。体がやけにダルい。

「自殺はやめとけ」

「……」

「自殺すると、成仏できずに、俺みたいに天界の入口とこの世を彷徨う羽目になるぞ」

「……何言ってんだ、あんた」

 体を起こしたことを後悔していた。どうやら頭のおかしな奴らしい。

 男が続ける。

「事実だよ」

「……」

 口をきくのも面倒なので、黙っていると、男は尚も口を開いた。

「あんた、俺のことを頭のおかしな奴だと思っているだろう?」

「!」

「まあ、いい。自分でもまともとは思っていない。ただ、かつて自殺をしたことは事実だ。そしてそれは成功した。でも、こうして成仏できていない」

「……あんた、死人だというのか?」

「そうだ」

「……馬鹿馬鹿しい」

「ん? 何がだ?」

「死んだ人間がなぜ……」

「だから、自殺者は成仏できないんだよ」

「……」

 どうでもよかった。男と議論する元気もない。

 俺は再びベンチに横になり。古新聞を顔に掛けた。

「そう言えば……」

 男が古新聞越しに声をかけてくる。

 俺は反応しなかったが、男は構わず言葉を続けた。

「そこの交差点にイタリア料理店がオープンしたみたいだな。何でもオーナーシェフは、本場イタリア帰りらしい。女性だそうだ」

「……」

 ルルの顔が脳裏に浮かんだ。

「残飯を漁ったホームレスが言っていた。こんなに美味い残飯ははじめてだってな」

「……」

 ルルなのか? まさか……。女性のシェフなんて今時珍しくも何ともない。

「とにかく、自殺はやめとけ。死ぬのも苦しいが、死んだ後がもっと苦しい」

「……」

「気が向いたらイタリア料理店にでも行ってみることだな。残飯を漁りにな」

「……」

 不意に男の気配が消えた。

 慌てて古新聞を撥ねのける。

「!」

 男の姿はキレイに消えていた。

 男は本当に死人だったのか……と、撥ねのけた古新聞が風に舞い、手元に戻ってきた。

 何気なく目をやる。

「……」

 子供と妻を追って自殺した男性の記事が載っていた。あの男?

「まさかな……」

 それよりも、イタリア料理店のことが気になった。

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