第4章 残飯①
五年前、ルルは俺の反対を押し切り、イタリアへと旅立った。イタリア料理を本場で学ぶために。
ルルがイタリアへ発つ日、俺は空港のロビーで彼女を激しく問い詰めた。
なぜ行く?
成功すると思っているのか?
俺を捨てるのか?
ルルはいつも通り冷静に、
「がんばって腕を磨いてくるから。だから待っていて……」
と静かに、そして自信たっぷりに答えた。
俺は嫉妬していた。
その夢を追う真っ直ぐな瞳に。
自信溢れる態度に。
才能に。
思えばルルと付き合い始めた頃からずっと彼女に嫉妬し続けていたのかもしれない。
夢を抱き、それを行動に移すルルに比べ、俺はといえば、当時もう三十になろうというのに何もない人間だった。貯金もなければ仕事もなく、ルルに金をたかってはギャンブルにつぎこんでいた。
それでも、以前は役者になりたいという夢があった。小さな劇団で芝居を磨いた。ルルと出会ったのは、俺がはじめて舞台に立った公演だった。ルルは友人に連れられ、はじめて芝居を観に来ていた。俺はエキストラのような存在だった。
ひとつの劇で、通行人や清掃員、群衆の中の一人等、いくつもの役をこなした。小さな劇場だったが、俺の存在が観客の心に残ることなどないはずだった。
だが、それは間違いだった。
俺の演技と呼べないそれを観てくれていた人間がいた。
ルルだった。
ルルは公演後、大道具の撤去をしている俺の元へ来て、礼を言った。
「ありがとうございます。あなたを見ていて、夢を追う前から諦めていた自分の情けなさを知りました。明日から……いや、今から夢を追いかけます」
俺は戸惑ったが、ルルの言葉はとても嬉しいものだった。それからも、ルルは公演を観に来てくれ、俺も徐々にだが、役らしい役をもらえるようになっていった。
ルルはルルで、店を持ちたいという夢に向かい、料理の修業を積んでいた。
俺たちは、夢を追う者同士、また、年齢も同じということもあり、すぐに強く惹かれあい、付き合うようになった。
お互いがお互いを高め合うような、理想の関係だったが、俺が所属する劇団の座長がテレビ界へ進出したのをきっかけに、劇団が分裂し、やがて解散となり、俺の居場所がなくなった。
俺はテレビドラマや映画に呼ばれるほどの役者ではなかった。だから他の劇団に入ろうと、数々の劇団の門を叩いたが、どこからも門前払いを喰らった。三十前の、エキストラのようなことしか経験していない俺を相手にする劇団はなかった。
俺は荒れた。
心のどこかで夢は捨てていないつもりだったが、俺はその夢に向かう気力を失くした。自分の才能や運のなさを嘆き、まわりに当たり散らした。特に、夢を真っ直ぐに追うルルに嫉妬のような感情を覚え、拗ね、苛立ち、意味もなく罵ったこともあった。それでもルルは俺の元を去らなかった。
ある時、ルルに訊いたことがある。どうして俺のような男と一緒にいるのかと。
ルルは答えた。
「あなたは私に夢を追うことを思い出させてくれた人だから」
俺は、ルルのそんな言葉に甘え、驕り、尚一層自堕落な、ヒモ同然の暮らしを続けた。ルルは俺を見捨てるわけがない、ルルが夢を追いかけていられるのは俺のおかげだ、などといった自惚れもあった。
だからこそ、ルルのイタリア行きの話は俺をパニックにさせた。ルルがいなくなったら俺はどうなる? そう思ったからだ。そしてその恐怖にも似た想いとルルへの嫉妬がイタリア行きを反対させた。
だが、ルルの決心は固かった。俺は醜く罵っていた。
「成功するわけがない。自分の力を考えてみろ。行くだけ無駄だ!」
ルルは何も言わず、ただ寂しそうに笑うと背中を向け、異国へと旅立っていった。
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