ヒットマン⑥

 一回戦は元力士だった。

 楽勝だった。リングの中を動かすだけ動かし、疲れさせたところをハイキック一発で仕留めた。

 二回戦。

 相手はプロレスラー。アメリカ人の大男だ。絶対に捕まってはいけない。寝技の技術もないし、防御法も習得していない。何より、体重が違う。七十キロの俺に対し、相手はその倍はある。乗られたらお終いだ。

 ゴングが鳴る。俺は一回戦と同じようにリング内を駆け、相手の様子を伺った。レスラーはしばらく俺の動きを眺めていたが、やがてショーマンシッププロレスよろしく、俺そっちのけで、突然観客席めがけて投げキッスを始めた。俺はチャンスだと思い、背後から近づき、膝裏にローを入れようとした。

「!」

 空振りしていた。

 パフォーマンスは、俺を誘い込む罠だったのだ。俺は逆に背後から羽交い絞めにされるや、グランドに引きずり込まれた。太い腕が首に巻きつき、ぐいぐい締め上げてくる。はじめての体験だった。みるみる脳から酸素が奪われ、意識が薄らいでいった。ギブアップしなくても、このままだと落ちてしまう。いや、殺されかねない。ああ、負ける、負けてしまう、そう思った時だった。

 レスラーが突然腕の力を緩め、俺のマスクを脱がしにかかったのだ。勝ちを確信し、ファンサービスをしようとでも考えたのだろうか。

 レフェリーが止めに入り、客席からは一斉にブーイングがリングに投げ込まれる。レスラーは笑っていた。面白そうに俺のマスクを脱がそうとする手に力を入れたり抜いたりしながら客の反応を楽しんでいる。

 俺の意識は次第に戻ってきていた。やがて正気に戻った時、最初に抱いた感情は、負けることへの恐怖や諦めよりも、怒りだった。いや、正体を晒されることに対する恐怖が怒りに転じたのか。

 気づけば俺は叫んでいた。叫びながら頭を大きく後方へ振っていた。後頭部がレスラーの鼻をとらえたようだ。

「ウガッ!」

 呻くと同時にマスクの紐にかけられていた手が離れた。俺は即座に立ち上がり、レスラーを蹴りまくった。

 体重差が五十キロ以上あるため、相手が寝転んでいる状態でも蹴ることを許されていた。俺は狂ったようにレスラーの顔、頭、喉、胸、腹、背を蹴り続けた。俺も必死だった。

 気づけばレフェリーに止められていた。レスラーは血まみれでマットに横たわっている。レフェリーストップで俺の勝ちが宣せられた。だが、客席はシーンと静まり返っていた。勝ち名乗りを受ける俺に歓声はなく、誰もが息を呑み、呆然と俺を見つめていた。中には俺に敵意の目を向けてくる者もいる。俺はいたたまれなくなり、リングを降り、そんな観客の中を控室へ向かった。

 途中、ヒソヒソ話をする客の声が耳に入ってくる。

「やりすぎだよ、レフェリーはとっくに止めていたのにな」

「頭おかしいんじゃないか。殺し合いじゃないんだからよ」

「金だよ金。金しか見えないんだよ」

「金が欲しいんだろうな。金の亡者だよ!」

「負ければいいのに」

「殺されればいいんだよ」

 驚いたことに味方だったはずの客たちが皆、敵になっていた。ショックだったが、構わなかった。俺には金が必要だ。だから負けるわけにはいかない。金の亡者と言われようが、勝って金を手にする必要があるのだ。

 俺は数々の非難の声を聞き流し、花道を引き上げた。と、それらの声とは全く異質の声が耳に入ってきた。

「おまえ、桜井だろう?」

「!」

 思わず声がした方を見ていた。だが、声の主はわからない。敵意の目を俺に向けてくる者ばかりだ。そこへまた同じ声がした。

「おまえ、桜井五郎だな?」

「……」

 やはり声の主はわからない。俺は動揺していた。

 なぜなら、俺はまさに桜井五郎だからだ。

 不安になった。胸騒ぎがした。誰だ? 組織の者か? 警察か? 関係者か? わからない。

 だが、俺はすぐに思い直した。かつての俺のファンかもしれない。俺はキックボクサーだった頃、本名の桜井五郎をリングネームにしていた。ファンならこのマスクマンの正体がかつてのキックボクサー・桜井五郎だと見破っても不思議ではない。俺はそう自分に言い聞かせ、控室へ戻った。

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