ヒットマン④

 翌朝、俺は新聞の切り抜きに印刷された電話番号に電話をかけた。電話は通じていたが、格闘技の団体から、格闘技協会に変わっていた。

 俺は出場を直訴した。相手は、試合は来週にあるが、トーナメントの組み合わせはもう決まっており、出場させられないと言う。当然だ。トーナメントに出られるとは最初から思っていなかった俺は、ワンマッチに出場させてくれと言った。だが、即座に断られる。これも当然だ。どこの馬の骨ともわからないのだから……。相手は色々と質問してきた。だが俺は、そっちへ行くとだけ言い、電話を切った。懐が寂しい。電話代の十円、二十円さえ惜しかった。

 俺は駅へ行き、ゴミ箱を漁った。朝刊は簡単に見つかった。全部の紙面に目を通す。だが、少女のことも、俺のことも載っていなかった。どうやら俺はまだ指名手配されてはいないようだ。

 安心した俺は、新宿にある協会まで歩くことにした。金のこともあるが、トレーニングのためだ。

 昨夜、公園を出た俺は、昂奮にまかせるまま、街を走った。走り続けた。走るなんて数年ぶりだ。だが、まるでランナーズハイのように、いくら走っても全く疲れなかった。

 自信が漲ってきた。筋肉痛もない。俺はやれる、そう信じ、上野から新宿までの道のりを歩いた。

 協会には、実行委員会というものがあり、その委員のほとんどが俺を知っていた。

 もちろん、鉄砲玉としての俺ではなく、元キックボクサーとしての俺だ。そして、俺の実力も知っていたが、網膜剥離でリングを去ったことも知っていた。だから、委員たちは、俺が試合に出ることに反対した。キックボクシング協会からクレームが来ると思ったようだ。クレームだけならまだいいが、それに端を発し、力のあるキックボクサーを大会に参加させないと言われかねないからだ。

 だから俺はマスクマンでの出場を提案した。ここまで来る道すがら考えていたことだ。

 驚いたことに満場一致で俺の案は受け容れられた。プロレスのようなショーではマスクマンの存在は当たり前だが、真剣勝負の格闘技の大会では未だかつて存在しない。それが逆に新鮮で新たなファン層を取り込めるのではないかと彼らは判断したのだ。

 ブランクはあるものの俺の実力を彼らは知っている。格好だけでなく、実力のあるマスクマンの登場はきっと話題を呼ぶと思ったようだ。

 俺にとってもマスクをつけての出場は好都合だ。指名手配されていないとはいえ、警察は俺が狙撃犯だということは掴んでいるはずだ。それに俺が属していた組織と、敵対する組織が俺を追っているのは明白だ。顔を晒すのはまずい。

 つまり両者の思惑が一致し、俺はマスクマンとしての第一歩を踏み出すことになった。

 ただ、改めて、今回の大会への出場は難しいと言われた。それでも、もしかしたら、怪我などで出場を辞退する選手が出る可能性もあるため、そうなった時に代役に選ばれるよう、トレーニングを始めた。事情があって住む場所や練習場所がないと言い、協会の子飼いの格闘技ジムに寝泊りさせてもらうことになった。

 三年のブランクはあるものの、パンチやキックのコンビネーションは錆付いてはいなかった。ただ、力は落ちている。スタミナも同様だ。走っても疲れ知らずだったのは、ただ単にハイになっていたせいで、スタミナ不足は明白だった。サンドバッグにパンチやキックを叩き込むと、三分と持たずに息が上がった。

 トーナメントで勝ちあがるにはスタミナが重要なポイントを占める。俺は毎日スタミナ作りと筋トレに励んだ。

 ただ、一週間では如何ともしがたく、仮に欠場者が出ても、代役は難しいと考えていたが、急遽試合が組まれることになった。協会としても、大会の目玉が欲しかったのと、次回以降の大会に向け、俺の力の程を見極めたかったのだろう。

 相手は、協会が大切に育ててきた新人で、その相手をすることになった。ブランクのある俺が相手なら、デビュー戦にちょうどいいと思ったのかもしれない。そして、俺にとっても、新人が相手だというのは都合がよかった。調整になるからだ。少しでも早く、試合勘を取り戻したいという想いがあった。

 テレビを通して、少女の情報が入ってきていたからだ。少女は相変わらず意識を失ったままだが、海外でなら、最新の治療、手術を受けられるそうだ。そしてもし、手術に問題があった場合でも、海外でなら移植も受けられるということらしい。ただ、問題はやはり金だそうだ。かなりの大金が必要らしい。

 少女とそのまわりは募金活動を始めた。そしてそれはなかなかの効果を上げているらしい。いたいけな少女を撃った憎き犯人への想いもあり、募金や寄附はかなり集まっているそうだ。だが、まだまだ足りないようで、金が貯まるのが先か、少女の体力の限界が先かという状況らしい。

 俺は早く金を送ってやりたかった。そのためにはワンマッチに勝ち、トーナメントの出場権を得なければならない。

  

 やがて試合の日がやってきた。

 一週間やそこらの特訓では、スタミナまではつけることはできなかったが、昔の貯金というものは侮れないもので、テクニック的には現役当時のレベルに近づいていた。

 相手はテコンドーの選手だったが、組み技も得意だという下馬評だった。

 俺が会場に登場すると、ブーイングの雨嵐が浴びせられた。格闘技ファンが、プロレスのようなショーは必要ないのだと叫んでいるようだった。ましてや虎のマスク。かつてプロレスの世界で大人気だったタイガーマスクのそれを模したものだけに、反発は大きかった。

 だが、俺は平気だった。昔、海外で戦った時のブーイングはこんなものではなかったからだ。大袈裟ではなく、昂奮したファンが試合後、命を狙ってくるのだ。だから、勝った試合は、その余韻に浸ることなく、リングから控え室に逃げ帰ったものだ。それに比べるとかわいいものだった。

 それに俺は、栄光のためでなく、ましてやファンにチヤホヤされるためでもなく、ただ賞金のためだけに戦うのだから、歓声など必要なかった。

 リングに立つ。

 否応なく緊張感に包まれる。相手はマスクをつけている俺を物凄い形相で睨んでいる。真剣勝負の舞台にマスクをつけて上がるなどもってのほかだという顔だ。新人のくせにいい度胸だ。その相手の顔を見た瞬間、俺は緊張が解けた。

 相手を殺す……現役の時の闘志が甦ってきた。ゴングが鳴る。相手がいきなり踵を落としてくる。まるでスローモーションに見えた。網膜剥離の目でも充分見切れた。俺は軽くステップを踏み、ローキックを放った。相手の左膝が内側に曲がる。キックの流れのまま、俺の右ストレートが相手の顎をとらえた。得意のコンビネーションだ。

 キックボクシングのものよりもかなり薄くて軽いグローブでのパンチの威力はハンパではなかった。まだまだパワー不足の俺でも相手にダメージを与えるには充分だった。脳が揺れた相手は白目を剥き、泡を吹いた。秒殺だった。

 一瞬静まりかえった観客席から地鳴りのような、地響きのような歓声が荒波のようにリングに押し寄せてきた。さっきまでのブーイングが嘘のような賞賛に満ちた歓声だった。 

 虎を模したマスクにタイガーコールが沸き起こる。格闘技ファンは、実力ある者には素直に拍手を贈ることができるようだ。

 俺は適当に手を挙げ、歓声に応えると、賞金百万円の目録を手にし、リングを降りた。

 息も乱れていなかった。

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