第268話
「貴方様こそ、この世界をお救いになる救世主様です!」
人の国の王を名乗る者がやってきたのは、アンナが15歳の頃。
今まで、誰もアンナに見向きもしなかったというのに、今更自分たちを助けろと言ってきた。
どうやら、魔族が魔物を引き連れて攻めてきたらしい。
魔族とてこの世界の住人だろうに、この世界は人間のためにあると言って憚らないその姿勢に、我は嫌気がさす。
だが、お人好しのアンナに、私のような捻くれた考え方は出来ない。
「わかりました!皆さんのために、微力ながら協力させてください!」
10年近く私が面倒を見て、美しく成長した彼女は、それでも未だに村に馴染めずにいた。
厭らしい視線を送ってくる男もいたが、大半の住民は、昔と変わらずアンナを毛嫌いしている。
私以外と会話らしい会話もせず、国という共同体の利点を傍受できず生活してきたアンナに、この国の長がどの面を下げてやってきたのだろうか。
……まあ、相手の善意に漬け込むための、弱りきった顔だったのだが。
「ホーリーフィールド!」
アンナの光魔術によって、魔物は近寄ることすらできなくなる。
そこからは、我の仕事だ。
魔力を刃にして切り裂き、翼を打ち付けて叩き切る。
密集しているなら、魔術で消し飛ばす。
そうしてアンナと共に戦場を駆け抜け、3年の月日が流れた。
常に最前線に立たされ、戦いが終われば、傷を負った兵士や市民の怪我を治す日々。
我は、堕ちたとはいえ天使。
この程度何の問題もなかったが、聖女という規格外のギフトを与えられたとはいえ、人の子であるアンナにとっては、地獄以外の何物でも無かっただろう。
人の子たちは、アンナに喝采を送る。
「聖女様!聖女様!」と。
共に前線に立つ兵士たちは、アンナがどれだけ身を削ってここにいるのかを理解している。
だからこそ、自然とアンナと共に戦うという一体感が生まれた。
聖騎士などと名乗る者たちまで現れていた。
しかし、ただただ国が歪めた話しを聞くだけの者たちは、聖女は楽々と敵を打ち倒し、この世を守ってくれる救世主。
事実を知っている者たちは、既に魔族や魔物との戦争を追えた後の利権争いに執心している。
自らは何もせず、ただアンナへ期待するだけの愚劣な者共。
「うーん……流石に今日は疲れたねーゼルエル!」
「……何故、そこまで頑張るのだ?お前に良くしてくれた者など、殆どいないだろう?」
「え?だって、皆が喜んでくれたら私も嬉しいし、ゼルエルだって本当はその方がいいでしょ?」
ボロボロの体で、あっけらかんとそう言い放つアンナに呆れてしまう。
いくら聖女とはいえ、毎日のように力を限界まで使い、更に緊張状態が続いていれば、当然体にもガタがくる。
それだけではない。
アンナとともに戦っていた我は、いつの間にか精霊へと至っていた。
精霊は、強い力をもった者と契約し、魔力のリンクを確立させなければ、この世界に留まることができない。
契約者には、我が魔力を使って戦うだけで、多少なりとも負担がかかる。
「そっか……じゃあ契約しよっか!」
「良いのか?もう一生我と離れられんぞ?」
「うん!だって、ゼルエルとずっと家族でいられるってことでしょ?」
「家族……まあ、そう言えなくもないのか……?」
考える素振りすら見せない。
そんな彼女の反応に、嬉しさを感じてしまっていた。
アンナにとって、私が家族だというその事実だけで喜ぶ私も、何かがおかしくなっていたのかも知れない。
だから、目を背けてしまった。
アンナが、この戦いが終わる前に、擦り切れてしまうかも知れないという事実からは。
「……あれ?おかしいな……右目が見えない……」
「うーん……手の感覚が……痺れてるような……」
「脚に力が入らないや……」
あと少しで魔族を奴らの領域へと追い払えるという直前、アンナの体はどんどん壊れ始めた。
まるで、今まで無理やり動かしてきたツケを払うように。
それでも、人の子だちは、アンナへの期待をやめない。
王は、アンナの生まれたあの小屋を取り壊し、巨大な聖堂を作ってくれるそうだ。
誰がそんな事を頼んだのか?
「……ねぇ、ゼルエル……いつか、私が生まれ変わっても、友だちになってくれる?家族になってくれる……?」
「……我に寿命は存在しない。数千年先にお前が転生したとしても、そこに我がいると約束しよう。必ず、アンナにとって住みよい世界を作っておいてやる」
「別に……私は、ゼルエルさえいてくれれば……。ついでに、皆が笑顔でいられる世界だったら……嬉しいな……。ゼルエルは、実は優しいから、そうじゃないと悲しんじゃうし……」
「バカを言うな。アンナのほうがそういう傾向にあるだろう?」
「……やっぱり、私達って……似た者同士ってことなのかな……?」
そんな訳がない。
我の内に今あるのは、アンナのような清らかな想いじゃない。
アンナを利用していた者たちへの憎悪、それを抑える事ができそうにない。
アンナさえ望んでくれるのであれば、魔族も人の子も寄せ付けずに、2人だけで暮らしていきたかった。
アンナがそれを望まないと思ったから、こうして人助けにも付き合ってきた。
だが、そのアンナがもういないのであれば、我慢の必要もない。
我がこれからやるべきことは、アンナが何れまたこの世界に生まれ落ちるまでに、ゴミを処理しておくことだ。
聖女としてその身を使い切ったアンナには、記憶を受け継いだまま、幸せに生きられる場所に転生する権利が与えられるはずだ。
それが、我ら天使が行ってきた仕事だから、きっとアンナもそうなるだろう。
アンナを利用してきた者たちを片付けるには、皆殺し等という方法ではダメだ。
もっと、奴らの行ってきたことが跳ね返ってくるような方法のほうが良い。
だから我は、人の子らの信仰の力を利用することにした。
どんなに清廉潔白な者が作り出した宗教だとしても、いつかは腐敗し、そして制裁が加えられる。
なので、より無能で、欲望に忠実な者を頂点に配置し、効率よく腐りきっていくように仕向けよう。
我は、契約者がいなくなってしまった精霊故、地上に居続けることはできない。
精霊の住処からこちらに来るには、ある程度の儀式が必要だ。
生贄か、何年も空気中から吸い上げ溜めた魔力を使った召喚を行わせる。
そうすることで、数刻だけの権限が可能。
契約者を新たに選べば、またこの世界に居続けることも可能だろうが、アンナの他に契約者を作る気にもなれない。
だから、我が居ない間にも勝手に勢力を広げ、腐っていくような組織に仕立て上げた。
名を、『教会』。
創造神と伝えられるリスティ様と、彼女に遣わされた聖女という存在を信仰する宗教。
アンナという名前は、敢えて残さないようにした。
彼女の名前を、もう人の子らに呼ばせたくなかった。
腐敗が腐敗を呼び、面白いように教会は大きくなっていった。
金で巨大化する様を見続けるのは、自分でそう仕向けたとはいえ、乾いた笑いが出た。
といっても、我は精霊の領域から眺めることしかできなかったのだが。
全ては、人の子らが自発的に行ったこと。
これだけ醜ければ、もしかしたら、転生したアンナも人を守ることを諦めてくれるかも知れない。
だが、我の予想に反して、たった数百年でアンナは転生してきた。
まだ、この世界を綺麗にし終えていないというのに……。
と言っても、教会に関わらなければ、幸せな人生を送れるような場所に生まれているはずだ。
……まあ、アンナがそんな平穏な人生を送ってくれるわけはないだろうとも思っていたけれど。
記憶は引き継いでいても、転生したアンナに聖女のギフトは宿っていなかった。
にも関わらず、アンナは聖騎士という立場に収まり、そして理不尽な殺戮の被害者になる筈だった者たちを秘密裏に助け出していた。
我が作り出した腐敗が、アンナを苦しめてしまっている……。
それが辛かった。
「この魔女め!リスティ様を裏切るとは、貴様に生きている資格など無い!」
「……リスティ様は、きっとそんな事望んでいないと思うんです……。この教会の教えは、間違っています……!」
「ふんっ!よくもまあ、右目をくり抜かれ、顔を焼かれ、手足の腱を切断されても、そうやって強情に抗えるものだな!」
「……だって、いつかきっと、私の友達が……家族が……助けてくれるから……」
「お前に家族などいないだろうが!既に全員粛清されたぞ!」
「……そう……ですか……。でも、貴方達が知らない家族もいるんです……」
「では、其の者も処理してやろう!首をもってくれば、貴様でも悔い改めるであろうよ!」
「……無理ですよ……貴方達が勝てるわけがない……」
気がどうにかなりそうだった。
私がやった何もかもが、今アンナを苦しめている。
それを私は見ていることしかできない。
召喚が行われれば、偽りとはいえ、大量に集めた神性によってどうとでもできると思う。
魔力は十分に溜まっているから、召喚陣の起動さえされれば、生贄がいなくとも強制的に顕現できるが、あの無能の教皇がそこまで追い詰められる事態が中々起きないようだ。
それを待っている内に、アンナは拷問に反応しなくなった。
生きてはいるけれど、それだけ。
全ては、遅すぎた。
我が愚かなせいで、またアンナに辛い思いをさせてしまった。
共に暮すということすらできそうにない……。
そんな状態になって初めて、我を召喚せざるを得ない状況に陥ったらしい。
ニホンに生まれたという新しい聖女の婚約者を暗殺しようとした法皇に、相手が逆に攻めてきたようだ。
といっても、生贄がいないため、我が強制的に割り込み、ストック分の魔力で顕現した。
アンナは、今回の人生でも、転生をさせてもらえるほどの功績を上げていた。
だから、次のアンナの人生のために、我は今のこの世界に生きる者たちに、せめて可能な限りの絶望と死を与えることにした。
それすら満足にできず、返り討ちにあった辺り、情けないにもほどがあるが……。
意識が浮上する。
どうやら、我はまだ生きているらしい。
あの時、咄嗟にこの国の者たちの周りに結界を張って、瓦礫や崩落から守ったはずだが、いくら敵とはいえとんでもないことをするやつだった……。
無理に力を使ったせいで、もう神性は微塵も残っていない。
空っぽすぎて、いっそ清々しいほどだ。
「気がついたか?」
あの男の声が聞こえる。
それも、すぐ近くから。
「……人の子よ、お前も結局生き残ったのか?」
「まあね。自分の頑丈さにビックリだわ」
「……トドメを刺すと良い。そのためにそんな近くにいるんだろう?」
目覚めたばかりなせいか目がぼやけて、相手が見えない。
そんな私に困惑した雰囲気が伝わってきた。
「いや、別にそんなつもりはもうないぞ?多分、お前はそういうことする気も無くなると思うし、何より貴重な人材だから、殺すより利用することにした」
……やはり、コイツは悪魔なんじゃなかろうか?
どういう条件を出すつもりかわからないが、相手を利用するという発想をさらっと出せる辺り、現代人としては多少おかしい奴なのだろう。
「我は、どんな条件を出されようが、お前の下につくつもりはないぞ。さっさと殺すと良い」
口では強がるが、そもそも何の反撃も出来そうにないからこその発言だ。
相手はそれを、笑って流しながら話す。
「いやさ、ここは飛行機の医務室で、俺は今お前のとなりのベッドで固定されて寝てるわけ。トドメも何も、指一本動かすのすらキツイんだ」
コイツは馬鹿なのか?
あの自爆行為は、何か自分を守る方法があるから行ったわけじゃなかったのか?
「それと、お前を引き入れる条件だけれど、反対側のベッド見てみろよ」
「……何?」
ようやく見えるようになってきた目で、言われた通り、反対を見る。
「……あ」
「麻酔と点滴打たれて寝てるけど、帰ったら聖羅……聖女が治してくれるから安心しろ。ってかな、その人が、寝る前にそのボロボロの体で懇願したからこそ、そういう温情あふれる対応になっているってこと自覚しろよ?本当だったら、切り捨てられても文句言えないんだからな?……まあ、流石にあの街全体に瓦礫が降り注ぐような事をやったのはやりすぎだったかなって気もするし、それを結界で守りきったお前に何の褒美もなしじゃまずいかなって俺の理性が……。こっちの仲間も結界を張ったらしいけれど、それとは別に自分たちまで結界で守ってくれたらしいって言ってたし、流石は神性持ちだってうちのエルフも魔族も褒めてたぞ。その割に、俺には結界が張られてなかったような気がするんだけれどそれは……」
男が、何か言っているようだったが、もう我の耳には入っていない。
聞こえていたのは、たった1人の家族の寝息だけだったから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます