第267話
彼女は、何の前触れも無くやってきた。
「ねぇ、アナタはだれ?」
年端もいかぬ少女が、神の力をもっていなければ開かないはずの封印の扉を開け、我に話しかけてきた。
もう、どれだけこの場所にいたのかもわからない、そんな長い間閉じ込められていた我にとって、彼女は光そのものに見えた。
「私、聖女っていうギフトをもってるの!」
その少女は、我を繋ぎ止めていた封印の鎖をいとも容易く解いた後、そんな事を口にした。
聖女といえば、人の子に与えられるギフトの中でも最上位のものだ。
神の力を人の身のまま扱うことを許された、規格外の恩寵。
神に愛され、人々に愛されるべく存在するもの。
そんなギフトが人の子に与えられるということは、神は余程人という種族が好きなのだろうか。
我は、神に直接会ったことはない。
上位の天使を介して、神の意思を承るだけだ。
我の役割は、地上で規格外の存在を見つけ場合、死語その魂を展開へと連れ帰る事。
それが、我がこの世界に産み落とされた時に、存在意義として言い渡された事。
だから、何も考えず従った。
疑うという発想すら無かった。
何百年、何千年とその役割に殉じ、数々の魂を持ち帰った。
時には、自らそのイレギュラーを狩り、持ち帰ったこともある。
種を逸脱したような強者の中には、寿命を持たないものもいたからだ。
待っていた所で、いつ死ぬかわからないのであれば、さっさと狩ってしまったほうが早い。
そんな横着をしていたことが神にバレてしまった。
というより、最初から神はすべて承知だったらしい。
それでも、我が反省し、行動を改めるかどうかを見ていたらしい。
だが、我にはそれが悪いことだという発想自体が無かった。
上位の天使による叱責で、初めてそれがルールを破る行為だと知ったくらいだ。
この事が原因で、我は封印された。
刑期は、「人に救われるまで」という曖昧なもの。
何万年と指定してくれればまだマシなのに、そんないつ来るかもわからない事態を指定されてしまうと、こちらとしても心の準備もできず、ただ毎日誰かが救いに来てくれるのを待つ日々を送ることになってしまった。
誰が来るのか?
どんな者なのか?
どんな格好か?
男か?
女か?
まさか、両性……無性?
生まれて初めて、我は、自らに与えられた役割とは全く関係がないことで頭をいっぱいにした。
来る日も来る日も、その日が来るのを夢見て待った。
皮肉なことに、1人になって初めて我は、我という個を獲得したように思う。
そうして訪れた待望の待ち人が、まさか少女だとは思わなかったが。
「へー!アナタって天使だったのね!天使って本当にいたんだ!?」
我が封印されてどれだけの月日が経ったのかわからないが、少なくとも外では、天使という存在自体が伝説となっているようだった。
我々天使は、神の許可か、力あるものとの契約によって地上に楔を打たなければ、数刻と待たずに天界へと強制送還される。
だから、人の子の短い人生では、そうそう目にする機会もないのかも知れない。
……もしくは、天使の仕事が必要なくなるような世界になっているのかも知れないが……。
「じゃあ、なんでアナタはここにいてくれるの?」
少女に問われ、確かに、と自分自身で気がついた。
我は、少女によって封印が解かれてから、もう既に数刻以上ここにいる。
にも関わらず、天界に戻されていないのは何故か。
その答えは、我の翼から舞い落ちた羽を見た瞬間にわかった。
黒。
その羽の色は、我が堕天使となっている事を表す。
堕落した天使の証だ。
堕天使は、天界に帰ることを許されない。
そうか……封印を解かれても、我は許されなかったのか……。
「じゃあ、ずっと一緒にいてくれるの!?」
我がそう伝えると、その少女はとても喜んだ。
堕天使相手にその反応はどうかと思ったが、それも彼女の家だというボロボロの建物まで連れて行かれて、初めて納得してしまった。
彼女が生まれたという家は、なんとか形を保っているだけの、ただの廃墟だった。
彼女が言うには、父親はでかけてからもうずっと帰ってきていないらしい。
母親は、奥のベットで寝ているという。
そう言われ赴くと、そこには白骨が横たわっているだけだった。
彼女には、死というものを教えるものすらいなかったのだ。
周りの者は、なにをしているのかと思ったが、どうにもこの家に関わるのを避けているようで、その原因が彼女にある事は、漏れ聞こえる会話で理解した。
黒髪黒目の母親と、黒髪茶目の父親から生まれた彼女は、金の瞳と髪を併せ持った特異な容姿をしていた。
聖女だからといって、別にそうなるわけではない。
これは、遺伝によるものだ。
彼女のもつ因子の組み合わせが、たまたまそういうふうに発現しただけ。
そう説明しても、愚かな人の子には理解できない。
彼らは、ただただ、彼女が母親の浮気によって作られた子だと噂し、距離を置くだけ。
恐らく、父親もそう信じてしまったのだろう。
結果、彼女はこうして1人で、躯となった母とともに暮らしてきたのだ。
1人で森に入り、食べられるものを探して、なんとか生きながらえてきた。
我が封印されていた場所にきたのも、たまたま食料を探して入り込んだ場所だったというだけ。
彼女が食料としていたのは、米でもパンでも肉でもなく、大半が草や虫だった。
街に行くと石を投げられるからと、残飯すら浅れない彼女が得られる数少ない幸がそれだった。
人の子が、子供1人で生きるということ。
それがここまで壮絶なものかと、我は戦慄した。
……我はそんな者たちを、いつ死ぬかわからないからと狩っていたのか?
自分の行いが恐ろしくなった我は、自己満足の罪滅ぼしのために、手近な魔獣を狩って、少女に肉を与えた。
人の子のために火を起こしたのは初めてだったし、そもそも調理という行為自体初めてだった。
今思えば、血抜きをしないどころか調味料も何もなく、ただ焼いただけのそれは、料理として酷い出来だったことだろう。
だが、彼女はそれを満面の笑みで食べた。
「おいしい!初めてお肉食べた!」
聞けば、彼女が物心ついたときには既に、彼女たちに対する周りの目は、このような状態であったらしい。
それ故、両親もまともに稼ぐことが出来ず、口にするものも非常に貧しい品ばかりだったようだ。
ギフトカードなどという女神の奇跡を与えられながら、女神への信仰すら薄いこの地では、聖女というギフトですら何の役にも立たない。
奇跡のような回復の技も、汚れが伝染るというわけのわからない先入観によって、誰も受けようとしない。
結果、この少女は、こんな見窄らしい生活をしていたのだ。
「ねぇ!アナタの名前はなんていうの!?」
名前を聞かれたのは、初めてだった。
名乗ったのも、初めてだった。
「私はね、アンナっていうの!お母さんがつけてくれたんだ!ねぇゼルエル!私とお友達になって!」
友ができたのも、初めてだった。
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