第64話

 温泉(hot spring)、それは、世界中で太古の昔から愛されてきた文化である。




 プレートが複雑にぶつかり合っていて火山が豊富な日本は、その国土の至る所に温泉が湧いている大温泉地帯だ。


 その種類も様々で、ものっそい硫黄臭いものから、殆ど臭いのしない透明なものまである。


 中には、あまりにも濁っていて、入浴すると自分の体が見えなくなるほど、なんて場所すらある。


 他にも、温泉等の地熱を利用して温まった砂で暖を取る砂風呂や、温泉の蒸気をケツに当てて痔を治す痔蒸しなんていう変わり種もある。




 そして今俺はまさに、その温泉へと来ていた。


 なんと、この神社にある大浴場は、立派な温泉だった。


 この神社に祀られている武田家の御先祖様の戦闘の余波で湧いたらしく、それ以来ここは代々温泉施設として利用されているらしい。


 といっても、一般開放されている訳ではなく、神社の関係者が身を清めたり、神社へとやって来て滞在する客が利用する物らしい。


 その為だけに大浴場なんてものが維持されているんだから、やっぱり金持ちってのは違うなぁ……。


 俺の前世だと、デカい温泉施設はどんどん潰れていたけれど、ここはきっとそんな心配も無いんだろうな。




 理衣たちが滞在させてもらっている客間の風呂も温泉らしくて気になっているけれど、流石に女の子が泊ってる部屋に風呂入らせてくれって言いに行くのもさ……その……アレでしょ?


 因みに、武田家本邸……というか、会長の家族たちが使う風呂は温泉ではないらしい。


 温泉入りたいなら大浴場でもなんでも行けばいいだろう?


 俺は普段は普通の風呂に入りたいんだ!


 という当主(つまり先輩のパパ)の意向で、近代的なシステムバスになっているらしい。


 大きさだけはかなりの物だそうだけど、維持費は温泉を使う場合の数十分の一とかで、経済的ではあるらしい。


 温泉に飽きたらそっちも使っていいそうなので、それはそれで楽しみだ。


 その当主とエンカしたら、あの様子だと殺されかねんが……。




 脱衣所に入ると、既にそこは一般家庭の風呂場の比ではない床面積がある。


 しかも、建物すべてが木造なのか、ヒノキとはまた別のいい匂いがする。




 あれ?


 この匂い割とこの世界に生まれてから嗅ぎなれてる気がする……。


 もしかして、これもトレントか?


 アイツらこんな所にまで使われているのか……。


 まあ、上位の魔物らしいから、水気にも強いし腐らないし強度も弾性も高いとかで凄い優秀らしいからなぁ……。


 そりゃあんな地の果てまでバイヤーが買い付けに来るよ……。




 服を脱いで、袋に入れてから籠に入れる。


 この脱いだ服たちは、後で武田家の使用人さんたちが洗濯してくれるらしい。


 だから、俺は風呂から上がったら浴衣に着替えるのだよ!


 いやぁ!温泉といえばこれだよな!


 部屋から着て行く人もいるのは知ってるし、それがメジャーなんだろうけれど、俺は温泉で体を奇麗にしてから着たいんだよなぁ。


 というわけで、畳んだままの浴衣とパンツも籠に入れておく。




 準備はできた。


 いざ湯かん。




 浴場のドアを開けると、先ほどまでより更に強い木の香りがする。


 更に、独特の硫黄臭もする。


 不思議な事に、この浴場の中に入るまで硫黄の香りは全くしなかった。


 神社の敷地内でもだ。


 もしかしたら、何か仕掛けがあるのかもしれない。


 それこそ、会長のお母さんが張った結界とか。




 それにしても、浴場も当然ながらデカい。


 流石は大浴場と銘打つだけはある。


 下手な温泉つきのホテルよりも大きいぞ。


 見た所、屋内に湯舟が2つと水風呂、あとサウナがあるようで、後は洗い場だ。


 そして、大きな窓の外には露天風呂が見える。


 この手の外が大きく見える風呂場は、よくある演出ではあるけれど、それだけにワクワクさせられる。


 窓の外は日本庭園のような設計になっているようで、これだけでも温泉旅館に来たような気分にさせられて嬉しい。


 いや、温泉旅館ではないんだけどもな。


 神社だよここ。




 とりあえず、まずは体を洗おう。


 俺は、普段自分の家で風呂に入る時は、バババっと体をお湯で流してからさっさと湯船に浸かって、その後体を洗いたい派だけれど、流石に他の人たちが入る温泉だと体を先に洗う事にしている。


 もっとも、湯船から上がってからもザザっと体を洗うんだけどさ。


 体から温泉の匂いがするの嫌だし……。


 というわけで、はやる気持ちを押さえながら5分足らずで身を清める。


 これで、俺を縛る枷は無くなった!




 さて、まずはどこから入ろうか?


 屋内の湯舟は、片方は石造りの普通の湯舟で、もう一つは泡が出てくるジャグジーみたいな感じだ。


 それにしても、偶々なのかこの大浴場には今、他に利用者がいないらしい。


 ならば、まずはジャグジーから順番に全て堪能してやろうではないか!




 泡立つジャグジーへと入る。


 ここは、泡は出ているけれど、そこまで湯温が高いわけではないらしい。


 永遠に入っていられそう……。


 ハァあああああ…………。


 おっと!


 堪能はしているけれど、このままだとこれだけで終わりそうだから次へ行こう!




 今度は、石造りのオーソドックスな湯舟だ。


 手を入れてみると、先程のジャグジーよりは湯温が高めだな。


 足からゆっくりと入浴し、熱さに体を慣れさせていく。


 この時、体を可能な限り動かさないのが重要だ。


 これによって、体の周りにバリアのように低めの湯温の層ができるので、多少熱くても耐えられるようになってくる。


 これは、サウナでも同様らしいから、気になる人は試してみたらいい。


 じっと動かないのがコツだ。




 それにしても、この硫黄臭がまた温泉らしさを感じさせてくれていいなぁ……。


 はぁぁぁぁぁぁぁん……。




 次行くか。




 今度はサウナへと入った。


 俺は正直あまりサウナは好きじゃない。


 何となく体に悪いような気がするからだ。


 特に、サウナで温まってから水風呂に入って整うとかいう状態はかなりヤバイのではないかと思っている。


 だから、軽くしかやらない!






 ああぁぁぁぁぁ……水風呂きもちぃ……。


 キンキンに冷えている訳じゃなくて……温水プールくらいの温度で俺にとっては丁度いい……。




 最後は、お待ちかねの露天風呂だ!


 これはあくまで個人の意見なんだけど、露天風呂は夜に入るべきだと思う。


 薄暗いから、何か沈んでいてもわかりにくいからだ。


 だって、明るい時間帯に露天風呂はいると、結構虫が沈んでるのが見えちゃってなぁ……。


 暗くなってからであれば、じっと探しでもしない限りそうそう虫なんて見えない場合が多いし。


 まあ、入るとしたら夜間明かりがついている時間帯なんだろうけれど……。




 この露天風呂は、景観が良いわけではない。


 あくまで、外でお風呂に入っているという状況が気持ちいだけだ。


 海辺の露天風呂なんかだと、外が思いっきり見えてそれはそれで気持ちがいいけれど、ここの場合は周りの日本庭園みたいな造りが楽しいので、これはこれでアリだろう。


 俺は好きだ。


 お湯の温度は多分屋内の方の普通の湯舟と違わないけれど、湯から出ている体の部位が外気によって冷やされるのと、湯に温められている体の部位とのバランスが非常に良くて、ここはここでいつまでも居たくなってしまうな……。




 その時、露天風呂へと出てくる出入り口が開く音がした。


 完全に油断していた俺は、びくりとそちらの方を見てしまう。




「……おや?先客がいたのかい?驚かせてしまったようで悪かったね」


「いえいえ、あまりに気持ち良くて魂が抜けかけていただけですので」


「ははは!そこまで喜んでもらえているならこの神社の住人としても嬉しいよ!」




 そう言って、入って来た男性はそのまま露天風呂へと体を沈めた。


 ……ん?今神社の住人って言ったか?


 使用人も住んでるのかもしれないけれど……もしかして……。




「すみません、勘違いなら申し訳ないのですが、もしかして水城先輩のお兄さんですか?」


「ん?水城を知っているのかい?確かに僕は、水城の兄の信醸しんじょうだよ」


「やっぱりそうですか。お兄さんは、この敷地内で家を別に建てて暮らしていると聞いたので、もしかしたらと」




 そう考えると、確かに会長や絹恵さんと似ている気がする。


 ただ、眼鏡をかけていて、優しそうで理知的で大人しそうな雰囲気がするので、お父さんとはやはり似ていないな……。


 あのムキムキマッスラーも、筋肉落としたらこんな感じなんだろうか?




 いや、あれは骨格からして違う気がする……。




「そういう君は、妹のボーイフレンドか何かなのかな?」


「ただの後輩ですよ。犀果大試と言います。山狩りのバイトで来たんです」


「あー、はいはい。そう言えば、妹がそんな事を言っていたね。頼りになる助っ人を連れて行くからって連絡を受けていたよ。近年、裏山に発生する魔物が段々と強くなってきていてね……。それと比べて、戦える者たちの質は落ちていて、なかなか大変だったんだ」




 そう言いながら、お兄さんは湯を手ですくい、顔をバシャバシャと洗う。


 なんかこれやっちゃうよな。


 わかるよ。




「……それにしても、あの水城がねぇ……」


「……?何かあったんですか?」


「水城が誰かを家に招くなんて初めてだったからさ。大試君たちは、よっぽど信用されているんだね」


「どうなんでしょうか?まあ、色々一緒に解決したってだけで、そこまで信用も何も無い気がするんですけれど……」


「いやいや、誰かと一緒にって事が水城は下手だからねぇ。水城は、本人がすごく優秀だから、何でもかんでも自分で処理しようとため込んで、それで無理しちゃいがちなんだ。生徒会長になるって聞かされた時も大丈夫かなって心配していたんだよ。でも……うん、こうして君たちを頼れているなら、とりあえずは大丈夫かもしれないな」




 そう言ってお兄さんは、優し気なその顔をさらに優しくして、何かを思い出すような表情になる。


 昔の水城先輩の事でも思い出しているんだろうか?


 俺が知っている先輩は、ソフィアによるエネルギー補給が無ければパンクしてしまう危うい存在だったけれど、これでもマシな方だったのかもしれない。


 ここ数日は、とりあえず早朝に俺の部屋のベッドで寝れば何とかなっているらしいから、確かに頼られているのかもしれない。


 頼り方は歪だけれど。




「大試君、できれば学園での水城の事を教えてくれないかな?やっぱり本人に聞いたとしても、なかなか教えてくれないからねぇ」


「いいですよ?じゃあまず、ソフィア欠乏症について……」


「え?何だいそれ?ソフィアって昔飼ってた猫の事かい……?ごめん……流石に最初から意味が分からないよ……」


「ですよね……」




 その後、夕食の時間になるまでお兄さんと話した。


 温泉って、どうしてこうも知らない人とぐだぐだいつまでも話しちゃうんですかね……?






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