第三十一話 迷人
「すいません。ここってカイロ売ってますか?」
「え、え゙え、カイロ!?まぁ、あのありますけど…。少し待っててください」
難波駅の近くにある薬局。
このどあつい八月中旬に対し、僕はあり得ないほどの厚着をして入店を果たした。
「…暑くないんすか」
「手、触ります?」
「うっす…」
キンキンに冷えた手を差し出すと、ありえないみたいな顔をされ、すぐにカイロの入った小箱を手渡してくれた。
まるで死体でも見るような目で、マフラーとカーディガンに身を包むボクを見送ってくれる。でも、今のボクにとっては、これでもまだ足りないくらいには薬局の冷房は寒かった。
「やっぱ室内はダメだ。ギリギリおんなのこになっちゃうからな」
ボクがこんな体になってしまって、三日が経った。
銀髪の女に襲われた後のことだ。
冷房の効いた部屋で目が覚めると、周りが人で囲まれていることに気がついた。
「なんで鍵が掛かってたの?」だとか、「こんな女の人知らない」「レイくん達はどこだろう」とかいろいろ聞こえる。声を出す前に、自分がすごい悪寒で身体が震えるのが分かった。
まず第一におかしいのが、視線の高さだ。
自分は中学でも一番先頭をはれる背の低さだったはずなのに、パイプ椅子からでも分かってしまう「人を見下ろす感覚」。
そして、肩におちる髪の感触。自分のさらさらストレート髪でも、こんな腰までの長さでは無かったはずだ。
極めつけは、有るはずない胸の感触。有るはずの下の存在の消失。
いつの間にか、女の人になっていた。
ボクはひいい、と声を漏らした。
自分が自分じゃないような、とんでもない奇妙な感覚に耐えられなくなり、周りを囲む生徒や先生を押しのけて外へ飛び出していった。
玄関口をばっと開けると、クーラーの冷気から抜け出て、自分がぬるい熱気に覆われるのが分かる。
そうして、すごい目眩と共に自分が溶けるような感触に包まれ、その場でうずくまった。
全身が痛くて痛くてたまらなくて、そのまま這いずって家に帰ることに。
それから三日は家に閉じこもって、とんでもない「成長痛」と戦うことになる。
「すいません、新幹線の切符の買い方がわからなくて…」
「おやぁ、可愛いお嬢さん。一人旅かな?今教えてあげるからねぇ」
ボクが分かったこと。
『ボクの体は、寒さを食って女になろうとしている』
成長痛の治まった今。
この体と戦いながら、アケビを助けなくてはならない。
奨励会の試験を控えた僕たちが、神様の気まぐれで消されてしまう前に。
こんな理不尽に踊らされ、殺される前に。
「アケビ、恥ずかしいからあんまじろじろ見ないでね。…ボクが全部良くなるように頑張るから、だいじょうぶだよ。クソ銀髪の思い通りになってたまるかって…」
コンビニで買ったおにぎりを、新幹線の中で食べる。
きっとアケビも居るんだろうと思って、アケビの分もおにぎりを買ったけど、結局それが減ることも動くことも無かった。
ほんとうに、見えなくなっちゃっただけなのかな。
「…よくない。もっと前向きにならなきゃ」
ボクがため息をついた、その時だった。
目の前が真っ赤になり、周りの乗客が忽然となくなって居ることに気がつく。
「な、なに、え?」
運転はしている。景色は動いている。
のに、この新幹線の中だけおかしい。明らかに異空間になってしまった。
目をこすり、あたりを見渡す。
どうやら、この赤い視界は、照明の色ではない。明らかに赤い空気?粒子でここが満たされているという感じ。
「だ、だれかっ」
ボクは次第に、自分の体が緊張で冷たくなっていることに気がついた。
手足が冷たくなるにつれ、髪がぶわっと伸びていく。そのまま席を離れようと動いた拍子に、急に身長がグンと伸びて思わず尻もちをついてしまった。
「そ、そういうのもあるの…?!」
立ち上がろうとした瞬間。
ゼロ距離で、ボクの鼻をかすめて、誰かがボクの前に立ちはだかった。
『くれぇえええええええ』
松の木だ。
松の木に、歪んだ顔がいくつもいくつも浮き上がっていて、ボクに叫んでくる。
『なぁなーーーあーーーーーー』
声が出なくなって、その場にへたり込んだ。
床に手をつくと、極限まで手を冷やしたせいか、霜がたちまち広がり始めた。
そのうち口からは白い息が。まずい、このままだと自分が制御出来なくなるかもしれないと焦る。
「はやっ、…はやくこっから出せっ!!!!」
『ぁ゙あ゙ーーーーーっアーーーーーー!!!!!』
木をつんざく叫び声で、鼓膜が千切れそうになる。
思わず手で、木にある大量の口の一つを押さえた。
「うっさいーーーーーっ」
ぱきぱきぱきっ
松の木に氷が張る。
「な、すご、どうしてっ」
霜しか出せなかった自分の手から、大量のゴツゴツした氷が飛び出す。
理由がわからずおろおろしていると、松が怒ったように、根をバシンバシン床に叩きつける。
ボクは半分興奮状態で、抜けた腰を引きずりながら後退しようとした。
『ーーーーっ!!!!』
「あああこわいいいいっ」
ずっと抑えてた言葉が口をぬけ、とうとう根に吹き飛ばされそうになる。
駄目だと思った、その時だった。
「『お前は僕が捕まえた。お前は僕が捕まえた』」
目を恐る恐る開く。
眩しい光で小さく唸ると、誰かが肩をポンポンとしてきた。
「だいじょうぶですよ。触り神はもういません」
優しい男の子の声で、ようやく自分がどこにいるか思い出す。
「怖かったですよね。どこか痛いところは…?」
「なっ、なんで…、おんみょうじ…?」
ぼやける頭で、男の子のほうを見る。
丸眼鏡で耳飾りをしている。
よく見ると三つ編みを小さく後ろでしていて、半そでパーカーに短パンと、涼しい格好をしていた。
警察とか、そんな凄そうな人には見えないけど、なんだか圧を感じる。
なぜかその人の手には、古くてボロボロの本が握られていた。
「突然なんだけど…、どうして触り神の
「わっ、わからない…。きづいたら居た」
「そうなんだ!!…じゃあ、なら…、どうしよっかな…」
ボクは、彼の尋問に心臓が張り裂けそうになった。
でも、どこかで期待をしていた。
あの、ボロボロの本は。
もしかしたら。
「これからどこに行く予定だったの?」
「あ、愛知です」
「なるほど。その後は、なにをしようとしてた?」
「…おばあちゃんに、会いに…」
「なるほど…。なにか最近変なこと無かった?銀髪の変な女の人に恐喝されたとか…」
銀髪?
銀髪の変な女…??
そんなの、日本に何人も居られたら困るし…。
「ソイツだよ!!!おにいさん知ってんの!?」
「うわーっ!!やっぱりそうなのかぁーーっ」
おにいさんが明らかにマズいと言った表情で、頭をがーっと抱えた。
ボクは思わず取り乱した。頭が混乱している。
もし、もし彼が、あの人なら。
「名乗って!!なまえ!!!」
「あ、うん!!!「野々瀬千代太郎」って言います!年齢は二十で…、京都と東京を主に拠点としている陰陽連公認の祓い屋です!」
ボクは、思ったより彼が年上だったことを知り、尻もちをついた。
…これで確定だ。
彼が銀髪野郎の言っていた「ヤツ」なのはよく分かった。こんな偶然あってたまるかとほっぺをつねったが、現実だった。
でも変だ。
彼といると体の冷えがおさまって、体温調節が上手く出来る。自分の姿のまま話せる。
…彼に安心感さえ覚えてしまった。
「…ありがとう」
「もし良ければだけど、君の名前も教えてよ」
ボクに盗みをする趣味も技術も無い。
それに、あの「本」が銀髪野郎の欲しいものだとしても、ボクは絶対にアイツの言う通りにはなりたくない。あんな奴の手元に渡っちゃ絶対に駄目な代物だってことは、誰だって分かる。
一番大事なのは、アケビを取り戻すこと。
でも、ボクは最善を尽くす。そのために家出までしてここまで来たのだ。
「ボクは「二戸部零」。将棋やってる…。あと中学二年生」
「大人っぽいね〜。ここまで一人で?」
「うん。でも、おばあちゃんに会いたいってのは嘘」
「…えっ!?」
「本当は、九条朔太っていう祓い屋に会いにきた。でも、その前にやること増えたから、おにいさんに付き合ってほしい。おにいさんにしか頼めないことだから」
第三十一話 迷人
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