第三十話 雪女
「ん〜やられた!!レイは歩兵の使い方が上手いんだよなぁ」
「ふふふ。アケビは香車に頼りすぎ。ボクならもっとこうするのに…」
「んぎーっ!!…アイスなにが良いの!?」
「…あずきバー。ふふん」
ボクは奨励会の試験に備えて、親友のアケビと共に道場で将棋を打っていた。
珍しいことにボクら以外に人は居らず、こんなに静かなのが楽しくて、軽い賭けをして遊んでしまった。
負けたほうがアイスを奢る。簡単なこと勝負だった。
アケビがボクに勝てたことは今の今まででも二回しか無かったから、いたってボクは奢られる気まんまんで勝負に挑んだ。
それほど、アケビとボクは相性が悪かった。
「レイ以外にだったら私だって、結構強いんだよ?てか、負け無しかも」
「うん。ボクが負けた人にアケビ勝ってた。だから、アケビは全然弱くない。でも、ボクとは相性死ぬほど悪い」
「ボケーっ」
「いたい」
頭を肘で突かれ、ボクは頭をさすった。
二人で冷房の効いた部屋でくつろぐ。夏休みのオアシスはここなのだと知って、ボクは大きく伸びをした。
「…奨励会の試験さ、一緒に行こうね。朝緊張するとさ、胃が痛くなってご飯食べれないからさぁ」
「当たり前。ボクの顔芸見れば、正露丸持っていかなくても全然平気。あと、多分ボク達が一番強いから、なにも心配ない」
「あは〜!嘘でも、なんか安心しちゃうな。レイのそういうの」
「嘘じゃない。アケビ、相変わらず心配性」
アケビがポニーテールを撫でる。僕と違ってくせ毛だから、撫でたところからアホ毛がぴよぴよしてて面白い。
いつまで経っても来ない先生を待って、二人でほおけていると、アケビがはっと体を起こした。
ポケットをごそごそとし、肩をがくーっと落とす。
「どうした?」
「お財布忘れちゃったぁ。ロッカー見てくるから待ってて!」
「え〜わかった」
おごりとは言いつつ、そんなに律儀にならなくてもと思う。
アケビがたかたかと部屋から出るのを見届けて、ボクは壁際のパイプ椅子に腰を掛けた。
そして、一瞬の瞬きの間。
ボクの目の前に、とある人間が現れた。
「…アケビ?」
違うと分かっていたのに、何故か名前を呼んでしまった。
「…面をあげなよ。人がすっかり居ないことは、キミも分かっているんだろう?」
駄目だ。
手の震えが止まらない。
まるで、空気が凍っているみたいだ。きっと、人じゃないんだ、ボクの目の前にいるやつ。
「…アケビはどこ…」
「神隠し、なんていう言葉を知っているかな。人間が雲隠れしたように消え失せ、その存在さえも忘れられてしまう。神の御手の思うがままにね…」
銀髪だ。
見たこともない、綺麗な美しい銀髪。
目ばっかりが、黒く深淵を見ている。
「勝手はゆるさない…。アケビを返せ」
「返すもなにも、キミに見えないだけなんだからしょうがないだろ?今もアケビちゃんは、すぐ近くにいる」
「えっ」
そんな気の抜けた返事のあと。
ボクがあたりを見渡す少しの間に、彼女の手がボクの肩に触れたのがわかった。
激痛。
激痛激痛激痛。
「あっ!?あぁガッぐぅうううう」
「ありゃ。少しカワハギが甘かったか…?」
寒い寒い寒い!!!!!
顔と手に霜が張るのが分かる。大きな虫に皮膚を食い破られるみたいな。いたいいたいいたい!!!!
「アケビちゃんともう一度会いたいなら、「野々瀬千代太郎」という人物に会って、無象式が刻まれた古書を盗んでくるんだ。分かったね?」
そうボクに囁やいた彼女はボクを抱きしめ、そして捨てるようにパイプ椅子に座らせる。
「…待て…よ」
「また会えるさ。私は厄災だから」
口から白い息を吐きながら、ボクは霜の張る手と強張る全身を痙攣させていた。
ゆっくりと立ち去る彼女の姿を、しっかりと目に焼き付ける。
霞む視界に、アケビの最後の顔を思い浮かべていた。あちゃーと残念そうな笑顔のアケビを。
…あんな遊び、しなきゃよかった。
あずきバーなんて、アケビがいなくなっちゃうことに比べたら、どうでも良かったのに。
キミを一人ぼっちにするくらいなら、あのまま二人で一緒に…。
ボクは、
ボクは…。
「ユズルぅ。どこだぁ」
「まりんさん!すいません、おなかすいてて」
「雑草はアク抜きしてから食べろって言ったろぉ。こっち来い、吐かせてやる」
「だいじょぶです!綺麗なのえらびました!」
「お前ぇ、なるべく人間らしく生きろって、いつも口酸っぱく言ってるよなぁ。人間は雑草食べねぇんだよぉ」
「んげっ」
ユズが家にやって来てから、この家は少し明るくなった。
まず、話し相手をしてくれる坊主がいるのが良い。テレビに独り言をぶつぶついうのは、余計孤独感が増してウンザリしていたところだった。
あと、なにかを事細かく教える身分ってのも気分が良い。ご飯の仕方もお風呂の入り方も分からん坊の世話をしていると、まるでウチがそういうまともな生き方を出来ていたみたいな感覚になれる。
「お仕事だぜぇ、ユズ。今回は、お前と同い年くらいの男の子らしいなぁ」
「はい!」
「わかってんのかぁ。消すんだぜぇ。人間で、ほぼ同い年を」
「はい?」
…別になにもないと言っておけば、楽なんだけど。
このバケモンを人間にするのも、バケモンの仕事だ。
「罪悪感を持つのも、人間らしく生きる上で大事だ。壺に閉じ込める時には「ごめんなさい」をちゃんとするとかぁ。出くわした時には名前を名乗るとかなぁ」
「…わかりました!えへへへっ」
「わかってねぇじゃね〜か」
ユズが笑うと、隣の部屋のやつが壁をドンと蹴ってくる。
驚いたように猫のしっぽをピーンとさせたユズ。ウチは頭をぽんぽんとして宥める。
なんとか耳もしっぽも消してやりたいもんだが、それはウチには出来ないし、なんなら可愛くて今のほうがウチは好きだ。
本当、拾ってやったのがウチなのが運の尽きなんだろうな。
「名前は「
依頼主によると、ヤツは気温によって性別と見た目を変える性質があるらしい。カチコチに冷やした冷房室では、おおよそ二十代半ばの女に見た目が変わっていったみたいだ」
「寒いと女の人になっちゃう?」
「そうらしい。ついでに、触るもの皆凍らせちまう。皮剥がしたてだから、威力はいまいち分からんが、取り敢えず触れるのはナシだ」
「あい!」
暖かければ姿も力も元通り。
いわゆる、二面性を持つ「雪女」ってわけだ。
「依頼主って、どうしてこんなにいろんな事知ってるんだろ」
「そりゃお前、雪女が出てくるの知ってずっと見てたからだぜぇ」
依頼主の名前は、
彼は近衛とどっぷり繋がっている、元陰陽連の人間だ。
今は関東将棋道場の用務員。朝一番に来た生徒二人を一室に閉じ込めることが出来る唯一の人間として、近衛から大金を積まれている。
実験として雪女の能力の限界を調べるために、誰にも入ってこられない冷房の効いた部屋が必要だったらしい。
だから鍵を無くしたとかなんとか言って、関係者をどうにかして遠ざけた。
「でも、べつに殺さなくてもいいのにねぇ。俺達にたのむんだから、自分の手を汚したくない理由があるんだろうなぁ」
「近衛は何手も先を読んで行動する癖があるからな。結局のところ、雪女を使ってする「あること」に意味があるんだろうなぁ」
…まぁ結局のとこ、近衛が皮剥がしを趣味にする変態なのにかわりはしないが。
「屍人式を私が再現するには…。そうだね、最低でも三人の人間が必要だ」
「ソレはなんでだ?九条家の坊主とおんなじようにはいかないのかぁ?」
近衛が言っていた。
陰陽連に乗り込むちょっと前のことだ。これから始めることを話したい、とトウマに連れられて本部に遊びにいった。
「九条朔太は特殊なんだ。式の習得もままならない年頃に、あの式を完成させた。おそらく親の入れ知恵か、天性の才能で新たに式を作り変えたか…。それとも、三人分の人間に代わる新たな契約を設けたかのどれかだ」
「才能うんぬんは、まぁねぇ〜だろうな。こないだ見せてもらったけど、ありゃ複雑な上に制約が多すぎる。それよりも、新たな契約とかの方が…」
「私はそういうの苦手なんだよ。九条家の分家の血筋にワガママを言わせるさ」
「ふ〜ん」
一番謎めいた九条当主のことはさておき。
近衛の野郎は、屍人を作るための材料と祈年祭のガチバトルに必要な式集めに、東奔西走しているらしい。
大量の人間の皮剥がしを目的とした、この戦い。
自分はイーブンな立場で観戦していたいが、皮を剥がされた身としては近衛側につくのが妥当なのだろう。
どうせ人間でも怪物でも、自分のこれからは変わらないし。
「屍人を作るには大量の血と肉が必要だから、まずはそこから手をつけよう!私は宣戦布告が終わったら、ひとまず北海道に行ってくるかな」
「行動力鬼だなぁ。…じゃあ、あと式はどうすんだ?再現のために集めるんだろぉ」
「屍人式再現のために代用する式は決めてある。トウマの呪言はもちろん、不変を作り出すために、野々瀬家の「無象式」を代わりに入れる。お前の作った身代わり人形も、有効活用していくよ。ありがとうね」
「上手く行けばいいなとは言わないでおくが、お前が死んだら金が無くなってユズルが養えねぇ。責任もてよ」
「あはは。そんなことをまだ心配していたの。ユズルもマリンも、皆が楽しく暮らせる世界は近いよ。どう転んでも、私の思い通りに事は運ぶ。安心して」
なにを根拠に言っているのか定かじゃないが、その軽口は、まるで神様が言う「それ」だった。
「…あ。ただ、心配があるとするば」
「なんだぁ?」
「鯨崎冥に屍人の予知夢をみられると…、少し厄介かな〜。なんて、あは!!!」
第三十話 雪女
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