第十四話 兄妹
相生は、私が妹だと知って、どう思ったのだろう。
サクタの家で初めて鏡をみた時、初めて自分がタレ目だったことを知った。
ほくろも、コースケに言われた通りのところにあった。
『お前は外の世界をしらないからな』
リンはそう言っていた。
私はお母さんのためを思って、ずっと森の中にいたけど、本当にお母さんを思うなら、早いところ森の外に出るべきだったのだ。
ちゃんと助けを求めて、相生と、もっとまともな出会い方をすればよかったのだ。
「お母さん…」
「元気そうだね。土地が浄化されてから、いっぱい虫が来てくれたからかな」
相生は、自分のせいで、お母さんが鳥の化け物になったと思っていた。
だから泣いていた。
私は、それがたまらなく嬉しかった。
もう、私以外に、母の不幸を悲しんでくれる人はいないと思っていたから。
「お腹を空かせていないんなら…、よかったぞ」
「…そうだね」
相生は、私が生きていてくれて、嬉しかっただろうか。
私なんか死んでいてくれたほうが、吹っ切れて、新しい人生を歩めた?
コースケはとっても良い奴だから、きっとその妹も優しい人に育つだろう。
新しい弟妹の行く末を、見届けたかったんじゃないだろうか。
「私はずっと、お前が寝ている間も考えていた。私はこのまま、過去の異物として母と共に消え去ってしまった方が良いのではないかって」
お母さんは、人を食った。
私が近衛に騙され、お母さんを実験台にしてしまったのだ。
相生だって、それに加担して、死ななくてよかった命まで運ばさせてしまった。
おもすぎる。とても耐えられない。今も、お母さんの真っ黒な瞳を見つめることができない。
こんな私が生きる意味なんて、もうどこにもないんじゃないか?
「お母さんは…、今どんな調子なんだ…?」
「…人間性は殆ど残っていない。人を食べたのもあるけど、皮を剥がされた時に喋られなくなったってことは、それくらい近衛の力が未熟な時に皮剥がしをしたってことだから…」
「それじゃあ…。今からお前が皮をやったとしても、お母さんは人間として生きられるか…?」
サクタは、お母さんのふかふかの羽毛を触りながら、ゆっくり首を振った。
「魂が、もう傷だらけみたいなんだ。長い間、妖怪の姿で居すぎた。皮を戻しても、五分も持たずに肉体が崩壊する。鳥の姿なら…、きっとあと十年は生きられると思うけど」
「そうか。…そうなんだな」
お母さんは、今鳥の姿に生かされている。
その心地は計り知れない。
ずっと暗闇を彷徨うような、果てしない不安に襲われているのかも。
ましてや、そんな感情すらも、今は霧の中なのかもしれない。
「お母さんと、最後に話がしたい」
「それは、皮を被せるっていうこと?」
「ああ。人間の姿なら、少しでも会話が出来るかもしれないだろ」
「…分かった。じゃあ、耳と目を塞いでいて。僕が肩を叩くまでだよ」
「了解した」
もう、覚悟はしていた。
もう、お別れをしなきゃいけないこと。
「モモちゃん…?」
「…おかぁさん!!!」
何年ぶりだろう。お母さんの、その優しい声。
なんでだろう。涙が止まらない。嬉しいはずなのに、辛くてたまらない。
「会いたかったぞ、会いたかったぞ…!!」
「お母さんも会いたかったよ…。大きくなったのねぇ。お兄ちゃんそっくりじゃない」
「そうか?私は、相生…、お兄ちゃんに似ているか?」
「目も口元も、優しくておおらかな声も、そっくりだよ」
森に日が差し込む。
お母さんの体に、暖かい温度が満ちていった。
「ここの森は…とっても素敵な所なのねぇ。あの集落より、よっぽど空も綺麗に見える…」
「…そうなのか?」
「えぇ。最後にここに居られて良かった。ありがとうね、モモちゃん」
「最後なんて言うな…!この世界は、もっと広いんだぞ!!ここよりもっと綺麗な景色はいっぱいあるし、美味しい食べ物も、楽しい遊びもいっぱいあるんだぞ!!」
「そっかぁ…。モモちゃんは、いっぱい知ってるのね。お母さんは、もう疲れちゃったから、あとはモモちゃんに見てきてもらおうかな」
「…っやだやだ!!お母さんも一緒がいい。お母さん、やっと、やっと会えたのに」
お母さんが、灰になっていく。
体も暖かくなってきたのに。
声だってちゃんと聞こえるのに。
「…お母さん。モモのこと、好きか?」
「大好き。ずっとずっと大好き」
「…よかった」
私は、ポケットから飴玉を取り出した。
お兄ちゃんが最後にくれた飴玉を、あれからずっとポケットに入れて持ちあるいていた。
これだけが、私と相生を繋ぐものだと思ったから。
「…あまぁい」
お母さんの瞳から涙を流れた。
コロコロと口の中でそれを転がす。
いちごの、あまい砂糖の塊。
どんどん小さくなって、それでもずっと口の中は幸せのまま。
良かった。
やっと、やっと伝えることができた。
「…お兄ちゃんと、ずっと仲良くするんだよ?」
「もちろんだぞ。…もちろんだっ」
小さくなった飴玉が、ぽさっと枯れ葉の上に落ちる音がした。
肉体は、塵となって青空を舞っていた。
お母さんは、人間のまま、終わることができた。
「…サクタ」
「うん」
「前言撤回だ。…今死んでしまっては、お母さんにも相生にも、すごく怒られてしまうと、そう思った」
「…そうだね」
「私は生きていても良いと…、お前は思うか?」
そう言うと、サクタは私の目を真っ直ぐ見つめて言った。
「僕は、モモに長生きしてほしい」
「…そうかぁ。なら、ならしょうがない、な、ぁあ。うっ、うぅあ、ああぁ」
涙、涙が。
溢れて、こぼれて、喉がつまる。息がしづらい。
声をあげて、なきじゃくった。サクタにしがみつきながら、鼻水もたらしながら泣いた。
やっと分かった。やっと気づいたよ。この気持ち。
全部どうしようもないことだらけだったけど、でも私を愛してくれた人がちゃんと居てくれて、私はとっても嬉しかったんだ。幸せだったんだ。
「おかあさんっ、おかぁさぁーーん」
こんなに大きな幸せをもらったのに、死ぬなんて、自分にはできっこない。
これからも、私は幸せでいたい。幸福な死を望んでみたい。
「モモは幸せになれるよ。みんな、モモが望めば、明るい方向を教えてくれる。大丈夫だよ。ひとりじゃないよ」
「そっ、そうなのか…?わっ、わたしはっ、ひとりじゃない、?」
「約束するよ。みんながついてるから」
その言葉を聞いて、私の思いは固まった。
「…お願いだ、サクタ。私に、っ、人間の皮をくれ」
「モモ、モモ?」
「…サクタ…?」
随分と長い事眠っていた。
人間の肉体を持つ事は、とても疲れることだ。百目鬼の時は、人間の原型がほとんど残っていなかったから尚更大変だった。
羽毛も、鋭い歯も無い。普通の、人間の女の子だ。
「…どこへ向っている?」
「ちょとね」
モズ、いやモモは、例外的な存在だ。
皮を剥がされた人間から生まれた子供。
近衛の入念な策略によって、初めて生まれた『もともと皮が剥がれた状態の子供』だ。
「…人間になれた心地は?」
「そうだな…。色がはっきりみえるぞ。それに、匂いが優しい。腕も、片方はずっと羽だったから、風がくすぐったくて気持ちいな」
「そう…、よかったね」
「この事は、やっぱり皆には内緒か?」
「そうだね…。リンとハタゾンビ以外には、まだ待っててほしいかも」
「了解した…」
まだうつらうつらとしている。
おんぶはハタゾンビで慣れてるけど、やっぱり少し疲れる。
命は重いって、こういうことだと思ってる。
「あれ…、コースケ?」
「最初にお披露目するのは、やっぱりこの人かと」
僕の背中を飛び降りて、モモはコースケに飛びつきにいった。
背のおおきい彼は、しゃがんでモモを受け止める姿勢になった。
「モズ!」
「コースケ!また会いたかったぞっ」
「俺も会いたかった。…よかった。人間になれたんだ」
「ああ。皆のお陰でようやく決心がついた。私は、人間として生きていくんだ!」
そう言ったモモは、いままでみたことないくらい、元気な笑顔で笑った。
コウスケも、半分泣きながら、モモを両腕で精一杯持ち上げた。
僕も、ようやく肩の荷が降りて、彼らのそばにそっと近づいた。
「コウスケ。おはよう」
「サクタさん!!おはようございますっ!良かった、死ななくて本当によかった」
「心配かけてほんとうごめん。あんなので死んじゃうなんて、頼りにならない友達でごめんね」
そういうと、俺の手をぎゅっと取って言った。
「いっぱい戦ってくれて、本当に心強かった。サクタさんもリンさんも…、皆がいなかったら、モズとも一生会えなかった。このまま兄ちゃんをちゃんと悼むことも無かった。ありがとう。本当にありがとう!!」
「…そっか。うん。嬉しい。ありがとう」
だめだ。久しぶりに涙腺がもろくなっている。
泣かない。
けど、少しだけだけど
「がんばっててよかった。僕、これからも、皆のために強くなるよ」
「…はいっ」
入道雲の青い影が
夏の優しい透明な風が
セミの、遠い喧騒が
僕らの間を優しく通り過ぎた。
『みんな、幸せだと、良いねぇ』
第十四話 兄弟
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