第六話 皮

「う、んん…?」

良い匂いだ。

すすきの、稲の穂の香り。

あと、土の奥から香る新芽の匂い。

濡れたアスファルトとの匂いとは全く違う、昔の俺にとっての懐かしい匂いがした。


しばらく思い出しもしなかった。

俺は、昔のことなんか、全部嫌なものだったって、決め込んでいたから。


「メイ、おーい」


声だ。

親の声より聞いた。

少し高くて、穏やかで、若干鼻声。

俺はこの声に導かれて、ほとんどの幼少期を過ごしたはずだ。


「メイ、おはよう」


俺は、目をようやく開けた。





「アカネ…、あれっ声が」

「自分の体をよく見てみなよ」


急いで自分の手を見る。

なんてちっちゃい手のひらなんだ。 

ぷにぷにしてて、まだ工事現場でつけた傷が無い。

それに女の子用の浴衣を着ている。アカネと色違いの、薄手の軽いやつだ。


「なんで、昔の俺に…?」

「そりゃ、夢の中だから」


アカネは俺の手を引っ張って、その場に立たせた。

黒いおかっぱ頭で、紫のお花の髪飾りをしている。すごく懐かしい。俺は髪飾りをしたくなくて、帯ににペッとつけていた気がする。


「歩こう?俺達、長い間話していなかったでしょ」

「…うん」


小さい時と同じように、俺達は子どもの姿ですすき畑を歩き始めた。

空は、青と紫と太陽の赤が滲む、夕暮れの終わりがけだった。






「…ごめん。俺、別にアカネのこと嫌いで置いてったんじゃないんだよ」

「今更べつに良いよ…。さっきのは、ただの八つ当たりだし。俺もごめん」

「そんな、…いや、うん。ごめんなさい」


ぬるい、軽い風が俺達の間を抜けていく。薄くて肌触りの良い浴衣が、ばたばたとはためく。


「メイが出ていって、ユキじぃが死んでからは、時が流れるのがすごく早かった」




「一番若くて頭の良かった俺が当主になって、予知夢を見る訓練を受けさせられた。暗い空間でひたすら夢日記を書かされて、神に祈った後はまた眠った」

「そんな生活を…」


「そうしたら、いつの日か、見たい夢を見ることが出来るようになった。俺はいつも、このすすき畑で一人の時間を過ごした」





『どうか、俺を自由にして。俺を、メイと遊んでた時の俺に戻して』




そうねがえば、容易く叶った。


でも、なにか一つ代償が必要だった。

俺は、もう部屋から出ることが出来ないのなら、と日の光を浴びる権利を渡した。


そうすると奴は喜んだんだ。





「あ、あっ、なん、なんで」

「俺の、夢の中で出会った友達。メイをこの空間に引きずり込めたのも、コイツのお陰なんだ」



黒くてどろどろの、俺を自由にしてくれる、友達。



「…っオマエは!!!!なんでそんなことしたっ!!!!これはっ、コイツは駄目だ!!!」

「そんなに怒らないでよ。コイツだって、封印が解けて行く当てがなかったんだ」


どろ、どろどろ


「俺は、コイツのお陰で鯨崎家で生きていけた」


「どれだけ怖かったと思う?メイが居ないこの家が」


「メイは多分、俺の事今日思い出したんだろうけど」



「俺はずっとメイのこと、待ってた」



どろどろどろどろどろ

ドロドロドロドロドロドロドロドロドロ


「…契約内容」


俺の光を奪う代わりに、俺を夢の中で自由にさせること。


百目鬼コイツは約束してくれたんだ」



前より随分とデカくなったコイツに、俺らは食べられる。

俺は、もういつでも当主の権利を破棄できる。



「ごめん、アカネ。ごめんね」


…なんで今さら抱きつく?

俺はメイを殺すと言ったも同然なのに。


「お前が自由になるべきだった。日の光の中で、俺がついてらやなきゃならなかった」


あったかい。メイの涙が、肩にぽとぽと落ちる。


「俺はもう十分楽しんだ。芸人にもなれたし、友達もできた。ゲームも初めて触った。だからもう大丈夫。俺を殺しても良いよ」


「えっ…?」




「俺思い出したんけど…、アカネと一緒に遊んでた時が、一番幸せだった」




ばくり






「メイ」


どうしよう

どうしようどうしようどうしよう


なんで、なんでメイが食われた?

俺はまだ当主を降りてないのに、なんで!!


「あのクソ野郎共、証文を俺に言わず燃やしやがった!!!」


そうなったらもう遅い。

契約が遂行される。

もう取り返しがつかなくなってしまった。


「メイっ、メイーーーっ!!!」


一人が寂しかったからって、メイを巻き込んだ。

今思えば無謀な願いだった。

本当に一人が嫌なら、俺だって無理矢理にでも里を抜け出さなきゃならなかった!!

こんな真っ黒な化け物に縋って、本当に大切なものまで失ってしまった。

最初から、俺一人で死ねばよかったのに!!!。


「う、う、うぁあ」


どうしようもない。

もう、メイの後を追うしか


「…俺は」


「メイともう一回遊びたかっただけなのに…っ」









「なら遊べば良いでしょう。さぁ立って」


誰だ…?聞いたことがない、若い声。

里の誰でもない。それに足音も2人分。一体…



「ハタゾンビ、アイツを食べちゃって良いよ」

「アイアイサーーッ!」



たちまち白髪の男の子が、百目鬼に飛び乗る。

ドロドロの長い頭を食いちぎり、その怪力で腕を両方ちぎった。

雨のように飛び散る黒い血。

かつて見たことのない、力任せで幼稚な戦い方。


「にゃはははは!!!」 



それは、まさしく伝説通りの『屍人』の姿だ。


「九条家がなんでこんなところに!?」

「はじめまして。ここまで来るのに大分苦労しました」


噂には聞いていた。俺の先々代とよく揉めたらしい、平安時代から続く祓い屋一族。

屍人を従え、様々な障り神を封印してきたという。


でもおかしい。まだ子供だろう。なんで祓い屋をしている?それに、ここの結界をどうやって破った?メイみたいに予知夢が見られる訳では無いのに。


「サクター!!!人いたヨ」

「そのまま引っ張りだしてね。それは食べちゃ駄目だから」

「あい!」


高度な屍人だ。縫い目や髪の色は仕方ないが、あんなに意思疎通できるなんて、どの文献でも書かれていなかった。


「この夢が終わるまで、少し話したいことがあります。よろしいですか?当主様」

「…なに?」


彼は、その、薄く切れ長の三白眼を伏せて、俺に御札を渡してきた。


「…魂と、魂を受容するイレモノ。それらは対であり、どちらかが欠けていても成立しません。それはお分かりですね?」

「…?そう、だな」

「今から言うことは、最も人間の根幹を揺るがすものだということを承知してください」

「え…」


彼の手から、薙刀がぱきぱきと生成される。

…俺は今は何を見た?



「僕には神の魂が入っている」



ぴちゃっと、百目鬼の血が頰に飛ぶ。

いきなりの事で、俺は頭の整理が出来ず、子どもの小さい手で口を押さえた。



魂といえば。

この世で信仰を失った神の魂が、穢れた入れ物に入ってしまい、障り神になるという伝説。

それは祓い屋以外でも、神話なんかで普通の人も知っている事実だ。

しかし、神の魂が人間に入るなんて、ありえない。

そんなことしたら、たちまち入れ物は壊れる。理性のあるものがそんなもの受容すれば、脳みそごと溶けておかしくなるのが関の山。


昔、鯨崎の巫女が死んだのも、それが原因だ。



「今は詳しいことは言えないです。けど、率直に言います。今から起こることを、貴方には忘れてもらわなければならない」

「忘れっ、なん、なんで」 



「これもまた、人間の根幹に関わることなので」 





ぐちゃぐちゃになった百目鬼。そこから、メイを背負って屍人が戻ってきた。


「サクタ」

「うん。俺につかまってて」


俺はなにも言えず、その場に座り込んだ。

俺の夢の中で、一体何が怒ろうとしている?

 


「『イザナギの名において』」



「『お前の邪気を祓い、お前から全ての契約権を剥奪する』」



『そして、新しく人間の皮を被ることを命ずる』




第六話 皮

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る