六 探り その一

 翌日、神無月(十月)二十三日。

 昼四ツ(午前十時)。 

 亀甲屋の座敷に、店の雨戸を叩く音が響いた。仁吉は店の上り框から土間に降りて草履を履き、店の障子戸を開けて雨戸の節穴のほぞを抜いた。節穴から小間物売りの与五郎、飴売りの達造、毒消し売りの仁介が見える。


「辻売りの与五郎と達造と仁介でございます。

 頭にも、皆様にも、いろいろお世話になりました。

 皆様にお礼を述べたくて、まいりました」

 雨戸の外から与五郎の声がする。

 仁吉は心張り棒を外して雨戸を開け、三人に、中に入れ、と笑顔で手招きした。辻売りたちは雨戸の閉った店に入った。


「よく来てくださった。ありがとうございます。

 三人のことは恨んじゃいません。本当ですよ。

 主の藤五郎が鎌鼬に斬殺された折、奉公人たちはみな覚悟していたことです」

 三人を店の座敷に上げ、仁吉はお藤と共に、以前と変わらぬ亀甲屋の手代らしい態度で、辻売りたちの訪問に礼を述べた。

「仁吉さん。あっしらには何もできねえが、どうか元気でいてください。

 あっしらがこう言っちゃ何だが、頭に線香を上げさせてください」

「ありがとうございます。さあ、奥へ・・・」

 仁吉とお藤は辻売りたちを店の奥へ案内した。

 辻売りたちは奥の仏間で藤五郎の位牌に線香を上げて手を合わせた。


 辻売りたち三人が仏間から奥座敷に戻った。

「あっしらは、みなさんにいろいろ世話になりました。みなさんも元気でいてください」

「与五郎さんたちが私らの事を気にかけてくださっているのは百も承知です。

 いえ、御上の使いという事じゃありません。

 主の藤五郎は裏家業をやっていたものの、あれでいたって物売りたちを気づかっていました。これは藤五郎から言いつかったあなた方への支度金です。辻売りをやめて独り立ちするときに、と藤五郎が皆様からの納金を蓄えていた十両ずつです」

 仁吉は、かねてより用意しておいた十両の包み三つを載せたお盆を、与五郎たちの前へ滑らせた。


 与五郎は飴売りの達造と毒消し売りの仁介を見て、二人の気持ちを確認した。二人は与五郎に頷いた。

「仁吉さん、この金子は奉公人のみなさんの暮らしの足しにしてください。

 あっしらは頭の口添えで御上の使いをするようになった。辻売りに加えて御上から給金もある。どうか、みなさんの暮らしの足しに」

「お藤さん。どうか、みなさんで使ってください」

 与五郎に続き、飴売りの達造と毒消し売りの仁介が、仁吉の隣りに座っているお藤に深々と御辞儀した。


 仁吉とお藤は、辻売りたちの気持ちを嬉しく思った。

 今は亡き藤五郎は、御法度の殺しと阿片の抜け荷を犯した咎人だが、手下や仲間を思う気持ちは他の香具師仲間を上まわっていた、と仁吉とお藤は感じていた。

「わかりました。奉公人の暮らしの足しにさせて頂きます。

 藤五郎も草場の陰で、みなさんにお礼を述べていると思います。

 ありがとうございます」

 お藤は仁吉と共に、三人に向かって深々と御辞儀した。


 与五郎は訊いた。

「つかぬ事をお訊きしますが、みなさん。ここを出て、どこへ行きなさるんですか」

「実は、藤五郎の遠縁と名乗る新大坂町の廻船問屋吉田屋吉次郎から、私ども奉公人を雇いたいと申出がありました。

 身元引受の書付を町奉行所へ届ければ町方に知れることですから、みなさんにお知らせしておきます」

 仁吉はここ何日かの吉次郎について話した。


「ところで、吉田屋吉次郎が、頭の甥を名乗って頭の跡目を継いだ、と噂になっていますが、本当に跡目を継いだのですか。

 お藤さん。表沙汰にはなっていないが、あなたは頭の養女のはずだ。

 なぜ頭の跡目を継がなかったんですか」

 与五郎は穏やかにそう尋ねた。


「御上も、私が養女であることを承知の上で、奉公人たちに五年の江戸所払いの恩情をかけました。裏で、特使探索方の日野様や与力の藤堂八郎様がご尽力くださった、と聞いています。

 御上の恩情で所払いになった手前、奉公人たちを思うと、私が藤五郎の養女だと言えば、奉公人は五年の江戸所払いでは済まなかったはずです・・・」

 お藤はそう言って口を閉ざした。これ以上話して口を滑らせてはいけない。話さずにいるのが賢明だ・・・。


 与五郎は、お藤が何か隠している気がして、さりげなく尋ねた。

「跡目に未練はないのですか」

「未練はあります。香具師仲間も私と同じ思いのはずです」

「余計な事を訊いてしまい、すみません」

 お藤の言葉に、与五郎は何かが起るのを予感したが、これ以上訊いてはならぬと思い、二人の仲間に、これでお暇しようと告げた。

「では、あっしらはこれで。

 みなさん、元気でいてください。隅田村の方にも、商いに行きますんで」

 三人は仁吉とお藤に挨拶して、二人に亀甲屋の外まで見送られ、亀甲屋を去った。



 仁吉とお藤は与五郎たちを見送り、亀甲屋に戻って店の雨戸を閉め、心張り棒をかけて障子障子戸を閉めた。


 奥座敷で仁吉はお藤と向きあって座り、お藤を見つめた。

「お藤さんの言いつけどおり、ありのままを話した。あれで良かったのだね」

「嘘は言わぬ方がいい。何かあれば怪しまれる。弥助さんたちとの詳しい打合せはこれからだ。心配はいらぬ」


 表向き、お藤は、他の奉公人と同じように仁吉がまとめている奉公人の一人だが、実際は藤五郎の養女で、藤五郎の後目を継ぐ香具師の元締の立場にあり、仁吉の女房だ。今は香具師の縄張りを吉次郎に奪われているが、手下には仁吉をはじめ、亀甲屋に奉公していた者たちや、押上村の又三郎や、日本橋界隈の今は亡き藤五郎の手下たちがいる。お藤は親しい香具師仲間を通じ、この藤五郎の手下たちと連絡を取っている。

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