【完結】乗客のいない観覧車(作品230607)

菊池昭仁

乗客のいない観覧車

第1話 雨の月曜日

 夜の#帳__とばり__#が降りた新橋に、古いイタリア映画のような小雨が降っていた。

 傘を差すまでの雨ではない。

 ペイブメントの水溜まりを避けながら、ミッシェルはいつもの酒場、『シリウス』へと辿り着いた。


 ミッシェル吉岡、35歳。ミッシェルはフランス人の父親と、日本人の母親との間に生まれたハーフだった。

 美しい金髪と、鼻筋の通った端正な顔立ち。



 店の重いマホガニーのドアを開けると、店にはポールディスモンドが流れていた。

 カウンターが8席あるだけの小さなカクテルバー。

 『シリウス』はロンドンのソーホー地区の裏道にあるような、そんな店だった。

 ミッシェルはいつもの席に静かに座った。


 マスターは何も言わず、ミッシェルの前にジンライムと、櫛型にカットしたライムの皿を置いた。


 「雨が降って来ましたか? 天気予報は当たらないものですね?」


 雨に濡れたミッシェルを一瞥し、マスターは言った。


 「そうですね、外は冷たい雨が降っています」

 「雪に変わりますかね?」

 「おそらく・・・」


 ミッシェルは両切りのキャメルに火を点け、溜息混じりに静かにタバコの煙を吐いた。


 「いいですね? 雨の日のデスモンドは」

 「好きなんですよ、雨の夜にはデスモンドが良く似合いますから」


 ミッシェルはグラスの氷が程良く溶けたのを見計らい、いつものように「追いライム」をした。

 添えられたライムを絞ると、ミッシェルはそのままグラスの中へ絞ったライムを落した。

 辺りに広がるライムの鮮烈な香り。

 ミッシェルは自分にこびり付いた硝煙の匂いと、殺した相手の死臭をこのライムの香りで消そうとした。

 これが彼が仕事を終えた後に行う、お清めの儀式だった。



 今日の仕事の依頼主は、自殺した高校生の娘の父親だった。


 「もしもし、娘が自殺してしまいました。

 アイツのせいなんです! どうか矢部を、担任の矢部を殺して下さい!

 お願いします!」

 「では明日、これから申し上げる口座に報酬の半額、500万円を送金して下さい。

 入金が確認出来ましたら仕事に着手します。

 そして完了後、残りの500万円を振込んでいただきます。

 ゆえに報酬金額は1,000万円になりますが、よろしいですか?」

 「わかりました。お金は明日、必ずお振込みます」



 雨の日の月曜日にだけアップされるミッシェルの殺人依頼のサイトには、いつも数件の依頼が届く。

 依頼主は様々だった。

 ミッシェルは依頼を断ることはなかった。

 どのみち人は死を迎える。それが早いか遅いかの違いだけだからだ。

 人から怨みを買う、それだけでその人間は生きている価値のない人間なのだ。



 大野秀美、17歳。

 地元の県立高校に通う女子高校生だった。

 いつも明るく、クラスの人気者だった彼女はバレー部に所属し、インターハイに向けて練習に励んでいたようだった。



 「秀美、よくがんばっているな? いよいよ来月か? インターハイの予選は?」

 「はい矢部先生、高校生活最後の試合ですからね? がんばります!」

 

 タオルで汗を拭う秀美。


 「これから帰るんだろう? 家まで送ってってやるよ、俺も今、帰るところだから」

 「助かります、今日の練習は特に厳しかったので、もうヘトヘトです。

 すみません先生、お言葉に甘えちゃいます!」



 矢部は秀美をクルマに乗せ、学校を出て行った。



 「先生、どこかに寄って行くんですか? 家とは反対の方向ですけど?」

 「いいんだよ、こっちで」


 矢部は河川敷にクルマを停めると、いきなり助手席の秀美に襲い掛かった。


 「イヤっ、先生止めて!」

 「先生はな、お前がずっと前から好きだったんだ! 愛しているんだよ、大野!」

 「止めて下さい! 先生止めて!」



 秀美の抵抗も虚しく、矢部は想いを遂げた。

 泣きじゃくる秀美に矢部は言った。


 「このことは誰にも言うな、わかったな?

 もしもバラしたら、このお前の恥ずかしい動画をネットにばら撒くからな?」



 それから2日後、彼女は自宅マンションの9階から飛び降り自殺をした。

 遺書には矢部との事が克明に書かれていたが、教育委員会も学校も、それを黙殺した。


 結局、警察も何も出来ず、思春期にありがちな精神疾患による、発作的な自殺と断定されたのだった。

 その後、矢部は山沿いのヤンキー校に移動になった。





 

 その夜、矢部は気分を紛らわせるために居酒屋で安い酒を飲み、風俗で性欲を満たすとJRの駅に向かって、人気のない線路下の暗い路地を歩いていた。

 

 「俺のせいじゃない、俺のせいじゃないんだ・・・。勝手に死んだ、アイツがバカなんだ・・・」


 その時、矢部は後ろから声を掛けられた。

 ミッシェルだった。


 「そうですよ、あなたは何も悪くない。人間の野性の本能に従ったまでですよね? 獣の本能に?」

 「なんだお前は!」

 「ただのバイオリン弾きですよ矢部先生、それでは少し早いですが、薄汚い人生、ご苦労様でした」


 ピシュ ピシュ


 ミッシェルはサイレンサーを装着したワルサーPPKの引き金を2回弾いた。

 矢部の額と心臓に各々正確に1発ずつ。

 そして最後に股間にもう1発。


 ピシュ


 即死だった。

 みるみる赤い血が路上に広がっていった。




 依頼を完了したミッシェルは、駅前広場でバイオリンを弾いていた。

 メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲。

 ミッシェルのアクアマリーンのような美しい瞳から、一筋の涙が流れていた。


 人々は足を止め、彼の奏でる美しいバイオリンの音色に魅了されていた。


第2話 ツィゴイネルワイゼン

 今度の依頼は政治家の秘書の妻からだった。


 「参議院議員の大野雄太郎を殺して下さい」

 「ではこれから申し上げる銀行口座に、前金として500万円をお振込み下さい。

 入金の確認が取れ次第、仕事に着手いたします。

 完了後、残りの500万円をお振込み下さい」

 「わかりました。大野は最悪の人間なんです! 大野という男は・・・」


 ミッシェルは奥さんの話を遮った。


 「理由は結構です。人の恨みを買うような人間は生きている値打ちはありませんから。

 では、失礼します」





 大野は先代からの地盤を受け継いだ、いわゆる二世議員だった。

 爽やかなイケメン議員だが、中身は空っぽのお坊ちゃま議員で、表の顔と裏の顔を持った男だった。


 「神山、女だよ女。いつものホテルに用意しておけ。

 分かっているだろう? 政治家は大変なんだぜ、女でも抱かねえとやってらんねえよ。

 この前取材に来た、あのオッパイのデカい女子アナがいいな、すぐに手配しろ」

 「かしこまりました」


 

 秘書の神山は局の女子アナを呼び出し、大野のいるホテルの部屋に案内をした。



 「先生はこちらでお会いになるそうです」

 「困ります、先生とふたりだけで密室でお会いするのはちょっと・・・」

 「民自党の今回の内閣改造のスクープを、特別にあなただけにお伝えしたいそうです。

 ロビーでは人目がございますゆえ、ご理解下さい」


 フリーになることを狙っていた彼女は、ネタ欲しさにそれを承諾した。


 「わかりました」


 神山がドアを閉めると、すぐに彼女の悲鳴が聞こえた。




 1時間後、大野から神山に電話が入った。

 

 「ちょっと部屋まで来てくれ」



 中に入ると全裸のまま、女子アナが口から泡を吹いて動かなくなっていた。


 「シャブを打ったらこうなっちゃったんだよ。頼む神山、俺の身代わりになってくれ。悪いようにはしないからさ、ね、頼むよ。

 僕はこれから日本の総理になる男だからさ、な、神山、この通りだ。

 まさか忘れたわけじゃないよな? パパがお前の面倒をずっと看て来たこと。貧乏なお前が大学まで行けたのは誰のお陰だ? まさかその恩は忘れていないよな?」

 「・・・。」

 「シナリオはこうだ。神山が女子アナとここでコトをしていて、彼女が自分でシャブを打った。

 お前はそれを止めようとしたが、彼女はそれを無視してこうなった。

 そんなんでいいだろう? あとは磯山先生が処理してくれる。

 何しろ先生は元東京地検の特捜部長だった辞め検弁護士だからな? 安心しろ神山」

 「そんなことは、・・・出来ません」

 「神山! お前、俺を、パパを裏切るつもりか!」

 

 すると秘書の神山は、きっぱりと言った。


 「いえ、そうではありません。このように処理して下さい」


 すると神山は非常口を開け、そのホテルの23階から飛び降りてしまった。



 「そうかそうか? 死んでくれたか? その方が手っ取り早いもんな?

 流石は神山、なかなかやるじゃねえか。

 あ、り、が、と、さん。あはははは

 さてと、警視総監がいいかな? それとも国家公安委員長の森山か? 電話電話っと。

 ああ森山さん? 私です、大野です。先日はどうも。あのね、ウチの秘書がちょっとやらかしましてね、そう、ホント、いい歳してさあ、うん、そうそう。それでね・・・」



 その事件はすべて秘書の神山がしたことに処理された。

 死人に口なしだった。

 その日は神山の、16歳になる息子の誕生日だった。




 

 国会答弁が終わり、大野はいつものようにホテルで女を貪っていた。


 「ほら、どうだ? いいだろう? いいと言え!」

 「あん、あん・・・」


 その時、チャイムが鳴った。


 「まったく誰だよ? せっかく乗って来たところなのに邪魔しやがって」


 大野はベッドを降り、ドアスコープから外を覗いた。


 「ルームサービスでございます。民自党の江花様から、これをお届けするようにと仰せつかりました」

 「江花幹事長から? ちょっと待ってろ」


 大野はバスローブを着て、ルームサービスを部屋に招き入れた。



 「何? プレゼントって? シャンパンか何か?」

 「これでございます」


 ボーイに扮したミッシェルは、自ら持参した枕を大野の顔に押し当て、頭に一発、心臓に一発、そして股間にも銃弾を撃ち込んだ。

 女は悲鳴を上げることも出来ず、失禁していた。


 

 ミッシェルは防犯カメラに細工をし、着替えてホテルを後にした。

 そしてJR新橋駅の広場へと向かった。


 ミッシェルは新橋駅のSL広場にバイオリンを持って立つと、サラサーテのツィゴイネルワイゼンの演奏を始めた。


 するとそこにはみるみると人だかりが出来、広げたバイオリンケースにはコインや札が投げ込まれていった。


 ミッシェルは涙を流してはいたが表情は穏やかで、眉ひとつ動かしはしなかった。


 電車の音と駅のホームのアナウンスが、美しいミッシェルのバイオリンの音を穢した。


 スーパームーンの美しい夜だった。


第3話 モンスターになった男

 #汐音__しおね__#はミッシェルの右手の香りを嗅いでいた。


 「今日も、お仕事だったのね?」

 「匂いがするかい? 『魔弾の射手』の匂いが」

 「ほんのりとね。でも、他の人には分からないわ。私にしかわからないの、この匂いは・・・」


 ミッシェルは、汐音にやさしいキスをした。


 「今日の君の『亡き王女のためのパヴァーヌ』はとても良かったよ。

 あれほどの優雅な悲しみを表現出来るピアニストは汐音以外にはいない」

 「ありがとう、ミッシェル。

 でもそれはあなたのおかげね。あなたにこうして抱かれていると、あなたの深い悲しみが伝わって来るからなのかもしれない。

 私の手にも、あなたの悲しみが乗り移るのかしらね・・・」


 汐音はミシェルの胸に顔を乗せた。


 「美とは滅びゆくその瞬間にこそ存在するものだよ。

 そしてそれこそが音楽そのものなんだ。

 奏でられたその瞬間から消滅していくその儚さゆえの美しさ。

 僕の音楽に長調はないんだ、すべてが短調なんだよ」

 「好きよ、ミッシェル・・・」





 巨匠ハインツの指揮はまさに神の所業だった。

 彼は指揮棒を下した。


 「ミスター前島、その第二小節のスタッカートはもっと軽やかに頼むよ。朝のヒバリのさえずりのようにね。

 では、もう一度初めから」



 ミッシェルは舞台の袖で弓の張り具合を調整していた。

 そこへマエストロが声を掛けて来た。


 「ミッシェル、君のバイオリンは実に素晴らしい。悲しみが音に沁み込んで出て来るようだ。

 本当の悲しみを知った者だけが表現出来る音だ。

 今度、ロンドンでモーツアルトの『レクイエム』を振るんだが、君のようなバイオリニストがいるといいんだがね。

 そりゃあロンドンフィルの連中は演奏者としては一流だよ、でもね、音楽はテクニックだけじゃダメなんだ、心が必要なんだよ。感情を持った心がね?

 ブラームスにはブラームスの、ベルリオーズにはベルリオーズの心がね。

 いつか君とコンチェルトがやりたいな」

 「ありがとうございます、マエストロ。

 楽しみにしていますよ、その時を」

 「君は誰の協奏曲が好きかね?」

 「シベリウスのバイオリン協奏曲、ニ短調です」

 「私も好きだよ、シベリウスはいい、シベリウスは」


 そう言って巨匠ハインツは静かに去って行った。





 社長の大河内は最低の人間だった。

 父親だった会長に溺愛されて育った、半グレの三代目だった。

 自分や女には金を湯水のように使うが、真面目な従業員たちは奴隷のようにこき使い、低賃金で働かせ、いつも彼らを罵倒していた。



 「おい福本、お前本当に使えねえ奴だな?

 納期は絶対だ! 誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ!

 言ってみろ! 福本!」

 「・・・社長です」

 「いいか、死んでもやれ。寝なくてもいいからとにかく納期に間に合わせろ!

 出来なければお前はクビだ! クビ!

 いいな! わかったな!」

 「・・・はい」

 「ホントに役立たずだな? お前は。

 恵子ちゃん、悪いんだけどさ、今日、その見積が出来たらジャパンホテルまで届けてくれるかな?」

 「わかりました」

 「じゃあ恵子ちゃん、頼んだよ。

 福本、必ずやれよ!」


 そう言って社長の大河内はどこかへ出掛けて行った。



 「大変ですね? 福本係長」

 「いつものことだよ。でも岡田さん、気を付けるんだよ、ホテルになんか呼び出されて」

 「大丈夫ですよ、書類を届けるだけですから。

 もしもの時は大きな声を出しますから」


 彼女はそう笑っていた。





 「よう、恵子ちゃん、わざわざ悪かったね。

 夕食まだだろう? 一緒に食べよう、ここのフレンチは最高なんだ」

 「いえ、大丈夫です。

 今日は家族と食べることになっていますので、これで失礼します」


 恵子が帰ろうとすると、


 「いいから、いいから。

 少しだけ付き合えよ、少しでいいんだからさ、ね?」

 「では少しだけ」


 恵子は仕方なく、大河内と食事につき合うことにした。



 「恵子ちゃんはいつもよく働いてくれるね? とっても助かるよ。あとはみんなクズ社員ばかりだ」


 大河内はクチャクチャと下品な音を立てながら鹿肉を食べ、恵子を舌なめずりするように見ていた。


 「恵子ちゃん、彼氏はいるの?」

 「いません」

 「そうか、それは寂しいな? なんなら紹介しようか? カネ持ってるイケメン君を?」

 「いえ、結構です」

 「君、まだバージン?」

 「・・・」

 「そうか、まだ処女なのかあ? そろそろロストバージンしておいた方がいいよ。

 俺に任せなよ、俺が色々と教えてやるからさ。ヒヒヒヒヒ」


 大河内はいやらしく、舐めまわすように恵子を見て笑っていた。


 「やめて下さい社長、そんな話!」

 「その怒った顔、いいねえー、すごくチャーミングだ」


 恵子は食事をする手を止めた。


 「ごちそうさまでした。今日はこれで失礼します」

 「待ちなよ、デザートがまだだよ」

 「いりません!」

 「じゃあ、一杯だけ付き合えよ。

 福本の今後について、君の意見も聞きたいから」


 恵子は福本を尊敬していた。

 その福本に大河内社長は何かを企んでいる。

 なんとかしなければと、彼女は社長の大河内の誘いを受けた。




 ホテルのBARへ移動した。


 「まあ、そうカリカリしなさんな。福本はバカが付くほど真面目な奴だからな? もっと働いてもらうから安心しろ。それでは、乾杯」

 「係長は一生懸命な方です。会社のためにいつも頑張ってくれています」

 「そうだよなあ、アイツはよく働くよ。君は福本のことが好きなんだろう?」

 「尊敬しているだけです」

 「尊敬とはね、愛だよ愛。あはははは」

 「そんなことは・・・」


 恵子は急に眩暈を感じた。


 「あれあれ? もう酔っちゃった? それじゃあ酔いが醒めるまで、俺の部屋のベッドでゆっくり休むといいよ。ね、恵子ちゃん? フフフ」


 大河内はカクテルグラスの下に1万円を置いた。


 「いつもありがとな?」


 バーテンダーは笑って軽く頷いた。


 「ごゆっくり」




 

 恵子は気が付くと、全裸でベッドに横たわっていた。


 「ホントに処女だったんだね? いいねえ、やっぱりバージンは。最高だったよ。新しい酒を開けたような気分だ」


 恵子は泣きながら服を着て、慌ててホテルの部屋を飛び出した。


 


 

 翌日、恵子は福本にその事実を打ち明けた。

 福本はすぐに社長室に乗り込んで行った。


 「警察に被害届を出します!」

 「おいおい、何の話だ? 藪から棒に」

 「あんたはクズだ! 辞めさせてもらう!」


 すると大河内はスマホを福本に見せた。


 「ああ、これか? キレイなま〇こだろう? すごく良かったぜ、お前の大好きな恵子ちゃんは?

 恵子ちゃんもお前のことが好きなようだ。どこがいいのかね? こんなバカ。あはははは あーはははは」


 大河内の見せたスマホには、その一部始終が録画されていた。



 「別にいいんだぜ、警察でも何でもしろよ。これをネットで拡散させてやるからな。

 俺も好きにさせてもらうよ。やれるもんならやってみろ! 福本!」

 「・・・」

 「どうした福本? お前はクビだ、懲戒免職。わっはっはっはっ、実に愉快だ! 出て行け!」


 福本は生まれて初めて、人を殺したいほど憎んだ。

 福本と岡田恵子は会社をクビになった。




 そして雨の日の月曜日、福本はミッシェルのサイトを見て電話を掛けた。


 「バイオリン弾きさんですか? 殺って欲しい男がいます・・・」

 

 福本は憎しみのモンスターになってしまった。


第4話 拉致

 ライオンズクラブの会合を終えた大河内は、仲間の社長たちといつものキャバクラへと繰り出していた。



 「あらー、大河内社長、今日は大勢で来てくれたのねー、うれしーい!」

 「酒と女の子をじゃんじゃん頼むよ」

 「ハイ、かしこまりましたあー」


 レイはお道化て敬礼をし、奥のボックス席に大河内たちを案内した。



 「ところで大河内さん、なんでも処女とやっちゃったとか? 聞きましたよ、西本社長から」

 「西本社長もおしゃべりだなあ。

 いやね、良かったのなんのって社長、久しぶりに興奮しましたよ。

 何でも初めてはいいものですからね。あはははは」

 「是非、今度私にも紹介して下さいよー、バージンちゃんを」

 「あら、私もバージンよ、今夜はまだ処女」

 「俺も今夜は童貞君だぞ、ほれほれ」


 文具チェーンの社長平野は、テーブルについた女の子の胸を強く揉んだ。


 「キャー! 社長さんのエッチー!」

 

 大河内たちのテーブルは大いに盛り上がっていた。




 帰り際、大河内はレイに囁いた。


 「いつものホテルでアフターな」


 レイは黙って頷いた。

 仕方がなかった。大河内は太客だったからだ。



 「それじゃあみなさん、また来月、飲みましょうね!」

 「おやすみなさい、大河内さん」

 「おやすみなさい、気をつけて」



 大河内は酔って、繁華街をいつものホテルに向かって歩いていた。


 ドンッ。

 

 「てめえ、何処に目をつけて歩いてんだ! オヤジ! 

 謝れ! 土下座しろ!」

 

 大河内は客引きの男にぶつかってしまった。


 「なんだと? このクズ野郎! 俺を誰だと思っていやがる!」


 大河内はかなり酔っていた。



 するとそこへ牧師の格好をしたミッシェルが現れた。

 

 「すみません、この方が失礼なことを」

 「お前、この酔っ払いの知り合いか?」

 「はい、申し訳ありませんでした」


 ミッシェルはその客引きに一万円札を握らせた。

 男はそれをポケットに仕舞うと、


 「牧師さんも大変だな? 酔っ払い後始末まで。アーメン、あはははは」

 「どうもすみませんでした」


 大河内は怪訝そうにミッシェルを見た。


 「誰だお前?」

 「ただの牧師ですよ、酔っていらっしゃるようですので送って差し上げましょう」



 大河内とミッシェルは歓楽街を抜け、ホテルの手前の神社の前に差し掛かった。



 「この神社、商売繁盛の神様らしいですよ、ご存知でしたか?」


 それは小さな神社だった。


 「牧師のくせに神社の紹介か? そうか、じゃあお参りをして行くとするか?」


 大河内が境内をヨタヨタと歩き始めた時、ミッシェルは背後から大河内の首筋に多量の覚せい剤を注射した。


 大河内は悶え苦しみ、両目は飛び出して垂れ下がり、無惨に絶命した。


 ミッシェルは牧師コートを脱ぎ、カツラを取って紙袋に入れた。


 繁華街に戻る途中、注射器は川へ投げ捨てた。





 ミッシェルは『シリウス』へやって来た。

 マスターはジンライムの準備に取り掛かった。


 ミッシェルはキャメルを取出し、火を点けた。

 

 「お仕事の帰りですか?」

 「ええ」

 「遅くまでご苦労様です」


 マスターはジンライムとライムの皿を、いつものよにカウンターに置いた。


 「今夜は『帝王』なんですね?」

 「今日はなんとなく、マイルスの気分なんですよ。

 マイルスのペットは泣いていますから」

 「そうですね、マイルス・デイビスのトランペットは泣いていますね?」

 曲は『死刑台のエレベーター』だった。





 深夜、ミッシェルは汐留のコンコースでバイオリンを弾いていた。

 

   『リベルタンゴ』


 屋根のある歩道なので、コンサートホールのようにミッシェルのバイオリンが反響していた。

 すぐに人集りが出来た。


 それを弾き終えると、ミッシェルは終電の新橋駅へと歩き始めた。



 背広姿の男がふたり、ミッシェルを追い抜いて行った。咄嗟に身構えるミッシェル。

 すぐに後ろからふたりの男がミッシェルを挟み、耳元で囁いた。


 「一緒に来てもらいます。変な真似はお止め下さい」


 ミッシェルの両脇腹には硬くて冷たい感触があった。

 ミッシェルは4人の男たちに拉致され、黒いワンボックスに乗せられた。

 クルマは静かに発進し、直ちにボディーチェックが行われ、股間まで入念に調べられた。


 「ワルサーPPKとナイフですか? これは扱いやすいですよね? 私はこれが好きですが」


 男はコルトガバメントをミッシェルに見せると、そのままそれを下ろしたが、ホルスターへ仕舞うことはしなかった。


 「手荒なまねはいたしませんのでご安心下さい。

 ただ、あなたに会いたいというお方がいらっしゃいますので、お迎えに上がったまでです。

 それまでこの銃とバタフライナイフ、それからこの大切なバイオリンはお預かりします。

 ではしばらくの間、よい夢を」


 ミッシェルはクロロフォルムを嗅がされ、意識を失った。


第5話 Red Sphinx

 ミッシェルが目を覚ますと、そこはヨーロッパの古城のサロンのような部屋だった。

 暖炉がパチパチと音を立てて燃えている。


 ミッシェルはハイバックの皮張りのソファにロープで縛られ座らせられていた。

 目の前には30台半ばくらいの男が足を組み、口元で両手を合わせ、ミッシェルをじっと見詰めていた。

 細身の長身、髪をオールバックにし、大学教授のような聡明な顔つきをしていた。



 「手荒な真似をしてすみませんでした。はじめまして、西園寺と申します」

 「#ご丁寧な__・__#お出迎え、ありがとうございます」


 西園寺は部下に命じた。


 「手足を自由にして差し上げなさい」


 男たちはミッシェルのロープを解いた。



 「失礼しました。ミッシェル吉岡さん。

 父上と母上様の良いところを取った実に美男子だ。もちろんその才能も」

 「私の両親をご存知だと言うことは余程良い人か、あるいは私の復讐すべき対象かのどちらかでしょうね?

 少なくとも良い人ならこんな手荒な真似はしないはずですから、おそらく後者の方ですよね?」

 「私たちは『レッド・スフィンクス』という、世界的秘密結社の実戦部隊なのです。

 間違った人たちは私たちのことをテロリストとも呼んでいますが、それは正しくはありません。

 我々はある対抗勢力と戦う、規律正しく組織された軍隊なのです。

 テロ呼ばわりされるのは些か心外ですね? むしろ彼らの方が私たちからすれば立派なテロリスト、売国奴たちですよ」

 「確かにテロとは体制側の詭弁ですからね? でも、そんな立派な秘密結社さんが何故、私の両親をロンドンで爆死させたのですか?」


 ミッシェルは西園寺に静かに訊ねた。


 「ご両親はレッド・スフィンクスの同志でした。ご両親は私の大切な戦友だったのです。

 あれは事故でした。偶発的な事故。時限爆弾の誤爆だったのです。

 私たちは優秀な同志を失いました」


 西園寺は左手で頬杖をついた。


 「父と母があなたたちの仲間?」

 「信じられないかもしれませんが、この指輪に見覚えはありませんか?」


 西園寺は自分の指からその指輪を外し、部下に渡した。

 部下はそれをミッシェルに差し出した。

 赤いルビーの指輪。

 それは両親の結婚指輪だとばかり思っていた物だった。



 「これは組織の一員、しかも上級幹部の証なのです。

 ミッシェルさん、いかがですか? 我々と共にご両親の意志を継ぐお気持ちはありませんか?」

 「私に仲間になれと? 私は何の取柄もない、ただのバイオリン弾きです。

 他を当たって下さい」

 「ミッシェルさん、いえ、『雨のバイオリン弾き』さん、我々と理想の未来を実現しませんか?

 誰もが自由で平等な社会を作るのです」

 「お断りします。私には両親やあなたたちのような、そんな高尚な思想は持ち合わせてはおりません」

 「ご両親はこの日本の、腐敗した支配階級を破壊するために我々と行動を共にしました。

 日本は戦後、いや戦前からのアメリカの軍産複合体の植民地でした。

 世界の富は数パーセントのユダヤ人たちが代々継承しているのです。

 彼らは治外法権の中で生きています。彼らには法律も、時の権力者たちも手出しをすることが出来ません。

 では、どうすれば彼らからこの世を取り戻すことが出来るでしょうか?」

 「その一人ひとりを暗殺することですか?」

 「その通りです。

 この神の国、日本を彼らの手から解放させようではありませんか。

 見て下さい、この不条理な今の日本の格差社会を。

 豊かな者はより豊かになり、貧しい者はどこまでも貧しく、貧困の中で死んでいく。

 人は神の前では皆、平等であるべきなのです。

 あなたのしていることは、我々と方向性は同じだと思いますが、いかがです? 違いますか?

 法律で裁けない悪魔を退治する、それと同じではありませんか?

 では、こうしましょう、私があなたに仕事を依頼することにします。

 ひとり当たり、前金で1億円でどうでしょう?」

 「わかりました。それでは正規の手続きでご依頼下さい」

 「では改めてご連絡いたします。お客様のお帰りだ、丁重にお送りするように」


 ミッシェルは頭から黒い布袋を被せられ、男たちに両腕を支えられて屋敷を後にした。


 それがレッド・スフィンクスの首領、西園寺との出会いだった。


第6話 ミッシェルの想い

 あの虫も殺さぬやさしい両親が、国際テロリストだったとは未だに信じられなかった。


 フランス人の父はフランスのオーケストラのコンサート・マスターだった。

 バイオリンは父から手ほどきを受けものだった。

 父の奏でるバイオリンは、まさに神が奏でているような美しい音色をしていた。

 母はピアニストとして世界各地を演奏して回っていた。


 私は中学になると各々に忙しい両親とは離れ、東京の母親の実家で育った。

 母の実家は都内で総合病院を経営していた。


 祖父と祖母は私に医者になることを勧めたが、私は音大へと進学した。

 祖父母は「医者になっても音楽を続ければいいではないか?」と言ったが、両親のようなプロの演奏家になることを目指した。


 親子で演奏することが私の夢だった。

 それは両親と同じ道を進むことで、親から認めてもらいたかったのかもしれない。

 私は両親の愛情に飢えていた。


 だが、その両親もテロリストによって殺害されたと信じ、私は両親の復讐を誓った。

 

 (両親がテロリスト? レッド・スフィンクスとは何?)


 たとえそれが事実だとしても、私はもう驚くことはない。

 それは今、自分がしている闇の処刑と同じ思想が背景としてあるからだ。

 やはり私には両親と同じ血が流れている?



      この世から悪魔を退治する



 それが共通の想いなのかもしれない。

 真面目に誠実に生きている者たちが、報われる社会でなければならないのだ。

 私は弱者の無念を晴らしてあげたかったのだ。

 命を奪うことは人間には許されない行為だ。その行為が神の怒りに触れ、この身が地獄の業火に焼かれようとも、その覚悟は既に出来ている。

 命を剥奪した後に涙が流れるのは、自分の中に埋め込まれた理性とやさしさ、良心への呵責があるからだろう。

 人は恨みを買った時点で、命を全うする資格はないのだ。

 


      「殺したいほど憎い」



 そう思われること自体、その人間は人間ではなく悪魔だからだ。

 私はひとりで悪魔狩りを続けた。


 確かに西園寺が言ことにも一理ある。

 コングロマリットで潤う無限の富の源泉は、憎しみに基づく殺戮だ。

 争いを起こし、そこへ武器や物資を売る。

 永遠に廃れることのない悪魔のビジネス。

 人間の欲望には際限がないのだから。


    「もっともっと。もっと欲しい」


 戦争による貧困、傷病、教育格差や差別。

 生まれながらにして恵まれた者と、絶望の中で苦しみ喘ぎ生きる者。

 支配する者と支配される者。


 ベトナムではリンゴ1個と小学生の女の子の性が交換されていた。

 この世には死ぬよりも辛い生き地獄が、数え切れないほど存在する。



 西園寺や両親たちはその撲滅に尽力し、そのために身を投じていたというのか?

 ちっぽけな人間が生きていくために、必要な物は限られている。

 ひとつの身体にたくさんの衣類、ひとつの握りこぶし大の胃袋に詰め込む大量の美食に酒。

 ひとりの男や女に多くの愛人、何台もの高級車、大きな屋敷、宝石、金銀財宝、絵画、美術品など。

 そして留まることのない果てしないカネへの執着。

 自分に必要な分だけを求め、それを分け合えば済む話なのだ。

 身体はひとつなのだから。

 すべての恩恵は神からの一時的なレンタルであり、褒美なのだ。

 遅かれ早かれ人は死ぬ。何も持たずに丸裸で死んでゆくのだ。


 人間は「足るを知ること」を忘れてはならない。

 お互いに感謝して生きる義務があるのだ。

 だが、支配しようとする愚者たちは、それを人から奪おうとする。

 そして醜い争いが始まるのだ。

 そんな社会を神様はお望みにはならないはずだ。


 私はそんな卑しい人間たちを放置することができなかった。

 そして私は自分の幸福と引き換えに、闇の死刑執行人になる道を選んだ。




 汐音と南青山の裏通りにあるビストロで食事をしていた。



 「ミッシェル、今日の演奏も凄く素敵だったわ。

 あの天を切り裂くような伸びやかで艶のあるハイトーン、グッときちゃった」

 「そうかい? 小野君の音程が外れたのが残念だったけどね?」

 「いいの、そんなことはどうでも。私はオケの完成度に興味はないわ。

 私が見ているのはあなただけだから」


 汐音はラム・チョップの香草焼きをナイフで切り分けると、小さな口にそれを入れた。



 「来週、ロンドンに行くつもりなんだ」

 「長いの?」

 「いや、数日で戻る予定だよ」

 「コンサートの打ち合わせ?」

 「亡くなった両親に花を手向けるためにね」

 「ごめんなさいね、私、来週は忙しくてついて行けないけど、気を付けて行って来てね」

 

 私は両親が自爆した場所へ行き、両親の想いに触れてみよう思った。


第7話 同志 西園寺

 ヨーロッパの空の玄関口として、相変わらずヒースロー空港は混雑していた。


 検疫、入国審査、税関を経て、ミッシェルは両親が爆死したハロッズへと、タクシーに乗った。

 クリスマス前のロンドン市内は、想い想いに飾り立てられ、とても華やかだった。



 今日は両親の命日だったのだ。

 ミッシエルは花屋で花を買い、その場所に花を手向け、祈りを捧げた。


 「お父さん、お母さん、あなたたちの目指した理想の社会とは、どんなものなのですか?

 どうか安らかに、お眠り下さい」



 目を閉じてミッシェルが佇んでいると、隣に気配を感じた。

 目を開けると、そこにいたのは西園寺だった。

 彼もそこに花束を置いて、祈りを捧げた。



 「素敵なご両親でした。

 多くの同志を失いましたが、ご両親とは思想が同じで、この世界の理想についてよく語り合いました」

 「花をありがとうございます」

 「礼には及びませんよ、同志でしたから」

 「なぜ、両親はあなたたちの活動に賛同したのでしょうか?」


 西園寺は手を合わせ、ゆっくりと立ち上がった。


 「ここでは寒いですから、近くのパブで温まりませんか?」




 パブで私たちはホットウイスキーを飲んだ。


 「ご両親のために、献杯。 

 先程のご質問の件ですが、経緯はこうです。

 お父上は元々レッド・スフィンクスのフランス支部で活動していました。

 そして音楽家だったご両親はパリで愛を育まれた。

 母上は、内閣官房調査室の諜報員だったのです。

 そして結婚することで、より活動がし易くなったわけです」

 「母が内調のスパイ?」

 「ああ見えて、日本の政府も国内外の諜報活動や反共、反テロ工作は、水面下では盛んに行われているのです。

 もちろん我々には邪魔な存在ですがね?

 江戸時代の伊賀や甲賀のお庭番から始まり、その流れは明治、大正へと受け継がれ、昭和になると陸軍へと密かに継承され、陸軍中野学校の関係者が中心となり、CIAやKGB、モサドにも劣らない情報戦略や戦術を駆使しているのです」

 「そして母はレッド・スフィンクスへ潜入し、見かけ上のダブルスパイを演じ、組織に加担していたということですか?」

 「その通りです。

 でも想いは同じでした。この腐敗した資本主義社会からの脱却を、あなたの母上は望んでおられました。

 ロシアや中国のように、マルクスの時代は終焉を迎えたのです。

 自由経済の中での国家統制。国民に対する独裁を進めているのが現実ですが、そこにはリーダーの資質が問われます。

 誰もが歳を取れば脳は衰えてきます。

 そして、より権力に固執するようになる。

 国家の暴走が始まるのです。

 自由の国アメリカですら、ファシズムの温床はあるのです。

 奴隷として連れて来たアフリカの黒人を、彼らは同じ人間として扱うことはありません。

 彼らは馬や牛と同じ、家畜にすぎないのです。

 それはもちろん、このヨーロッパでも同じです。

 いや、寧ろこちらの方が酷い。

 ここでは人種差別ではなく、「人種区別」が行なわれているのですから。

 だから黒人男性が白人女性と歩いていても、アメリカのようにリンチされることはない。

 彼らは白人のペットであり、娯楽なんですよ。

 オーケストラの演奏者に黒人はいますか?」


 西園寺は静かにウイスキーを飲んだ。


 「私には西園寺さんや、両親のような理想国家の創造には興味はありません。

 でも、ひとつわかったことは、西園寺さんと両親は、お互いを信頼し合っていたということです。

 ここにやって来た甲斐がありました」

 「日本に帰ったら、また連絡しますね?」



 ミッシェルは翌日の便で日本に帰国した。




 羽田から汐音のマンションへ直行した。



 「これ、お土産だよ」

 「ありがとう! 開けてもいい?」

 「もちろん」

 「お洋服ね? この大きさ、軽さだと」

 「ああ、税関も中身を確認するような無粋な真似はしなかったよ」


 リボンを解き、歓喜する汐音。


 「わー、ベージュのカシミアのコート! ちょうど買おうかなと思っていたところなの!

 相変わらずお洋服を選ぶセンスは抜群ね? 女の子の好みを熟知しているわ、ありがとう、ミッシェル」


 汐音はすぐにそのコートを羽織り、一回転して私にキスをした。


 「こっちのお土産もちょうだい」


 汐音はミッシェルの股間を触れ、ふたりはしばし、愛し合った。




 携帯が鳴った。西園寺からだった。


 「お楽しみのところ、失礼。私も今帰国しました。

 明日の19時、横浜のニューグランドの402号室で待っています。

 ではどうぞ、お続け下さい」


 それだけ言うと、西園寺は電話を切った。



 「誰から?」

 「友だちだよ、ロンドンで出会った親友さ」


 ふたりの熱い夜は再び続けられた。


第8話 御庭番

 霞ヶ関のとある省庁の地下室に、3人の獣が飼われていた。

 お互いに本名は知らない。

 表向きは国家公務員だが、架空の職員である。

 

 田中一郎、佐藤次郎、高橋三郎。

 もちろん偽名だ。


 田中は陸上自衛隊、佐藤は海上自衛隊の特殊部隊出身、そして高橋は警察のSWATから選抜されたスーパーエリートたちだった。


 田中一郎は部長と呼ばれ、次郎は課長、そして三郎は係長と呼ばれていた。


 何の変哲もない、役所の普通のオフィス。

 電話、書類キャビネット、資料書籍、コピー機・・・。

 ただ、窓がないだけで、厳重なセキュリティ・システムもなかった。


 

 「本社から仕事の依頼だ」

 「本社はいいですよね? 命令するだけだから。

 危ない嫌な仕事はすべてこっちに丸投げですから」


 三郎が嫌味を言った。


 

 「今、貴様らのスマホにターゲットの画像を送信した。確認してくれ」

 「今回は外国人ですか?」

 「フランス人の父親と日本人の母親とのハーフのバイオリン弾きだ」

 「バイオリニスト? 何でこのイケメン君が重要ターゲットなんですか?」

 「表向きはな? ミッシェル・吉岡35歳。

 またの名を『雨のバイオリン弾き』と呼ばれている殺し屋だ」

 「こんなに美しい男が殺し屋?」

 「殺人なら我々の担当ではないのではありませんか? 警察の仕事ですよね?」

 「単なる闇の殺し屋ではなくなったのだ。この男は西園寺と繋がった」

 「レッド・スフィンクスの西園寺ですか?」

 「そうだ。西園寺共々、ミッシェルも消去せよとの命令だ。

 本社の話ではレッド・スフィンクスのクーデター計画が、近く実行されるらしい。

 それを阻止するためのミッションだ。

 ではこれからミッションの概要を伝える」

 「はっ!」


 課長と係長は立ち上がり、部長の田中に敬礼をした。


 この三人は内閣官房調査室直属の秘密の暗殺部隊だった。

 彼らは国家治安維持のため、危険人物を暗殺するのが任務だった。

 彼らは通称「御庭番」と呼ばれ、あらゆる武器の携帯を許された、政府公認の殺人許可のある者たちだった。


 ドイツ、イギリス、中東、アフリカ、アメリカで特殊軍事訓練を受けており、暗殺成功率100%の現代の忍者部隊だった。

 ターゲットにされたら最後、その人物の人生は終わったも同然だった。


 議員秘書、官僚、政治家の自殺などもすべて彼らの仕業だった。

 書類キャビネットの裏には彩光認証の隠し部屋があり、そこには数多くの武器弾薬や器具、カツラに衣装が格納されていた。

 課長の次郎がS&W M19 コンバット・マグナムを手にした。

 

 「課長、またそれですか?

 日本でそれを操れるのは課長だけですよ。45口径でデカいし、重いし。

 ターゲットは頭が吹き飛びますからね?

 俺はこっちの方が好きです。軽くて扱い易いし」

 「ガバメントもいいが、オートマチックの場合、レボルバーと違って、不発の場合には不発弾を排出する手間が命取りになる。

 俺は確実性を選ぶ。失敗は許されないからな?」

 「それに比べると日本の警察の銃はオモチャですよ。22口径のニューナンブなどは命中精度は高いが、殺傷能力は低い。

 2006年からはS&W社製の「サクラ」に変わりましたが、日本はつくづく平和な国ですよ」

 「アメリカから無理やり買わされたんだから仕方がないさ。

 それよりも、すべての警官の携行している実弾が5発だけというのが問題だ」

 「実戦では死にますね? しかも1丁だけだなんて」

 「とりあえず、そのイケメン・バイオリニストに会いに行くぞ」

 「はっ!」


 部長の田中一郎が言った。


 「あの西園寺が惚れた男だ、甘く見るなよ」

 「わかりました」


 ホルスターに拳銃を納めると、3人の獣たちは部屋を出て行った。


第9話 ホテル・ニューグランド

 横浜の大桟橋の客船ターミナルから霧笛が聞こえた。

 どうやら大型客船が出港するようだ。


 「いいですね、船の霧笛は。

 別れ行く哀しさの中に美しさがある。

 私は横浜が好きでね、ミッシエル、君はどうだい?」

 「嫌いじゃないですね」

 「すまなかったね? 突然呼び出したりして。

 少し、僕の雑談を聞いて欲しくてね」

 

 西園寺がハバナを咥えると、すぐに傍の男が火を点けた。

 バニラの甘い香りが部屋に広がった。


 「この日本を天皇陛下にお返ししようと思うんだ」

 「天皇制の復活?」


 西園寺は吸い込んだ煙をゆっくりと吐いた。


 「そう、この国はすっかりアメリカに毒され、弱体化し、大和民族としての尊厳を完全に忘れてしまった。

 見てご覧よ、みんな腐った魚の目をしている。

 夢も希望もなく、スマホに齧りつき、仮想現実の中を彷徨っている。

 資本主義の名の下に、すべての価値はその金額で決められてしまう。

 たった1枚の絵が数百億もするんだ。絵の具とカンバスなど知れた物なのに、その価値を金に換算して何の意味がある?

 年収が1,000万あるとかないとか、どれだけ高価なブランドバッグを持っているとかいないとか。

 実にくだらないことだよね?

 子供たちは偏差値に囚われ、大学は乱立し、高校以下のレベルに成り下がってしまった。

 仕方がないよ、人材がいないんだから。

 白人社会や共産圏のように、卓越した頭脳を伸ばすシステムがこの国にはない。

 文部科学省と日教組の遣りたい放題。そして後ろでそれを操るアメリカ、中国。

 義務教育が聞いて呆れるよ。

 そんな子供たちが成長するとどうなる?



    「自分さえ良ければいい」



 そういう誤った競争社会が増長され、豊かな者はより豊かになり、貧しい者はいつまでも貧しいままだ。

 そんな日本になってしまったんだよ、この国は。

 資源も植民地も持たず、この小さな島国が白人の列強と肩を並べ、ロシアにも勝利し、中国、朝鮮半島、東南アジアを支配した。

 日本の統治は間違ってはいなかったんだよ。

 それが証拠に、かつて日本の占領下にあった中国、韓国、フィリピン、ベトナム、インドネシア等を見てご覧よ。日本に学んだ彼らは大きく近代化を成し遂げたじゃないか? 

 その技術やシステムは、殆どが日本の物だ。

 日本はヨーロッパの連中がして来たことを真似しただけじゃないか? アイツらがしたことを我々の祖先が。

 秀吉の時代から朝鮮出兵が行われ、日本も欧米諸国のように海外へ植民地を持つ必要があった。

 より国を豊かに強力にするために。富国強兵。

 それを成しえた原動力は何か?



    「恥を知り、命を懸けて事にあたった」



 それに他ならない。

 たかが仕事に失敗したくらいで腹を切る民族など、日本人以外には存在しない。

 よく母親から言われたあれだよ。



    「そんなことをしたら笑われますよ」



 日本人には自己がないと言われる。

 それは常に回りと同調し、同じ生活水準を保ちたいという思想を植え付けられて育ったからだ。

 「出る杭になってはいけない」と。

 そしてその特異な日本人の習性を、上手くアメリカに利用されてしまった。

 アメリカは良い国、やさしくて強くて正しい、夢のある国だと脳に刷り込まれてしまったんだよ。

 あのネズミのキャラクターを生みだしたウォルトは、CIAの人間だったのは有名な話だ。

 ハリウッドは国策映画作りの拠点として、強いアメリカ、豊かなアメリカ、夢のあるアメリカを全世界に配信し続けた。

 大量生産、大量消費。地球を汚して来た張本人は彼らなんだよ。

 原爆を2つも落とされても暴動も起きない、抗議デモもしない。それどころか「原爆投下は誤った戦争を終わらせるためには仕方がなかった」とすら思わされている。

 そして有力な政治家やマスメディアに、どれだけの資金が提供されているか、国民は知る由もない。

 すばらしい国だよ、アメリカは」

 「そのおかげでこの国は憎しみや悲しみでいっぱいだからね?」 

 「ミッシェル、この国を我々と一緒に変えようじゃないか? 誇り高き大和の国に再生させよう。我々の力で」

 「どうやって?」


 西園寺は葉巻を灰皿に置いた。


 「革命だよ、この国に革命を起こすんだ。

 自分の権益しか考えない政治家や官僚、偽りの教育者たちを一掃し、新しい神の国を創るんだ」

 「おとぎ話のようだね?」

 「僕は狂ってはいないよ、そのために今日まで準備を重ねてきたんだからね?」

 「自分は狂っていないという人間ほど、狂っているそうだよ。知り合いの精神科医がそう言っていた。

 僕は自分がおかしいことを知っている。だから僕は正常な人間なんだと思う。

 西園寺君、君は狂っているよ」

 「では君のご両親も、狂人だったということになるね?」

 

 ミッシェルは信じたくはなかった。

 この西園寺の荒唐無稽な話に、あの知性と教養に溢れた両親が革命などを望むはずがないと。


 「ご両親はね? 僕や君、そしてこれからの子供たちのために平等で豊かな暮らしを残してあげたかったんだよ」

 「革命など出来やしないよ。だって君はさっき言ったじゃないか? 日本人は腐った魚の目をしていると。

 そんな国民が革命などに賛同するわけがない」

 「だから目を覚まさせるんだよ。法治国家? 日本にそんなものがあったかい?

 憲法は絶対なのかい? 第9条は自分たちで考えた物なのかい?

 アメリカが日本というオオカミに首輪を掛け、鎖で繋いだだけじゃないか。

 こんなに優秀な軍隊は世界に類をみない。 

 軍人の中にもまともなリーダーはいる。

 東大出のご都合主義の文民にシビリアン・コントロールされて、不満を抱いている防大出身者は多い。

 そしてようやくそれに賛同してくれる同志たちも出来たんだよ」

 「5.15、2.26など、いずれのクーデターも失敗したじゃないか?」

 「それは武器弾薬が限られていたからだよ」

 「まさか?」

 「そう、僕は「核」を手に入れたんだ」


 部屋に少し長い沈黙が出来た。

 私と西園寺の話はそこで終了した。

 





 ミッシェルが依頼のあった仕事を終えると、いつものように新橋駅の広場でバイオリンを弾いていた。

 行き交う人々を見て、ミッシェルは考えた。

 確かに西園寺の言う通りだと。

 だが、日本に於いてクーデターなどは可能なのだろうか?

 大好きだった両親はそれを夢見ていたというのか?

 今日のミッシェルのバイオリンには迷いが表れていた。

 そしてそんなミッシェルを、人垣の中から静かに無言で見詰める2人がいた。


 あの御庭番の佐藤課長と高橋係長のふたりだった。


第10話 暗殺指令

 そのふたりの男たちは、他の聴衆と同じように、バイオリンケースに500円玉をそれぞれ入れるとその場を立ち去った。




 「課長、あれは何という曲ですか?」

 「チャイコフスキー、バイオリン協奏曲第一楽章、ニ長調作品35だ」

 「あれで長調なんですか? てっきり短調だと思いましたよ、あまりに悲しくて」

 「アイツが弾くと、長調も短調に聴こえるよ」

 「この世のすべての悲しみを、ひとりで背負っているような瞳をしていました」

 「美しい死神か?・・・」



 

 その夜は汐音がホテルの部屋で待っていた。


 「おかえりなさい」


 ミッシェルの右手を自分の唇に当て、汐音はその手に口づけをした。



 「火薬の匂いがするわ」

 「シャワーを浴びて来るよ」

 「いいの、このまま私を抱いて。この手で私に罰を与えて頂戴」

 「汐音はどんな悪い事をしたんだい?」

 「今日のショパンは最悪だったの。ピアニストとして酷い演奏をしてしまったわ。

 だからお願い、この手で私にお仕置きをして」

 「悪い子だね? それでショパンの何を弾いたんだい?」

 「別れの曲」

 「そうか、それはいけないね?」


 ミッシェルは汐音のワンピースを引き裂いた。

 汐音の短い悲鳴が上がる。

 だがそれは、これから始まる行為への期待でもあった。

 音楽家も画家も作家も、作品を完成させた後の性欲は高まるものだ。

 誰もこの美しい妖精のようなピアニストが、こんなにもセックスに貪欲だとは、誰も信じはしないだろう。


 

 「もっと、もっと虐めて! 私を壊して! うっ、あ、くうっ・・・」


 激しくベッドが軋んだ。

 汐音は何度も絶頂を迎えたが、ミッシェルは冷静に自分の行為を俯瞰していた。

 ミッシェルは常に自分を「第三者」として見ることが出来た。


 死刑執行人となってからのミッシェルは、すでに喜怒哀楽の感情を失くしていた。

 他人がミッシェルの哀しみを感じても、ミッシェルにはその感情がない。

 汐音は自分のオルガスムスが収まると、ミッシェルの胸に顔を乗せた。


 「ずっと私の傍にいてね?・・・」

 

 ミッシェルは汐音の髪をやさしく撫でた。


 「なぜだかとても怖いの。あなたがとても遠く感じる。

 もうショパンは弾かないわ。いえ、弾かないんじゃなくて弾けない。弾きたくないの・・・」

 「君のショパンは誰よりも人の心に感動を与えてくれる。君がショパンを弾かないと、ショパンが悲しむ」

 「もう一度、強く抱いて、お願い。

 そして約束して、私を置いて何処にも行かないと・・・」


 ミッシェルは汐音を強く抱いた。

 だが、それを約束することはなかった。





 ミッシェルはコンサートを終え、タクシーに乗った。

 最近、冷たい視線を感じていた。

 それは殺意の籠ったものだった。



 (狙われている)



 ホテルの部屋に入ろうとした時、ドアの上部に細工しておいた、付箋紙が切れていることに気付いた。



 (居る、誰かが部屋の中に)



 しかもひとりではない。

 ミッシェルはドアを開けずに、エレベーター脇にある、内線電話からルームサービスをオーダーした。


 

 15分ほどしてルームサービスが部屋のチャイムを鳴らした。

 するとドアが開き、ルームサービスが部屋の中へと入って行った。

 ヤクザのヒットマンではない、訓練を受けた組織の人間だとミッシェルは確信した。

 おそらく、薬物による心臓発作などでの殺害方法を考えているのだろう。

 ミッシェルはフロントに降りて行き、隣に部屋を取った。



 午前3時、私の部屋から作業服を着た男がふたり、出て来た。

 エレベーターに二人が乗ったことを確認し、ミッシェルは非常階段を駆け下り、地下駐車場で待ち伏せをした。

 

 エレベーターが開き、男たちは電気工事会社のクルマに乗った。

 ミッシェルはすぐにエントランスに出るとタクシーに乗り、男たちのクルマの後を追跡した。




 クルマは30分ほど走ると、廃業した町工場に入り、そこでクルマが停まった。

 男たちが車から出て来た。

 ミッシェルは暗視ゴーグルを付け、ワルサーPPKにサイレンサーを装着した。


 頭部に2発、左胸に2発。

 手応えはあった。

 その時、背後でマグナムの安全装置を外す音がした。


 「ゆっくりと銃を置いて両手を挙げろ」


 落ち着いた冷静な声だった。

 実戦経験のある人間だと直感した。

 ミッシェルはゆっくりと拳銃を下に置き、両手を挙げた。


 「流石は「雨のバイオリン弾き」だ、お見事だった。

 残念だが上からの命令なのでね? 悪く思わないでく・・・」


 その時、銃声が聞こえた。

 西園寺たちだった。

 男は絶命した。


 「日本の公務員は話しが長くていけないね?

 ハリウッド映画の見過ぎだよ、すぐに引き金を弾かないと。

 だからこうなってしまう。

 物事は99を持って1としないと」

 「助けてくれてありがとう」

 「礼には及ばないよ、僕たち、親友じゃないか?」


 その時、建物からサブマシンガンの音が聞こえた。

 

 「どうやら向こうも終わったようだ。ホテルまで送るよ」


 警察車両のサイレンの音が近づいて来た。


 

 「警察には連絡しておいたんだ。おそらく明日のニュースには何も出ないとは思うけどね?

 彼らは元々、存在しない人間だからね?」


 西園寺はそう言って静かに笑った。


第11話 国会議事堂 爆破

 ミッシェルは西園寺の屋敷にいた。

 西園寺が言ったとおり、昨日の事はニュースにはなっていないようだった。



 「ミッシェル、君には僕の参謀になってもらうよ。

 面倒なことは何もない、僕のそばにいてくれればそれでいいんだ。

 これからある場所へ移動するから、君も一緒に来てくれ」




 都内に入ると、ミッシェルたちを乗せたクルマの前後左右には、自衛隊員を乗せた軍用トラックが並走していた。


 (自衛隊が護衛? それはつまり・・・)


 そして次第に自衛隊の車両は増えて行き、私たちを乗せたクルマはNHKに突入した。



 武装した自衛隊の小隊は、あっという間にNHKを占拠し、西園寺たちレッド・スフィンクスと自衛隊は、オンエア中の朝の情報番組に乱入した。



 「なんだお前たち! 放送中だぞ! 警察だ! 警察を呼べ!」

 

 50代くらいのプロデューサーらしき男が叫んだ。

 西園寺の側近は眉ひとつ動かさずにその男を射殺した。


 

 「キャーッ!」


 スタジオは出入り口が封鎖され、出演者やスタッフは怯えていた。


 「こうなりたくなければ我々に従いたまえ」


 西園寺はゆっくりと司会者の元へと進み、カメラに向かって話し始めた。


 「私はレッド・スフィンクスの西園寺です。

 ただ今より、この日本国は我々の指揮統制下に入ります。

 慌てなくて結構です、今日の深夜零時までにご自宅へお戻り下さい。

 その後、戒厳令を敷き、一切の外出は禁止します。

 もし、これに従えない場合、身柄の拘束、もしくはその場で射殺いたしますのでご注意下さい」


 ワゴンに乗せられた、1メーターほどの黒いコンテナがスタジオに運ばれて来た。

 レッド・スフィンクスの戦闘員がケースを開けると、そこには合金製の大きなカプセルが格納されていた。



 「これは小型核爆弾です。

 私がこのリモコンボタンを押すだけで、東京は一瞬で消滅することになります。

 では次に、こちらの映像をご覧下さい」


 

 国会議事堂が映し出された。

 そして数秒後、自衛隊の攻撃ヘリが5機現れ、ロケット弾を一斉に国会議事堂に向かって撃ち込み、議事堂は爆破され炎上した。



 「我が国の自衛隊は、ただ今より大日本帝国陸軍、海軍、空軍となります。

 わが国の軍隊は世界一であります。

 そしてこの日本の誇り高き軍隊は、一時、レッド・スフィンクスの指揮下に入ります」


 日本国内はもとより、世界中が騒然となった。

 同時に各大臣、副大臣、政務、事務次官は射殺され、日教組、与党の民自党、公平党の三役も殺害され、各メディアの社長や会長たちも各々一斉に処刑されていった。

 

 新聞社、民放放送局、警察はすべて占拠され、情報が遮断された。

 日本は無政府状態となった。




 午後の放送で西園寺は演説した。


 「戦後、これまで日本はアメリカに占領され続け、植民地にされて来ました。

 世界で唯一の被爆国として、「非核三原則」を守らせられ、「核兵器を持たず、造らず、持ち込ませず」と公言して来ました。それを国是として佐藤栄作が打ち出した美談です。

 でも実情はどうでしょう?

 アメリカは平気で核を日本に持ち込んでいるではありませんか?

 そして日本政府もそれを黙認して来た。

 結果として日本は、これだけ優れた軍隊を持ちながら、中国、ロシア、北朝鮮、韓国、そしてアメリカから好き放題されてきました。

 核は抑止力なのです。持っているだけで有効且つ最高の軍事力なのです。たったこのボタンひとつですよ。

 軍隊を持たずとも、核さえあればそれでいい。

 逆に核も交戦権も持たない、「専守防衛」とは、自衛官に犬死せよと言っているのと同じことなのです。

 アメリカから法外な金額で売りつけられた最新兵器を持ちながら、実際には他国から攻撃されても現場の指揮官の判断では反撃することは許されない。

 災害派遣に武器は必要ですか? 日本人は核爆弾で被爆し、東日本大震災でまた被爆しました。

 その恐ろしさを我々は思い知らされました。

 ビキニ環礁での水爆実験により被爆した、マグロ漁船、第五福竜丸の被爆はアメリカから補償されましたか?

 死の灰を浴びて、乗組員の漁船員が1人死亡しているのですよ。日本政府はアメリカに抗議しましたか?

 日本は一見、すばらしい自由で平和な社会を想像させますが、実際はアメリカに対して二度と刃向かえないようにした占領政策の根幹、「マッカーサー憲法」で骨抜きにされているのです。

 連合国総指令官だったマッカーサーは有能な法律家でもありました。

 警察予備隊から自衛隊。我々の自衛隊はアメリカに都合のよい番犬なのです。

 もう辞めませんか? アメリカの属国、奴隷として生きるのは。

 大統領が誰になろうと、アメリカの日本に対する占領政策は変わらないのです。

 天皇陛下の大和の国に、再び日本を復興させようではありませんか!

 この国は様々な問題を抱えています。高齢化社会による介護福祉、そして老害。

 歳を取り、体力と頭は衰えても、欲望は留まることを知らない。

 教育の荒廃、不平等、幼児虐待。

 子供は親を選べないのです。

 停滞する経済、衰え行く国際競争力。

 腐敗した政治、杜撰な偏差値重視の教育制度、領土問題。

 私にはそれらを変え、豊かで生き甲斐のある日本再生プランがあります。

 復活させようじゃありませんか! 神の国、日本を!

 今こそ取り戻すのです! 大和民族の誇りを! 団結を!

 では、また後ほど」 



 そして西園寺はミッシェルを見て言った。


 「ミッシェル、国民には伝わったかな? 僕の理念が?」

 「それが出来れば、日本はこんな国にはなってはいないよ」

 「僕もそう思うよ。日本人は牙を抜かれたオオカミだからね?」

 「これからどうするの?」

 「まずは軍事政権の樹立だ。海上自衛隊の佐伯幕僚長を臨時の総理大臣に任命し、陛下へお目通り頂くための準備に入る。 

 それと同時に粛清を開始する。

 この国を再生するにはポルポトやスターリン、毛沢東のような血の海に死体の山を築くしかないからね?

 そしてそれは誰かがやらねばならない。

 だから僕がそれをやる、未来の日本のために」


 そこへ自衛隊の将校がやって来た。


 

 「潜水艦『うずしお』、霧山艦長より報告!

 ニューヨーク沖に到着したとのことです!」

 「よろしい」

 「はっ!」


 将校は西園寺に敬礼をして去って行った。


 「核はひとつではないんだね?」

 「バカばかりじゃないよ、日本人は。

 すでに日本は核保有国なのさ」


 西園寺は満足げに微笑んでいた。


最終話 永遠の契り

 西園寺は戒厳令本部をNHKに置いた。

 続々と各方面隊から精鋭部隊が集結し、皇宮師団が編成された。


 そんな戒厳令下の中、ひとりの美しい女性が毅然とした足取りで、颯爽とNHKにやって来た。

 汐音だった。



 「ミッシェル・吉岡の妻です。主人に取り次いでいただけません?」


 と、汐音は小首を傾げて微笑んだ。


 「誰もお通しするなと厳命されております。どうぞお帰り下さい」

 「仕方がありませんねー、ではこういたしましょうか?」


 汐音はエルメスのバーキンから手榴弾を取り出すと、グリップを握ったまま、ピンを抜いた。


 「みなさんもわたくしと一緒に、ここで犬死します?」


 だが、それに怯む者は誰もいなかった。

 すると、そこの責任士官の堀川一尉が汐音に言った。


 「別に構いませんよ。我々の命など、自衛官になった時から国家に捧げていますから。

 ピンを戻して少しお待ち下さい。今、確認して参りますので。

 もしそれで駄目でしたら、どうぞご自由に」

 「恐れ入ります」


 汐音は手榴弾にピンを戻した。

 堀川一尉は無線で本隊へ連絡を取った。

 

 「ミッシェル様の奥様がこちらにお見えです。お通ししても構いませんでしょうか?」

 「丁重にご案内しろ」

 「はい、了解いたしました」


 堀川は汐音に向き直り、


 「ではこれからご案内いたします。

 その前に、そのオモチャの手榴弾をお預かりいたします」

 「あら、ご存知でしたの? このグラナダがオモチャだと?」

 「本物は仕事でよく使いますからね? さあ、どうぞこちらへ」


 

 

 クーデターは不思議なほど順調に遂行されていた。


 「首領、合衆国大統領よりお電話です」

 「回線を開け。そして全世界にこの模様を放映せよ。

 同時通訳をここへ」

 「はっ!」



 全世界へ向けて、西園寺とアメリカ大統領の公開討論が生中継された。


 

 「ミスター西園寺、私は合衆国大統領として後悔しているよ。

 レッド・スフィンクスについては国務長官のロビンソンから抹殺するよう進言されていたのだが、私はそれを先送りにしてしまった。

 ノース・コーリアの方が忙しくてね? つい疎かにしてしまったんだ。非礼をお詫びするよ、ミスター西園寺。

 もっと早くに叩き潰しておくべきだった」

 「私はツイていたわけですね? おかげで周到に天皇制を復活させることができました。

 礼を言いますよ、ミスター・プレジデント」

 「アメリカは世界のポリスマンとしての使命がある。君の返答次第では、ヒロシマ・ナガサキの二の舞になるが、覚悟はいいかね?」

 「ミスター・プレジデント、寝言は寝てから言うものですよ。

 今のアメリカに、世界の警察官としてのチカラなど、果たしてあるのでしょうか?」

 「口を慎みたまえ、イエロー・デビル君。

 どうもジャップは昔から立場もわきまえず、言葉遣いも知らないようだ」

 「我が国の潜水艦『うずしお』が今、ニューヨーク沖で私からの命令を待っています。

 核弾頭を搭載したミサイルを携えてね」

 「そんなブラフにアメリカは屈しないよ。日本人は本当に神風が好きだね?

 おかげでアラブの人間までがジハード(聖戦)などと真似をし、爆弾自爆テロなどを思いつく。

 迷惑な話だよ、大切な命をそういう兵器に変えるなんて。

 相変わらず、教育されていないね? これだから困るよ、未開のサルは。

 我々は「誇り高きアメリカ人」なのだから」

 「埃だらけの骨董品的アメリカ人の間違いではありませんか? プレジデント。

 もう、あなたたちの時代は終わったんです。我々はアジアを統一し、アメリカの支配から脱却します。

 我々大和民族の方が、はるかにあなたたちユダヤ人よりも優れているのです。

 ユダヤ人の末裔が日本人だという説もありますが、そんなヘロデ王のような欲望の権化ではなく、我々日本人は気高い志のためになら、死をも厭わない民族だということをお忘れなく。

 「一億玉砕」は、日本人の「金科玉条」なのです。

 もう我々はあなたたちアメリカの犬ではない」

 「どうやら交渉決裂のようですな? ではさらばだ、西園寺」

 

 中継が終わり、そこへ汐音が現れた。



 「ミッシェル、奥さんがお見えのようだよ。

 いつ、君たち結婚したんだい?

 お祝いもしなくてすまなかったね?」


 ミッシェルは静かに言った。


 「ここは君のようなピアニストの来る場所ではないよ」

 「だから来たのよ、ピアニストとしてみなさんを癒すために」


 西園寺が言った。


 「それはいい、レクイエムをお願いしようじゃないか? 君の細君に」

 「喜んで演奏しますわ! ミッシェル、デュエットしましょう! あなたのバイオリンとわたくしのピアノで最高のレクイエムを」

 「君とレクイエムを?」

 「そうよ、NHKホールで。あそこなら慣れているでしょう?」

 「ミッシェル、僕からもお願いするよ」


 汐音は私の手を引いた。

 

 「さあ、私たちのコンサートの始まりよ」





 汐音とミッシェルはNHKホールへ移動した。

 汐音は持って来た白いウエディングドレスに着替えると、ゆっくりとピアノの前に進み、ピアノに触れた。

 だが汐音はモーツァルトの『レクイエム』ではなく、グノーの『アベ・マリア』の弾き語りを始めた。

 それにミッシェルのバイオリンが後を追い、ミッシェルと汐音のデュエットが始まった。


 儚くも美しく、そしてそれは聖なる音楽だった。

 ミッシェルのバイオリンが汐音の歌と、ピアノと交わり、離れ、そしてまた絡み合いながら昇天して行った。

 NHKホールを切り裂く、ミッシェルのバイオリンが奏でるハイトーン。

 戒厳令下の日本で、人々はその美しい旋律に魅了された。



 演奏が終わり、汐音が私に頷き、椅子から立ち上がった。

 私はバイオリンをグランドピアノの上に静かに置くと、左胸からワルサーを抜いた。


 パン パーン


 NHKホールに2発の乾いた銃声が響いた。

 汐音の心臓が見事に撃ち抜かれ、汐音の白いドレスがみるみる赤く血で染まった。


 私は汐音を抱き寄せ、銃口を自分のこめかみに当てると、ためらうことなく引き金を弾いた。


 パーン


 手を握り合い、折り重なる汐音とミッシェル。

 ふたりの愛が永遠となった瞬間だった。


 西園寺は呟いた。


 「この国が神の国になったのを見届けたら、僕も後から行くよ。君たちの元へ。

 美しい、なんて君たちは美しいんだ。羨ましいほどに輝いている」


 西園寺はふたりの亡骸にそっと手を置いた。




 「大統領、準備完了いたしました」

 「あんな小さな島国など、もはや何の価値もない。

 郵政民営化でカネも入ったし、例の日本古来からの金塊も、我が国の物となるのだからな? 黄金の国、ジパング。所詮はShallow Cunning(サル知恵)だよ、国防長官。

 日本人は未だに損得では動かぬ猿軍団らしい。

 この世で一番大切な物、それがカネであることを、まだジャップは学んではおらんようだ。

 50年後、日本もハワイのようなリゾート地にしようじゃないか?

 観光客をたくさん集め、アングロサクソンのための高級別荘地としてね?

 そのためにも横浜、京都、神戸だけは残さないといけないな?

 それでは攻撃目標、札幌、仙台、東京、大阪、博多に向け、同時にICBMの発射を命じる。

 さらばだジャップ! ファイヤー!(発射)」


 大統領は戦後初めて、また日本に原子爆弾を放った。

 躊躇うことなく。





 「西園寺首領! アメリカから核ミサイル攻撃です!

 迎撃システムを作動させます!」

 「無駄だよ、司令長官。あんなオモチャ、役には立たない。

 『うずしお』艦長に伝えよ、ワシントンのホワイトハウスを核攻撃せよと」

 「ホワイトハウスに核トマホーク、発射します! 発射ーっつ!

 発射しましたあ!」


 西園寺は盃を用意させた。


 「さあみんな、乾杯しようじゃないか! 我々はついにアメリカに勝利したのだ! 非業の死を遂げた英霊に、民間人に乾杯!」

 「乾杯‼︎」



                       『乗客のいない観覧車』完



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】乗客のいない観覧車(作品230607) 菊池昭仁 @landfall0810

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ