遺物の爪痕 二


 戦時廃船の探索はその後、イェトの普段の語り口のように淡々と進んだ。艦内は行く先々で荒れていたが人の気配はなく、ネイサンは『明かりのついた廃船』という不自然な状況にも慣れてきてしまっていた。


「ねぇ、イェトはここにいる奴の正体、なんだと思ってる?」


 何個目かの扉を過ぎたところで、ネイサンはイェトにそう尋ねた。


「僕は宙賊ちゅうぞくかなんかがここを拠点にしてるのかなって思ったんだけど……その割には静かだし」


 星に海賊や山賊などの荒くれ者がいるように、宇宙にも無法者は存在する。大抵は自身が持つ宇宙船を移動拠点としていることが多いが、今回のように衛星化した巨大デブリをいじって拠点にする者もいなくはないのだ。


「電源復活させたりシールドいじったりしてるから、宇宙蟲スペースバグでもないし……」

「あそこに答えがあるかもね」

「え?」


 戸惑いの声をあげるネイサンが見つめる中、イェトがある場所に向かって真っすぐ歩いていく。その先にあるものに気付いて、ネイサンはハッと息を飲んだ。


「人の、足……!?」


 部屋の入り口を塞ぐように倒れた扉の下から、人間の足らしきものが覗いている。一足先にその前で立ち止まったイェトの許に小走りでよりながら、ネイサンは自分の心臓がどくどくと嫌な鼓動を打つのを感じた。鼻腔に微かに腐敗と鉄の臭いが過る。


「死んでる……?」


 その足の持ち主の上に重なっている扉は、なにか強い力で破壊されたかのようにひしゃげていた。重量のある金属製のそれの下敷きになっているその人の生存は絶望的な状況だ。


「まあ、十中八九ね」


 緊張感からごくりと生唾を飲むネイサンとは対照的な表情のイェトはそう言って、倒れた扉に手をかけた。力を込められたその細腕が一瞬の間の後、金属板を持ち上げる。先ほどよりも酷い臭いがむわりとネイサンの顔周りを漂い、彼は思わず鼻を覆って顔をしかめた。


「……っ!」


 露わになったその体は、酷い状態だった。四肢はあらぬ方向にまがり、腹は引き裂かれ、顔も血塗れでわからない。時間が経っているのか、その血が鮮血ではないことだけが救いのように思えた。


「……ふぅん」


 イェトは冷静に視線を動かし、その死体を検分しているようだった。この死体が酷い殺され方をした、ということしかネイサンにはわからないが、どうやら彼女は違うらしい。


「きな臭いな……――――!」

「!?」


 不意にイェトが扉を持ち上げていた手を外した。かと思えば、ネイサンの首根っこを掴んで廊下の物陰に転がり込む。引っ張られ腰を強かに打ったネイサンは、その痛みに一瞬息が止まりながら、ぐちゃ、と死体が扉に再度潰される嫌な音と、激しい発砲音を聞いた。


「な、なに……!?」


 何者かに襲われた、と漸く理解したネイサンが腰の痛みに涙目になりながらイェトを見ると、彼女は静かに廊下の向こうを伺っている。


「しつこいな、あいつ」

「え?」

「――オラァッ、隠れてんじゃねぇぞクソガキッ!!」

「!!」


 廊下の向こうから男の怒鳴り声がした。思わずイェトの顔を見ると、横目でこちらを見ていたらしい金色と目が合う。


「私達が乗って来た船の元持ち主」

「ええ!?」

「なんか、恨まれたみたい」


 イェトはそう言って、再び廊下の向こうに視線をやった。銃持ってんの面倒臭いな、と呟く彼女に動じている様子は見られない。こんな状況なのに、その肝の太さにネイサンは思わず感心してしまった。


「そこかぁっ!!」

「ぎゃっ!?」


 激しいマシンガンの銃音と同時に、廊下に大量の銃痕が付くのが見える。ネイサン達を蜂の巣にする気満々の様子に、ネイサンは思わず縮こまった。イェトとは対照的な肝の小ささだ。自分で少し情けなくなった。


「隠れても無駄だぜ~?」

「出て来いよ。酒場での威勢はどうした?」


 ふたり分の足音が、徐々にこちらに近づいて来る。イェトに、どうするのか、と問おうとし時、なぜかネイサンの体が浮いた。


「うわぁっ!?」


 原因は、言わずもがなイェトだ。

 自分より大きいネイサンをあっさり持ち上げ、イェトは男たちが来るのとは逆方向に走り出す。人間マフラーのごとく肩に担がれたネイサンは、頭を下にした状態でダイレクトにその揺れを喰らう羽目になった。


「ちょ、イェ、まっ……!」

「喋ったら舌噛むよ」

「ぐぅ……!」


 何も担がなくても走らせてくれれば、という抗議の気持ちは、イェトの正論により一瞬で封じられてしまった。


「いたぞっ!」

「待ちやがれ!!」


 男の怒鳴り声と共に銃撃が飛んでくる。イェトは速度を緩めずに方向転換すると、近くの部屋に飛び込んだ。

 そこは、まばらに小さなコンテナが並ぶ部屋だった。イェトはひとつのコンテナの影に滑り込み、ネイサンを雑に降ろす。最悪のジェットコースターから解放され、ネイサンは思い切り息を吐いた。


「し、死ぬかと、思った……!」


 まだ揺れてる感覚のある頭を何とかしようと何度も荒く息をしたネイサンは、ふと顔をあげて固まった。誰かと、目が合っている。


「だ、誰かいる!」


 それは、貧相な犬のような顔を持った男だった。ネイサンの声に反応したイェトが即座にその男を拘束する。新たな敵の登場かと思われたが、意外なことに男に抵抗の様子は見られなかった。


「な、なんだ、あんたら……!」

「それはこっちの台詞だけど」

「や、やめろ、うるさくするな、あいつが、あいつがきちまう……!」

「……あいつ?」


 男は抵抗はしなかったが、酷く怯えた様子で体を震わせている。ネイサンは彼が、あの死体と同じ服装をしていることに気付いた。


「ねぇ、イェト――――」

「なんだ、もう鬼ごっこは終いかぁ?」


 自分の発見を伝えようと口を開いたところで、ジョン・ドゥとその連れの男が部屋に到達する。入り口に立つ彼らはまだネイサン達がどこにいるのかまではわかっていないようだが、この部屋に逃げ込んだこと自体はバレているようだった。

 思わず息をひそめ、イェトを見る。ネイサンのその視線を受け、イェトが入り口へ意識を向けた時、彼女の下にいた犬顔の男が騒ぎ出した。


「さわぐな、さわぐなぁ! あいつがくる、くるぞぉっ!」

「そこか――――!!」


 ――グォォアアァァァッッッ!!


 声の出所にジョン・ドゥが気付くのと、イェトが犬男の首の後ろを叩くのと、廊下の方から咆哮のような音が響くのはほとんど同時だった。


「なんだ――――グハァッ!」


『何か』がジョン・ドゥの体を壁に叩きつける。硬いものが折れるような、嫌な音がその場に響いた。


「ヒ、ヒィッ……!?」


 ジョン・ドゥの連れが持っていた銃を落とし、怯えた様子で逃げようとする。しかし『何か』はあっさりその頭を掴み――その胴体に噛み付いた。


「ギャアアアァァァッ!!」


 肉体を食いちぎる生々しい音が響き、ネイサンは思わず己の耳を塞いだ。


「なに、アレ……!?」


 熊のように大きい、なにかだった。その腕は異様に太く、筋肉は盛り上がり、目は血走っている。その身に纏われたボロボロの布切れが、かろうじてそれが人間であることを示していた。そこでハッと息を飲む。――アレもまた、あの死体と同じ服を着ている。


「……、か」


 犬男の上から退いたイェトが、いつの間にかネイサンの隣に来てアレの様子を伺っていた。ジョン・ドゥもその連れももう絶命してしまったようで、その場には興奮したようなアレの荒い息遣いだけが響いている。物陰からその様子を覗き見るネイサンの視線の先で、アレはおもむろに部屋に踏み込み匂いを嗅ぐような仕草をした。それを見て、全身に鳥肌が立つ。

 ――――僕たちを、探している。

 耳元でうるさいくらいに心臓が脈打つのが聞こえた。冷や汗がネイサンの肌の上を滑っていく。

 アレは化け物だ。言葉の通じない、血に飢えた猛獣。見つかったら最後、虫けらのように殺される――――


「ネイサン」


 ハッと我に返った。隣を見れば、イェトがあの化け物を静かに見ている。彼女は敵を見つめたまま、ネイサンに言った。


「息を殺して、じっとしてて」


 その声は、いつものように淡々としている。その通常運転具合に安堵し、少し冷静になったネイサンは、敵を見つめるイェトの瞳を見て息を飲んだ。酒場で戦った時も、戦闘狂の男を相手にした時も無感情だった金の瞳が今――――明確な感情さついを持ってあの化け物を見ている。


「……絶対音は立てるな」


 ――――じゃないとお前まで、殺すかも知れない。


 そう言い切ると同時に、イェトはコンテナの陰から飛び出した。

  

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