遺物の爪痕 一-②
「イェト」
「なに?」
「……ありがとう」
ネイサンが爽快な気分になって礼を言うと、イェトは首を傾げた。
「私なにもしてないけど」
「それはそうなんだけど。でも……うん、お礼言わせて」
自分でも変なことを言っている自覚はある。だがそれでも、感謝したかった。
父の言葉を疑われる度に、ネイサン自身の中にも持ちたくもない疑念が積もっていた。父さんはオルディリは存在したと言っていた。でもどこにも、オルディリの実在を示すものがない。父を信じたいのに、信じられない――――その複雑で苦しい気持ちを、イェトは晴らしてくれたのだから。
「……まあ、お前がそれでいいならいいけど」
イェトは怪訝そうにしたまま、それでも特に拒否はせずそう頷いた。
「でも、よくオルディリを知ってたね。……私にそれを聞いて来たのは、お前で二人目だ」
「そうなの?」
二人目、というのが多いのか少ないのか、ネイサンにはわからなかった。イェトはもう何十年も生きているのだろうから、その間に自分のように指摘した人間がゼロというのは考えにくい。しかし一方で、専門家を名乗る者ですら誰も知らなかったことを踏まえると、少なすぎるということもないのかも知れない。
「その人はどんな人? やっぱり歴史とか詳しいの?」
「さあ? ただ、親戚に伝説を聞かされてた、とだけ言ってた」
「伝説?」
「オルディリの創世神話みたいなものだって」
イェトは「詳しくは忘れたけど」と前置きしつつ、記憶を掘り起こすように首を傾けた。
「始祖の民オルディリはある人物によってひとつの纏まった集団となった。その人物……初代族長の名がイェト――――私と一緒なんだってさ」
だから、名前で私をオルディリと思ったって。
イェトは、どこか遠くを見る目をしてそう言った。
「初代族長と同じ名前かぁ。すごいものをもらったんだね、イェト」
名前の継承は歴史があって初めて成り立つ。時の流れの証を前に、ネイサンはアカデミックな高揚感を感じていた。
「……別に、すごくないよ」
「……?」
対するイェトの答えは、いつも通り淡々と、いやそれ以上の温度の無さを感じさせるものだった。まるで、そのことに一切の興味がないと敢えて主張するかのように。
「――――……そ、それにしても!」
無表情のイェトの横顔がどこか、今までで一番の冷たさをはらんでるような気がして、ネイサンは慌てて話題を変えた。
「オルディリが糸を出せるなんて知らなかった! ほら、倉庫で戦った時に出してたやつ! 現人類とは違う機能があるんだね」
言いながら、失敗したかも知れない、と内心で思った。話題転換をしたかったのに、結局オルディリの話をしている。己の機転の利かなさに落ち込むネイサンに、イェトはやはり淡々と、しかし先ほどのような冷たさのない声で答えた。ネイサンを振り返るその表情は、最近ちょっと見慣れてきたいつもの無表情だ。
「オルディリは関係ないよ」
「え?」
「あれはただ単に、私が蜘蛛と融合しちゃったから出せるだけ」
「……はい?」
思いもよらない――イェトと会話していると定期的にこんな感じになっている気がするが――言葉に、ネイサンの目が点になった。蜘蛛と融合? なぜ? どうやって?
頭の中が疑問符で埋まるネイサンを意に介さず、イェトは続ける。
「手足も四本ずつあるよ」
「……えーっと、冗談だよね?」
あまりに当然のことのように言うので、ネイサンは恐る恐るそう尋ねた。イェトの顔があまりに変わらないので、本気なのか冗談なのか判断がつかない。困惑するネイサンにイェトは「お前の好きに考えたらいい」と言って、体の向きを変えた。
「そんなことより、探索の続き行くよ」
話の続きをする気はないようで、イェトはそのまま歩き出す。同行者が動き出すのを待つ気も無さそうな彼女に「ま、待って!」と声をあげながら、ネイサンは小さな背の後を追った。
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