異質の邂逅 三‐③

「――なあ、ひとつだけ聞いていいか」


 無事解放され立ち上がったネイサンとイェトに、そう静かに声がかかった。振り返ると、ジェイが首を鳴らしながらこちらへ歩いて来る。反射的に身を固くするネイサンだったが、もう男の放つ空気に威圧感はなかった。


「なに?」

「アンタ、は飲んでねぇんだな?」


 思わずビビったネイサンと違い冷静に問い返したイェトに、ジェイはそう言って言葉を続ける。


「小さな瓶に入った、水薬みてぇなやつだ。飲んだだけで強くなれる、便利な代物だよ。それがスフィリスに運び込まれるって聞いてな」

「スフィリスに?」

「物が物だ。この薬の周りにゃ、物騒な連中が集まる。オレはそいつら目当てでこの星に来たんだが……そこで見たのがアンタだ」


 ジェイはそう言ってイェトを指さした。


「酒場での一件、見せてもらったぜ? えらく鮮やかな立ち回りで――ちぃと手合わせしてみたくなった」


 ニィ、と口は弧を描きつつ、その目はともすれば殺気とまごう鋭さを宿してイェトを見る。ジェイの挑発的とも言える態度に、イェトは無表情のまま「ああ」と納得したような声を上げた。


「だからネイサン連れてったんだ」

「……はい?」


 予想外のところで自分の名前が出て、思わず声を上げる。ちょっと待って欲しい気持ちでいっぱいだった。もしそれが本当なら、ネイサンは自分には何の関係もない、何の縁もゆかりも罪も責もないことに巻き込まれて、本気で死ぬ思いをさせられたことになる。


「……え、嘘でしょ?」

「いや、その通りだ。坊主にゃ悪いが、まあ要するに人質だな」

「は、はああああ?」


 大して悪いと思っていなさそうな態度で言うジェイに、ネイサンは眩暈がする思いがした。いろいろと文句やら言いたいことやらが浮かんでくるが、あえて集約するなら――――この世は本当に理不尽だ。


「まあ、事の経緯はわかったとして、そのクスリとやらに心当たりはないよ」

「カッリァヴァーレという単語も覚えはないか?」

「カ……なんて?」


 耳慣れない名前が入って、ネイサンはまた思わず口を挟んでしまった。自分に対する不当な扱いへの憤りは晴れてはいないが、耳慣れない名前や単語にはつい興味が湧いてしまう。


「カッリァヴァーレ。意味はオレにもわからねぇが、まあ一般的な言葉じゃなさそうだな」

「ふぅん……覚えはないね、それも」


 イェトはその不思議な響きに特別興味は惹かれなかったようで、そう淡々とジェイに言った。


「飲んだら強くなる薬ってもの自体、私は今初めて聞いた。……ネイサンは? 覚えある?」

「え、僕? な、ないよそんなの!」


 不意にイェトに振られ、首を横に振る。名前には惹かれてしまったが、そんな怪しいクスリなんて、聞いたこともないし関わりたくもない。


「そもそも、そんな魔法みたいなもの……本当にあるの?」

「なんだ、オレを疑うのか?」


 スッとジェイの切れ長の目が自分を見て、ネイサンは反射的にビビりながらも気を強く持とうと拳を握った。


「べ、別に、そういうわけじゃないけど、そんなヤバそうなのが本当にあったら大変なことになるから……」


 少々強がりつつのネイサンの反論に、ジェイは意外にも「そうだな」と冷静に頷いた。


「実際相当ヤバい代物だ。なんせ、飲み過ぎた連中はみんな狂ってる」

「く、狂う……?」

「中毒みたいなもんさ。もっと力を得たくなり……そしてその力であらゆるものを破壊したくなる」


 行きつく先は、理性のない獣さ。

 おどろおどろしく語られる言葉に、思わず身が縮こまる。しかし、それを見て笑うジェイが目に入り、ネイサンはハッと気付いた。いけないいけない、気を強く持とうとしたばかりじゃないか。


「――そのクスリ飲んだ奴って、見た目は変わる?」


 その時、それまでじっと黙り込んでいたイェトがそう問いを口にした。


「程度によるな。筋肉が異常にデカくなる奴もいるが、目が血走るだけの奴もいる」

「ふぅん」

「ただ共通して言えるのが、見た目と実際の力のギャップだ。全員、その見た目からは想像できねぇ力を揮いやがる」


 イェトの問いに答える言葉を聞いて、ネイサンはなぜジェイがイェトに拘ったのか気付いた。『見た目からは想像できない力』――イェトの強さも、正にそれだ。だからジェイは、イェトも服用者ではないかと疑ったのだろう。


「あんたは……そうやって服用者を追って、その薬が広まるのを止めようとしてるのか」


 飲むだけで強くなれる薬。そんな単純で魅力的なものを、人々が放っておくわけがない。この世には怪しさよりも目先のメリットを優先する者が思いの外多いことを、ネイサンはこの星に来て学んでいた。

 この男も意外といい奴なのかも知れない、と少し見直しながら言ったネイサンに、ジェイは首を傾けた。


「違うぜ?」

「えっ?」

「強い奴ってのは本来、その強さに至るまでにこなした鍛練の気配がする。けど、カッリァヴァーレを飲んだ奴らにはそういうのが一切ない。オレはそれが気に入らねぇだけだ」


 当然のことのように彼はそう言って、「それに」と笑みを浮かべる。


「そういうヤバそうな奴らを追ってたら、ガチで強い奴だって出てくるだろ。――オレはただ強い奴とりあいてぇのさ」


 ――戦闘狂、ここにあり。イェトと戦っていた時のような狂気染みた顔を見て、ネイサンは己に見る目が無かったことを悟った。


「にしても……ははっ。オレを善人みたいに考えるとは、アンタの連れは相当なお人好しだな?」


 狂気の表情とは打って変わってまた人をからかう類の笑みを浮かべたジェイが、イェトにそう投げかける。ネイサンは恥ずかしさで居た堪れなくなりながら、顔をしかめた。この男、性格が悪い。

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる顔を睨んでいると、「いい子でしょ」と淡々とした声が涼やかに響く。


「私やお前とは別次元の人間だよ」

「……それってフォロー?」


 褒めているのかそうでないのかよくわからないイェトのコメントに、ネイサンは何とも言えない気持ちになった。彼らと自分ではある種次元が違うというのは確かだが、このコメントは喜んでいいものなのやら。

 そんなネイサンの内心は露知らず、イェトは「それにしても」と独り言のように呟いた。


「飲むだけで強くなる薬、か。バロールが知ったら怒りそうだな」

「バロールってぇと……この街のボスか」

「そ」


 ジェイの確認に、イェトは端的に頷いた。

 バロール――『蛇頭のバロール』は、ここスフィリスを支配するギャングの頭目だ。その立場に相応しく暴力と金を好む冷酷な人間で、ネイサンもその悪名高さは噂でよく聞いていた。


「無法者が集まるこの街でそんなものが広まれば、売り手は金も力も手に入れられる。バロールはそれを認めないだろうね。あいつは自分のこと、この街の王だと思ってるから」


 まるで知り合いについて語るかのような口ぶりで、イェトはそう言った。


「手軽に強くなれる薬なんて、この街じゃ何もしなくても売れる。ここの連中は見境なく手を出すだろうし――広まったら、スフィリスは荒れるな」


 彼女が淡々と語る未来予想図にぞっとする。理性のない獣のような奴らが街を闊歩しだしたら、ネイサンなんて一歩も外に出られなくなるだろう。


「まあ今初めて聞いたし、まだ持ち込まれてない可能性の方が高いけど。多分バロールも…………あ」


 不意にイェトが言葉を切ってネイサンを振り返った。何事かときょとんとすると、なぜか「逃げるよ」と彼女が言う。


「え?」

「この倉庫、バロールが直接持ってるやつなんだよね」

「…………え?」


 イェトの言葉に思わず辺りを見る。整然と並べられていたはずの荷物は、イェトとジェイの戦いの影響でそれはもう散乱していた。暗いので詳細はわからないが、箱が壊れて中身が出ているものもある。


「ここ荒らしたのバレたら面倒なことになる」

「ちょ、そういうことは早く言って!?」

「忘れてた」

「忘れんな!!!」


 平然とのたまうイェトに全力でツッコむネイサンを眺めながら、「あー」と声をあげる男がひとり。


「それ、オレもヤバい感じだよな」

「お前は薬の事知ってるから、見つかって繋がりがあると思われたら私達より面倒なことになるよ」

「げぇ」


 イェトの答えに嫌そうな顔をしたジェイは、瞬く間に退散の姿勢に入った。


「じゃ、オレはこの辺で」


 言うや否やブルーグレーの髪をなびかせて消えた男に、ネイサンは思わず半目になる。そもそもあの男がここを選んでいなければ、こんな事態にはなっていないのでは。

 釈然としない気持ちを抱えながら、ネイサンはイェトと共に倉庫を後にしたのだった。


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