異質の邂逅 三‐②


 ――――バァンッ!


「………………は?」


 突然の音と人が掻き消えた気配に、ネイサンの思考が止まる。顔をあげて呆然とする彼の前に、タン、と軽やかに誰かが着地した。


「こんなとこに居た」


 覚えのあり過ぎる、淡々とした声が耳に届く。数秒を要してその声と言葉が脳に届けられ、それからやっとネイサンはハッと目の前を見た。


「――――イェ、イェト!?」


 相変わらず感情の読めない目で、イェトがネイサンを見下ろしている。その姿を見止めて、先ほどまでネイサンの内側を支配していた黒いものが霧散した。イェトの煌めく金色が、ネイサンには希望の光に見えた。


「……さ、探してくれたの?」

「お前、いきなり消えるから」


 呆けた声で投げられたネイサンの問いに、イェトはわかりづらい肯定を返す。そして彼女は、スッと横を見た。


 ――――バキッ


 イェトに釣られてネイサンが視線を動かすと同時、木箱が割れる音が響く。崩れた箱の山から突き出た長い足が、近くにあった箱を蹴り飛ばしていた。それを見てネイサンは漸く、イェトに吹っ飛ばされた男がどうなったのかを理解した。


「――――ふぅー……やれやれ」


 大きく息を吐きながら、木箱の山からジェイがのっそりと立ち上がる。緩慢な動作で首を回しているその姿に、傷を負った様子は見られない。あんなに勢いよく吹っ飛んだのに、とネイサンは驚いた。


「いくらオレでも、ここまでのゴアイサツは初めてだぜ」


 足元に残った箱を蹴り飛ばし、重心を下げて構えながらイェトを見据えるジェイの顔には笑みが浮かんでいる。そこに先ほど自分が喰らったような圧を感じ、ネイサンはパッとイェトを見た。男が放つ殺気を一身に受けているだろう彼女は、相変わらずの無感情な目のまま体の向きをそちらに向ける。

 ――――やばい、受けて立つ気だ。


「ま、待って! あいつ、サ=イクなんだ!」


 男の狙いがわからないままだし、先ほどは不意を突けたが正面からやり合うのは厳しいはず。ネイサンは慌てて制止の声をあげたが、対するイェトは視線はジェイに向けたまま小首を傾げた。


「なにそれ?」

「…………とにかく強いやつ!!!」


 知らないのか、というツッコミをしている場合ではないと瞬時に判断し、端的に一番重要なことを言葉にする。いくら大の男を簡単に伸すイェトでも危険だ、というネイサンの心配は、しかし「ああ」とわかったようなわかってないような相槌を打ったイェトにいとも簡単ににされた。


「なら、平気」


 ――――


 その言葉が聞こえたのと、イェトが弾丸のように飛び出すのはほとんど同時だった。

 バシッと鋭い音がしてネイサンは一拍遅れでそちらを見る。先ほどまで彼の前にいたイェトが放った首元への蹴りを、ジェイが腕で防いでいた。


「そう何度も、同じのを喰らうわけにはいかねぇなぁ」

「……そう」


 ――――そこからは、正直ネイサンには何が起きているのかまったく理解できなかった。

 薄暗い倉庫の明かりの中で、イェトの朱色とジェイのブルーグレーが何度も交差する。早すぎる動きを追うので精いっぱいなネイサンには、今何が起きてどちらが優勢かなど何もわからなかった。

 息をすることも忘れる緊張の時間を止めたのは、不意にあげられたジェイの一声だった。


「――おいおい、こりゃどういうことだ?」


 気付けば、彼が不自然に固まっている。ネイサンが目を凝らすと、彼の体に糸のようなものが巻き付いているのが見えた。


「真剣勝負にしちゃあ、仕打ちが酷すぎねぇか?」


 抜け出そうとしているのか、何度か腕を引きながらジェイが言う。その口調は軽かったが、放つ雰囲気にはイラ立ちが含まれている気がした。


「お前、まともに相手してたら時間喰いそうだったから」


 怒らせるのはまずいのでは、と心配になるネイサンを他所に、この状況を作った当人であろうイェトは淡々としている。先ほどまで激しい攻防を繰り返していたのに、その息はひとつも上がっていなかった。


「オレに割く時間はねぇってか? 随分冷たいじゃねぇか」


 もっとりあおうぜ?

 そう誘う男の表情に狂気のようなものを見て、ネイサンは戦慄した。『サ=イクは血に飢えた戦闘狂』――――その言葉には一定の真実が含まれていると思わせる雰囲気を、この男は持っている。

 戦闘を継続したいという言葉の通り、ジェイはその身を沈めて構えの姿勢を取ろうとした。糸が己の身を締め付けることなど意に介していない。


「……サ=イクっての?」


 そんな相手を見ていたイェトは、そう怠そうに言った。


「並の人間ならとっくに身が切れてるんだけどね、その糸」

「生憎この程度で傷付く柔な体はしてねぇな」

「……めんどくさいなぁ」


 じゃあ打撃しかないじゃん。

 緩慢な動作で首を傾け、次の瞬間イェトが跳ぶ。


「――――っ!?」


 ――――一瞬の間の後、ジェイは頭上から落ちてきたイェトに首元を押さえつけられていた。糸はいつの間にか切れ、長身の体はうつぶせに組み伏せられている。


「反応遅れたね。切れなくても拘束は効くんだ?」

「……いーい性格してるぜ、アンタ」

「お前には言われたくないな」


 ぐっと首を押さえる力を強めながら、イェトはジェイとは対照的な熱のない声で言う。


「お前は私と戦いたいみたいだけど私はイヤだから、終わりにしていい?」


 私今忙しいから、と続ける言葉は交渉のそれだが、実質的には脅しだった。その証拠に、相手の急所を押さえる手に隙は一切ない。


「……今じゃなければ?」

「うん? まあいいんじゃない」

「言ったな? ――わかった。降参だ」


 そう言って、ジェイは拍子抜けするほどあっさりと脱力して見せた。


「意外と物分かりいいね」

タマ握られてる状態で牙見せ続けるほど馬鹿じゃねぇっての」

「ふぅん」


 なら良かった、とイェトはあっさりジェイの上から退く。そして彼から背を向けるとネイサンの方へ歩いて来た。


「……いいの? あいつ自由にして」


 ジェイを完全に解放し、あまつさえ無防備に背中を見せているイェトに、ネイサンは不安になりながら尋ねた。一旦降参したフリをして彼女を襲うつもりなら今は絶好のチャンスだ。ジェイの腹の内を疑うネイサンに対し、イェトはしゃがみ込みながら「大丈夫でしょ」と言った。


「騙し討ちするつもりなら、今度は殺すだけだよ」


 あまりに淡々と言うものだから、本気か冗談か判断がつかない。ただ、もしジェイが怪しい動きをしてもイェトは余裕で応戦するのだろうな、と自分を拘束する縄を解く少女を見ながらネイサンは思った。もはや彼女の実力は疑いようがない。イェトは、ネイサンが人生で出会った中で最も強い存在だった。

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