異質の邂逅 三‐①


 スフィリスに複数ある港のひとつに、目当ての船は泊められていた。

 整備士や搭乗者が忙しなく行き来する音が、背後からネイサンの耳をくすぐって去っていく。イェトは港の管理者と話をしに行っていておらず、今は彼ひとりだった。

 ネイサンがスフィリスの港に来るのは久しぶりだ。夢を抱いて故郷の星を出た先で人攫いに襲われ、理不尽に連れて来られて約一年。ここに立つのは人生で二度目だった。


「……一年、か」


 こんな場所にいるからか、それとも船を前にしているからか。いつもなら考えないようにしていることが頭に無限に湧いてくる。

 故郷を出た時の記憶、心配かけているだろう家族のこと、同じ連絡船に乗りスフィリスでバラバラになった同乗者たち、そして――――故郷を出るきっかけともなった、夢のこと。

 イェトに渡された、手の中の鍵を見る。何の変哲もない、ボタン式の鍵だ。賭けで手に入れたのは安物の船のようで、生体認証システムの類は備わっていないようだった。


「……これから、これを動かすんだよね」


 顔をあげて、目の前にあるオーソドックスな三角翼の小型宇宙船を見る。イェトがネイサンをここに残したのは、出発前に機体のチェックをさせるためだ。つまり今、ネイサンはひとりでこの船に乗り込むことができる。


「…………」


 チャンスだ、と頭の中の自分がささやいた。

 今、ゲートスタッフに声をかけて発着ゲートを開けてもらえば。この船にひとりで乗り込んで、出発させられれば――――ネイサンは、自由の身になる。

 イェトも、派遣屋の店主も、ネイサンの行きたい場所なんて知らない。イェトはそもそも船を持っていないだろうから追いかけられないはずだし、店主は追いかけられたとしても行き先がわからないだろう。

 チャンスだ、と頭の中の自分がもう一度ささやくのを感じながら、ネイサンは一歩が踏み出せずにいた。自分をそそのかす声とは反対側から、本当にいいのか、と声がする。

 いいのか、イェトを裏切っても。この星で初めて自分の名前を聞いてくれた、まともに扱ってくれた人を裏切るなんて――だがこんな千載一遇のチャンスを逃す余裕も、自分には――――


 ドスッという鈍い音がした。


「――?」


 首に衝撃が走り、目の前が暗くなる。自分に何が起きたのか理解できないまま、ネイサンの意識は闇に溶けていった。













 目を開けても、どこかわからなかった。


「……え?」


 ぼやけた視界を晴らす為に目をこすろうとして、腕が動かないことに気付く。そこで初めて、ネイサンは自分が柱に縛られていることに気付いた。


「やーっとお目覚めか」


 知らない声が耳朶を打って、ハッとして顔をあげる。自分の正面に、見知らぬ男が立っているのが見えた。


「軟弱だなぁ、アンタ。こっちはかる~く気絶させるだけのつもりだったのによ」


 男はそんな失礼なことをのたまいながら、ネイサンと目を合わせるようにしゃがみこむ。その背後には、点々と並ぶ小さな釣り照明とうっすら照らされる箱の山があった。ここは、どこかの倉庫らしい。スフィリスは人も物もよく行き来する街だ。倉庫の類なら数えられないほどあった。



「誰……?」

「うん? そうだなぁ。ジェイとでも呼んでくれ」


 男はそう言って、しゃがんだ己の膝の上で器用に頬杖をついた。

 一本の三つ編みにされた長いブルーグレーの髪に、細く尖った耳。口も目も弧を描いてはいるが、信用ならない雰囲気のある男だった。

 何者かはわからないが、少なくとも今自分が拘束されていることと関係はありそうだ。警戒しながら相手を見ていたネイサンは、男が纏う服にある紋章に気付いた。


「サ=イク……?」


 知らず口からこぼれ出たその単語に、ジェイと名乗った男は僅かに目を開き、片眉を上げて見せる。


「よく知ってんなぁ」


 一発で見破ったのはアンタが初だぜ、と面白がるような声音で肯定するジェイに、ネイサンは自分の緊張が一気に増すのを感じた。この男が本当にサ=イクなら、下手なことをするのはまずい。

 サ=イクとは、スフィリスから遠い星に住む武人の種族の名前だ。三十年ほど前に終わった世界大戦では、その強さから傭兵として特筆すべき活躍をした人々で――『血に飢えた戦闘狂』とも呼ばれていた。

 先の大戦の影響でその数を減らしたという話が本当だからなのか、それとも単純に距離の問題なのかはわからないが、人種の坩堝るつぼであるスフィリスでも見たことはなかった。ネイサンが気付けたのは、彼らは身に纏うものに必ず共通の紋章を入れていると聞いたことがあるからだ。

 目の前の男はただ笑っているだけなのに、今にもネイサンを食いそうな威圧感を持っていた。身一つで兵士1000人に匹敵したと言われる戦闘のスペシャリスト――その強さ故に『血狂い』とまで言われる種族の男を前に、微かに震える歯が音を鳴らさぬよう奥歯に力を入れる。これほど命の危機を感じるのは、故郷を出た先で人攫いに襲われた時以来だった。自分の人生が転落しスフィリスに連れて来られた時のことが思い出され、同じ無力感がネイサンを支配する。


 ――――なんで、こんなことになるんだ。


 これまでの自分の積み重ねがすべて崩れていくようで、ネイサンの心に黒いものが広がっていった。

 力なき者は物のように扱われ、力ある者に理不尽に蹂躙される。そのことはあの時嫌というほど思い知った。だからこそ、力なき者なりにうまくやってきたつもりだ。

 力が無いなら、蹂躙されたって仕方ない。命あるだけまだマシだ、と言い聞かせてきた。どんな理不尽なことをされても、死んでないならまだマシだと思い続けてきた。

 夢があった。家族がいた。その光がどんどん暗く遠くなっても、それでも諦められなくて思い続けた。死にたくない――――死ななければきっと何とかなる。その思いにすべてを込めて、歯を食いしばって立ち回り、耐えてきたつもりだ。

 ――――なのに、なんでこうなる?


「…………僕が」


 まるで、すべてから見放された気分だった。お前は地面に這いつくばって死に絶えるのがお似合いだと言われてるようだった。

 力なき者に生きる価値などない。世界は強者が生き残るようにできている。――――だから諦めろなんて、誰が受け入れられる?


「――――僕が、なにをしたって言うんだよ!」

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オルディリの終末者 西田トモセ @Tomose-N

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