異質の邂逅 二‐②
「テメェがイェトか? ――って、おい奴隷じゃねぇか!」
「!!」
背後からの声に、ネイサンは肩を跳ね上がらせて振り返った。声をかけてきたのは、人相の悪い二人連れのヒューメニアンの男だ。
「おいおいおい、奴隷の身分で船だぁ? まさか逃げ出そうなんてつもりじゃねぇよな」
「えっ、いや、あの……」
最初に声をかけてきた顔に派手な傷のある男にずい、と迫られネイサンは思わず身を固くする。至近距離にある相手の口から嫌な臭いが漂ってくるが、顔を背けるのは我慢した。それで更に酷いトラブルになったら困る。
「どこの奴隷だ? 逃げようとする悪いやつはちゃんとゴシュジンサマに――」
「余計なお世話」
「うわっ……!?」
不意にぐいっと後ろから引っ張られ、ネイサンは背後にあったカウンターの椅子に腰を強かに打つ羽目になった。振り返ると、ネイサンの首根っこを掴んでいたイェトがその手を離すのが見える。どうやら彼女に引っ張られたらしい。
「この子は無視してくれていいよ。お前が用のある『イェト』は私だから」
無視とは酷い、と思いつつ、確かに自分の出る幕はない。バランスを崩した身体を立て直しながら、ネイサンは大人しく場を見守ることにした。
「船の所有者?」
「ああ。ご希望通りの小型船さ。うちとしても大事な足なんだが、マスターがどうしてもって言うんでな」
「そ」
「……で、テメェは何を賭けるって?」
賭ける、という単語に驚き、そしてネイサンは漸くそこで合点がいった。船の入手のために酒場に来たのは、船を金で買う気が無かったからか。確かに、賭けのような正攻法ではない方法で手に入れるつもりなら、船着き場なんかより酒場の方が適切かも知れない。そもそもイェトは、ネイサンを借りるのに先払いする金がなくて店主と揉めていたようだし、船を買う資金など初めから無かったのだろう。そのことにやっと気付き、ネイサンは自分の鈍感さにちょっと落ち込んだ。
――でも、何を賭けるつもりなんだろう。
賭けで船を得るのはいいとして、それなら当然イェト側も賭けるものがなくてはならない。だがほぼ着の身着のままに見える上、着ているものも高価には見えないイェトに賭けるものなどあるのだろうか。自家用船も珍しくないとはいえ、宇宙船はそれなりに高価だ。それと釣り合うものなど、ここには――――
「――――私の命」
「はっ……?」
驚きの声をあげたのはネイサンか、それとも船の所有者の男か。自分でも判断がつかないまま、ネイサンはイェトを振り返った。驚愕の視線を向ける彼に対し、イェトは涼し気な顔のままだ。
「私が勝ったら、お前の船をもらう。お前が勝ったら、私の命をやる」
殺すでも売るでも、好きにしたら。
晩御飯の話でもしているかのような気楽さで、彼女はそう言った。
「ちょっ、何言って――――」
「はっはははは! トチ狂ってんなぁおい!」
我に返ったネイサンが上げた制止の声を、男の笑い声が遮る。
「いいぜ。オレの知り合いに、テメェみたいなガキを愛でるのが趣味の金持ちがいるんだ。テメェは珍しい色をしてるようだから、きっとお気に入りになれるぜ?」
男はそう言って、連れとふたりニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた。その醜悪さにネイサンが閉口する中、当のイェトは「金にするアテがあって良かったね」と変わらず淡々としている。
「で、内容は? こっちで決めてもいい?」
「いいぜ。なんせ命なんて賭けられちゃあな。賭けの内容くらい決めさせてやらねぇとオレらが極悪人みたいになっちまう」
微塵も思っていないような顔で、男はそう笑いながら言った。子どもに賭けを持ち掛けた身で何を、とネイサンが内心で顔をしかめる横で、イェトがカウンターを振り返る。
「マスター」
「話はまとまったか?」
「賭けファイトでよろしく」
「了解した」
いつの間にか戻ってきていたマスターは、イェトの言葉にあっさり頷くと「それじゃあ」と説明を始めた。
「賭け品はジョン・ドゥの小型船とイェトの命、賭けのルールはファイトだ。場所はあそこでやる」
そう顎をしゃくって見せる牛顔が示す先には、店内のBGMを担当していた楽器隊がいた。
「ファイトルールはいつも通り。どちらかが死ぬか、参ったと言えば勝負は終わり。武器の使用も自由だ」
マスターのその説明が終わるかどうかというタイミングで、誰かが「ファイトだ!」と言った。それを皮切りに、周囲にさざ波のようにざわめきが広がる。それは期待と歓喜のささやきだった。
「誰と誰がやるって?」
「今日は降参はナシにしろよ!」
「血ィ見せろ、血ィ!」
「命賭けるっつったか? 最高じゃねぇか!」
「いいぞ、なぶり殺しにしてやれ!」
四方八方から向けられる好奇と品定めの視線、暴力と刺激を求める声にネイサンは全身が総毛立つのを感じた。元々ネイサンは血も暴力も大の苦手だ。だが今はそれ以上に、幼い子どもが無茶をしようとしている状況に煽り喜ぶ大人たちに嫌悪感が湧いた。
ひとりの少女が己の命を賭けようとしている場で、それを諫めるまともな大人などいない。この街ではそれが当たり前だと頭ではわかっていても、ネイサンは気分が悪くなるのを抑えられなかった。
「イェト――」
どんな理由で船を望み、命まで賭けようとしているのかはわからない。だが宇宙船一つと命が同等の重さをしているとは思えない。どう見てもフェアでない賭けであることは明らかなのに、ここにいる人間の誰もがそれを指摘せず、イェトに
「大丈夫。私が負けてもお前は店に戻るだけだから」
「えっ!? いや、違っ……!」
そうじゃない、と続けるより先に、イェトは椅子から降りて歩き出してしまった。向かう先は、先ほどマスターが示した舞台。楽器隊はいつの間にかいなくなり、まるであつらえたかのようにちょうどいいお立ち台ができていた。
「いいのかぁ? せっかく自分に有利な賭けにさせてやろうと思ってたのに。……ああ、もしかして気付かなかったのか? はぁ~これだから世間知らずのガキはよぉ」
先に舞台に立っていた船の所有者の男――ジョン・ドゥと呼ばれた傷男がニヤつきながら煽ってくる。対するイェトは男に一瞥もくれず、軽やかな動きで舞台に上がった。
長方形の舞台の上、両端にふたりが向かう。人に押され最前列に来てしまったネイサンにはもう、固唾を飲んで見守る以外にできることはなかった。背後で交わされる「どちらにいくら賭ける」という新たな賭け事の声も、その耳には届かない。
こちらに背を向けて歩くイェトを見つめながら、ネイサンは歯がゆさから知らず知らず拳を握った。なぜ自分には力が無いのだろう。自分に力があれば、こんな酷い勝負すぐに辞めさせるのに――――ネイサンの頭には、イェトが彼が何も言えなかった女を無言で追い払ったことなど微塵も残っていなかった。
「――ガキが大人をナメんじゃねぇ!」
戦いの火蓋は、一方的に切られた。舞台の端につくより前に、男が銃を抜いて振り返る。ずるい、とネイサンが思うより先に、男の指が引き金を引いた――――しかしその銃弾は、酒場の明かりを砕いて壁に穴を開けただけだった。
「どこ狙ってんの?」
「――は、ぐぅっ!?」
気付けば、ジョン・ドゥの上にイェトがいる。自分の倍はある身長の男をねじ伏せたイェトは、男の銃をその頭に突き付けた。
「はい、終わり」
「テ、メェ……ッ!?」
一瞬の出来事に、間を置いて周囲から歓声が起こる。はやし立てる声に交じり、高配当を喜ぶ声と男への汚い野次が耳を突いて、ネイサンは顔をしかめた。
「クソが、こんなチビのガキに――ッ!」
「止めといたら? 腕折れるよ」
「っつぅ……!」
身じろぎしようとする男を咎め、イェトが銃口を押し付ける。
「ほら、早く言いなよ」
「……だ、誰が……!」
「いいの? 私は――」
そこで一度言葉を切ったイェトを見て、ネイサンは背筋が凍るのを感じた。無感情に男を見下ろす金色は、無感情故にその行為になんの躊躇もないことを如実に語っていた。
「――お前を殺して鍵を奪ってもいいんだよ」
「――――っ!!」
――この子はいったい、何者なんだろう。
殺気とも違う、真空のような息苦しさと無をもたらす空気に飲まれそうになりながら、ネイサンは再びこの疑問を抱いた。その見た目とは裏腹に、イェトは紛れもなくこの街の『強者』だった。
「……ま、まいった……!」
イェトの一言は、男を挫かせるのに十分だったらしい。
勝負はほどなく決着を見せ、イェトは男の銃を捨てて立ち上がった。
「マスター、鍵」
端的な言葉に、カウンターの向こうから船の鍵らしきものが飛んでくる。それを難なくキャッチし、イェトは舞台を降りてネイサンの前に戻って来た。
「行くよ」
その淡々とした金色に、先ほどまでの喉元を掴まれるような雰囲気はない。そのことに無意識にほっとしながら、ネイサンはその小さくも決して弱くない背を追った。
――――そんなふたりを見る、一つの視線には気付かずに。
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