異質の邂逅 二‐①
「船を入手しに来たんだよね……?」
「うん」
「……ここに?」
普通、船を手に入れようと思ったら、向かうのは船着き場ではないんだろうか。
至極まっとうなはずのネイサンの主張を肯定してくれる人間は、喧騒と酒臭さとよくわからないハーブみたいな香りに満ちた酒場には存在しなかった。
イェトがネイサンを連れてきたのは、ネイサンの店からさほど離れていない場所にある一つの酒場だった。チカチカ光る暗いネオン看板の下、銃やら長物やら、思い思いの武器を身に付けて屯している客たちからは言うまでもなく血と暴力の気配がする。店の入り口でこれなら、中はどれだけ恐ろしいか、とネイサンはひとり身震いした。
この酒場の存在自体はネイサンも元々知っているし、前を通ったこともある。しかし中に入ったことは一度も無かった。そもそも、ネイサンのような奴隷がひとりで入るような店ではないし、武力も財力も話術力もない自分が入ったところで命以外のすべてを――下手なことをしたら命そのものも――奪われてしまうだろう。そんな危ない場所、頼まれても近寄りたくなかった。
そんなネイサンを知ってか知らずか、イェトは躊躇なく店内へと続く階段を下りていく。そんな彼女に、仕事だから、と自分に言い聞かせながらネイサンは仕方なく後を付いていった。どうか、誰にも絡まれませんように。
小柄なイェトは、最低限の明かりしかなく人が密集する中では油断するとすぐ見失ってしまいそうだった。ヤバそうな荒くれ者しかいない酒場の中ではぐれることは死を意味する以上、ネイサンは我が身のためにもイェトを見失う訳にはいかない。年下の女の子相手にこんなことを言うのも情けないが、今は四の五の言っていられる場合ではないのだ。
店内を流れる陽気な音楽とは裏腹に己の不甲斐なさに落ち込みつつイェトを追うネイサンを救ったのは、店の中心にある円状のカウンターの向こうにいた牛顔の男だった。
「おう。誰かと思えばイェトじゃねぇか」
顔見知りらしいその男に声をかけられたイェトは、自分の身長ほどもある椅子に軽々と飛び乗ってそれに応える。
「久しぶり、マスター」
「相変わらず元気そうだな。しばらく見ないからくたばったかと思ってたが」
「生憎、まだ生きてるよ」
自然と始まった会話を聞きつつ、イェトの後ろについて足を止めようとしたネイサンの肩に誰かがぶつかる。振り返ると、頭の片側を剃り上げて装飾品をじゃらじゃらと付けた女がネイサンを見て舌打ちをした。
まずい。反射的に身を固くして息を飲む。女はネイサンの向こうに視線をやり口を開きかけたが、何を思ったか気に食わなさそうに前方を睨んだだけで去っていった。
助かったのだろうか。特に何事もなく過ぎた一瞬に戸惑いながらネイサンがカウンターの方へ姿勢を戻すと、イェトが彼を――正確には彼の向こう側を見ているのが見えた。
「ど、どうかした……?」
その視線の意味がわからず思わず声をかけると、金色がネイサンの方へ戻ってくる。
「何でもない」
詳細をネイサンに教える気などないのか、イェトはそう言って視線をマスターの方に戻してしまった。そのことに更に困惑してから、ある可能性に気付く。――もしかして、さっきの女は彼女が追い払ってくれたのか。
だとしたら礼を言わなくては、とネイサンは口を開こうとしたが、彼が言葉を発するより先にマスターが会話の続きを始める。
「しかし、お前があいつを連れてないとは珍しいな。
「違うよ、別件。それより、船持ってる人を探してるんだけど。いない?」
「船か。そりゃまたでかいシロモン探してんな」
――ちょっと待って、ここで船探すのってそんなに当たり前なの?
言いたかった礼の件は、再開された会話の内容ですべて吹っ飛んでしまった。
当たり前のように船を求めるイェトに、当たり前のように返すマスター。もしかして、酒場で船を探すのは普通なんだろうか。それとも『船』という単語から連想しているものが、彼らと自分で違うのかも知れない。ネイサンは不安になった。
「サイズは?」
「二、三人用の小型のやつ。速度も要らない」
「他には?」
「他は……あ」
淡々と商談らしきものを進めていたイェトが、不意にネイサンを振り返る。そして「希望は?」と問いかけた。
「え?」
「動かすのはお前でしょ。どんなのがいいとか、私はよくわからないから」
どうやら、『船』に関してネイサンの意向も聞くつもりであるらしい。
ということはやはり、彼女の言う『船』と自分の思う『船』は同じなのか、と何の解決にもならない情報を得ながら、ネイサンはイェトの問いに答えた。
「僕も特には……オーソドックスなやつであれば」
そもそも『船』――
よくわからない、というのは本当なのだろうな、とネイサンは思った。船に関して基本的な知識があれば、大型も小型もそう変わらない――船体のサイズや馬力などは除くが――ことくらいすぐわかる。恐らく彼女にはそういう基本知識もないし、その上で知識がないという自覚はあるのだろう。
変な子だ。奴隷を借りて使うことに何の躊躇もないのに、奴隷相手でもわからないことはわからないとすっぱり言えてしまうなんて。やはりイェトは、この星で当たり前のように行動していても、この星の人間とは根本的に何かが違う気がする、とネイサンは感じた。
その後マスターはイェトと追加で二、三言葉交わし、ふたりの許を去った。立ち去るその背を見送ることもなく、イェトはネイサンを振り返る。
「ネイサン、酒飲める?」
「え? い、いや……」
ネイサンはまだ十八歳になったばかりで、酒を飲んだことはなかった。年齢的にはもう飲もうと思えば飲める――そもそも、十八歳未満の未成年は飲酒禁止というのはネイサンの故郷の話で、スフィリスの常識は恐らく別だ――が、自分の飲酒適正がわからないまま、治安の悪い場所で冒険する気にはとてもじゃないがなれなかった。
自分よりむしろ、明らかに子どもであるイェトが酒場にいる方がこちらの常識としてはアウトなのだが、と思いつつ、ネイサンは首を横に振った。
「そ。じゃあ酒じゃない方がいいね」
ネイサンの返答に、イェトはそう応えてウェイターらしきロボットを呼ぶ。間を置かずに来たロボットに、マントの間から出されたコインが放り投げられた。ほどなく出てきた小さなコップ二つのうちの一つが、細い三本指につままれてネイサンに差し出される。その行動も驚くべきことなのだが、それよりもネイサンは別のことに戸惑いを感じていた。
世界広しと言えど、この世界で生きる『人類』と呼ばれる人々の八割は五本指を持っている。五本以上あるいは以下の指の種族もいるにはいるが数は少なく、当然三本指の種族だって数えるほどしかいない。そしてネイサンの知識では、三本指且つ朱色の髪と黒い耳を持つ種族など存在しなかった。
――この子は、いったい何者なんだろう。
店で彼女を見た時からずっとある疑問が、再度ネイサンの頭の中で湧く。朱色の髪に黒い耳、ネイサンで言う所の親指と人差し指中指のような三本の指に『金色の瞳』。そんな身体的特徴を持った種族など、ネイサンは聞いたことも見たこともなかった。――――ただひとつ、幼い頃に聞かされたおとぎ話のような話を除いて。
「どうかした?」
不意に耳朶を打った淡々とした声にハッと我に返る。意識を眼前に戻すと、コップをつまんで差し出したままのイェトが無表情ながら僅かに小首を傾げていた。
「あ、いや、なんでもないです!」
慌てて両手でコップを受け取る。ぼんやりしていたことを追及されるかと思ったが、イェトは何も言わず手を引っ込めると視線をカウンターへ戻した。
自分の分を飲み始めたイェトに倣い、ネイサンもコップに口を付ける。よく冷やされた、すっきりと甘い液体が口に流れ込んできた。ふんわりと優しく香ばしい紅茶のような香りを鼻腔に感じ、ネイサンはとんでもない高級品を口にしている気持ちになった。
「お、おいしい……」
思わず口から感想がこぼれ出る。普段は生ぬるく臭いのする水しか飲めない身としては、もはや感動ものだった。
小さなコップだったから、三口で無くなってしまった。口に残る甘みが消えるのが惜しく、自然と溜め息が出る。一年以上ならこれと似た飲み物だって普通に飲んでいたはずなのに、もう二度と口にできない気すらする、と一喜一憂するネイサンは顔をあげた拍子に金色の瞳が自分を見ていることに気付いた。
「あっ、えっと……!」
人といることも忘れ、飲み物ひとつに夢中になっていた自分に恥ずかしさが湧く。何か言いたいものの言うべき言葉が見つからないネイサンをイェトはしばらく無言で注視した後、ふ、と目を細めた。
「ネイサン、お前ここに来てどれくらい?」
「え? えっと、一年です……?」
「ああ。なるほど」
唐突な問いに困惑しながら答えると、イェトはひとつ頷いてから自分のコップを煽る。いったい何が『なるほど』なのか。最初の問いの意図も含めてネイサンは説明を待ったが、彼が欲しい言葉が出るよりも先に背後から別の声がした。
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