いつか君を好きになれたらいいなと思う

西村ダイヤ

第1話




 突然、挨拶するみたいなノリで、男友達に告白された。


「俺、愛佳まなかのこと、好きなんだけど」


 休日のカフェでたわいもない話をしていた時だった。


 多分、私の好きな漫画の話をしていた時。


 私は少女漫画とかそういう恋愛系の漫画が好きで、よく読むのだけど、たまたま面白い作品があったから、澤田くんに紹介した。澤田くんも漫画が好きだから(彼が好きなのはだいたい少年漫画だけど)。


 そこからどういうわけか現実の恋愛の話になって、澤田くんに突然告白されてしまった。


 私はすごく驚いた。でも、澤田くんの気持ちを聞くと、なぜだか不思議と納得感もあった。ああ、体育祭で私が怪我した時に一番に保健室に連れて行ってくれたのも、数学でわからないところがあるとすぐに私に質問しに来るのも、時々休日にランチに誘ってくれるのも、全部私が好きだったからなんだ……って。


 正直、嬉しかった。澤田くんは背も高くてかっこいいし、バスケも上手い。勉強は普通だけど、何より優しくて皆から人気がある。


 でも、その時私は彼の気持ちに頷けなかった。私にはずっと、好きな人がいた。幼馴染で、大学生の慶太って男が、私はずっと好きなのだった。だから、澤田くんの気持ちに頷けなかった。慶太は高校生の私のことなんて、恋愛対象として見てくれないっていうのはわかっていたんだけど、でも、そこはどうしても譲れなかった。


「ごめん、私、他に好きな人がいて。気持ちはすごく嬉しいんだけど……」


 そうやって断ると、澤田くんは「そっか」と言って、短い髪を掻いて笑った。それは素敵な笑顔で、なんだか断った私が悪者みたいに思えてきた。


「好きな人、どんな人?」


 澤田くんは言った。


「なんか理系で、頭が良くて、ちょっと近づき難い感じの人。でも、すごくかっこいいの」


「へー俺と正反対だな」


「そうかもね」


 それから私たちは何事もなかったように話を続けた。スポーツとか、漫画とかの話。きっと、澤田くんは気まずくならないように気を遣ってくれているんだな、と思った。そんな澤田くんがなんだかとても大人っぽくて、私は少しだけドキッとした。






 それから、私たちはしばらく連絡を取らずにいた。たまたますぐに夏休みがきてしまったというのもある。きっと澤田くんはバスケ部の練習で忙しいだろうし、私からは連絡しないでおいた。というか、連絡する用事も特になかった。これが私たちのいつもの距離感で、何も不自然なところはない。


 夏休みの中頃、私は慶太に会った。慶太は近所の大学の2年生で、彼も最近夏休みに入ったようだった。彼の家とは昔から家族ぐるみの付き合いなので、たまたま晩御飯を食べに行ったら彼もいた、みたいな感じ。そりゃ、もちろん期待していたけど。


 相変わらず彼は(私にとっては)かっこよくて、ご飯を食べている間終始ドキドキしていた。私は自分の気持ちを悟られないように努めた。


「最近学校どう?」


 そう慶太に訊かれて、私は「別に」と答えた。「彼氏とかいないの?」と言われたので、「いないよ」と言った。そう言いながら、慶太に澤田くんのことを言ったらどういう反応が返ってくるだろう、と考えた。でも怖いから実行はできなかった。


 慶太の家に行った日の夜、澤田くんから久しぶりのLINEが来た。


『最近どうしてる? 元気?』


 簡潔な内容だった。私は元気だったので、『元気だよ〜!』と返した。そこから雑談が始まった。澤田くんは毎日バスケの練習があって大変らしい。けど、今年は全国行きたいから頑張るんだとか。私は帰宅部で、何か特別入れ込めるものがないので少し羨ましいな、と思った。やっぱり、澤田くんのそういうところはちょっとかっこいいかもしれない。


 それからしばらくLINEで雑談をしていると、お盆は練習が休みだよ、という話になった。へぇ、そうなんだ、と思って『そうなんだ! いいねー!』と返信したら、『一緒にどこか遊びにいかない?』と誘われた。私はついドキりとしてしまった。私と遊びに行きたいってこと⁉︎ 胸がざわついた。


『どこ行きたいの?』とひとまず訊いてみた。すると彼は『海とかいいんじゃないかな』と答えた。海。確かに、ちょっと行ってみたいかも……。


 結局、私は彼と海に行くことにした。彼を変に期待させてしまったら申し訳ないという気持ちもあったけど、断る理由もなかったのでそのまま承諾した。15日に隣県の海に行くことになった。あ、それじゃあ水着も買わないと……と思って近所のショッピングモールでかわいい黒の水着を買った。






 約束の日の朝がきた。私は朝食を摂ると、すぐに支度をして駅へ向かった。


 澤田くんは駅前の噴水のところで待っていた。私は彼のもとに近づき、声を掛ける。彼は少しびっくりした、というような顔で私の方を見た。それがいつもの彼にはあまりない表情だったので、私は少し驚いた。


「ごめん、待たせちゃった?」


「いや、今来たとこ」


「そっか。よかった。じゃあ行く?」


「行こう」


 私たちは連れ立って改札をくぐった。


 私たちの住んでいる県は海なし県だ。よって、海へ行くには県外に出る必要がある。それなりの長旅だ。

 電車の中は早朝なこともありお盆だけど比較的空いていた。私たちは空いている座席に並んで座る。


「今日はどうして誘ってくれたの?」


 私は質問した。


「え? 誘っちゃダメだった?」


「いや、でも急でちょっと驚いたから」


「ごめん、でもずっといつか誘おうと思ってたわけだよ。けど踏ん切りがつかなくて、ぐずぐずしてたらいつの間にかもう夏休みも終わりに近づいてた。……ねぇ、愛佳はさ、夏休みはどうだった?」


「私は部活とかもないしあんまり……。漫画とか読んだり、勉強したりしてたよ。あと、ちょっとゴミ拾いのボランティアとかもやった」


「そうなんだ。どうだった、ボランティア?」


「興味本位で応募したんだけど、結構よかった。なんか街って意外と汚れてるんだね。驚いちゃった」


「そうなんだ。いいね、ゴミ拾い。なんか愛佳に似合ってる気がする」


「え? どういうこと? 私、ゴミとお似合いなの?」


「いや、そうじゃなくて、愛佳っていつも結構優しいじゃん」


「え? そうかな?」


「俺はそう思うけど。クラスに馴染めない人とかにさりげなく話かけたり、勉強教えてあげたりとかさ。そういうところ、いいなって思ってた」


「そ、そう……」


 私は少し照れてしまった。面と向かってそんなこと言われるなんて……。


「澤田くんも優しいと思うけどね。ほら、産休入った国語の落合先生の荷物、運んでたりしてたじゃん?」


「よく見てるね」


「たまたま目に入っただけだけど」


「そっか、でも俺のこと見ててくれて、嬉しい。別に見せびらかすためにやったわけではないけどさ」


「そんなのわかってるよ」


 そこで会話が終わる。


 電車はガタゴト揺れている。


 まだ海は全然見えない。あたりは都市郊外の閉塞感が漂う景色が広がっている。澤田くんの肩が私の肩に触れて温かい。


 そのまま私たちはとりとめのない会話をまた交わし続けた。そうして、しばらくすると海が見えて来た。


「海見えてきたね」


「ああ、綺麗だな〜」


 やがて海沿いの駅に到着する。私たちは降車する。


「海だぞー!」


 澤田くんが海の方に走って行った。私はそれを追いかける。


 海水浴場に着く。夏休みの終盤の今日、あたりは人でいっぱいだった。カラフルなパラソルが真っ白な浜辺に花を咲かせている。


「それじゃ、着替えてくるわ」


「うん、私も」


 私たちは更衣室に向かった。さっと新しい水着に着替えて日焼け止めを塗る。それにしても今日は暑い。最高気温は38度だとか。


 更衣室を出て待ち合わせ場所に行くと、赤い水着姿の澤田くんがパラソルを立てて待っていた。


「あ、パラソルとかありがとう」


 私は言った。彼が振り向く。すると、


「おー」


 彼は私をじっと見て言った。そして、


「かわいいじゃん」


 そう言ってにっと笑う。


 私は急に恥ずかしくなった。あれ、黒のフリルがついたビキニって、ちょっと大胆すぎたのでは⁉︎ ということにこの時初めて気がついた。


「愛佳って結構スタイルいいな」


 澤田くんはまたしてもそんなことを言う。私は恥ずかしくて、曖昧に笑いながら「ありがとう」と返事をすることしか出来なかった。


「それじゃあ、泳ぎに行こうか?」


 澤田くんはそう言って、海の方に向かって行った。私は着いていった。


 眼前に青い海が広がっている。テンションが徐々に上がってくる。私たちは水に足を踏み入れる。意外とあったかくて拍子抜けする。


「おー海だな〜」


 澤田くんはそう言って私を見た。私は頷いた。


 それから、私たちは青い海の中を気がすむまで泳いだ。面倒なことは何もかも忘れて。泳ぐっていうのは思ったよりも悪くない。別に特別好きというわけでも得意というわけでもないけれど。でも、なんだか体を動かしていると、不思議と気分も晴れてくる。決して落ち込んでいたわけではないが、私は清々しい気持ちに包まれて、気分がよかった。なんとなく息抜きになったような気がする。


 澤田くんバスケだけでなくは泳ぎも得意なようだった。目を離すと、すいすい遠くまで行ってしまう。私は彼に着いていくのがやっとだった。時折、彼は水面から顔を出して、頭をフルフルと振って髪に付着した水を飛ばした。私はその姿が何だかすごく様になっているように感じられて、思わず見惚れてしまった。澤田くんの海水で乱れた髪は、整っている時とは違った美しさがあった。うまく言葉にはできないけれど、その無造作で飾らない感じが、澤田くんらしくて素敵だった。


 それから、私たちは海の家でビーチボールを借りてバレーボールの真似事をした。しかし、私は球技はさっぱりなので、全く澤田くんの相手にはならなかった。よって、しばらくすると、澤田くんはは一人でボール遊びを始めた。私は黙ってそれを少し遠くから眺めていた。


 しばらくそうしていると、どこからか二人組の男が私のもとにやってきた。


「君、今一人?」


 片割れがそう言って、私に接近する。私は思わず身を引くけど、相手は距離を詰めてくる。


「今俺たちあっちで集まってんだけど、よかったらこれからどう?」


 もう一人の男がそう言った。私は二人の男に挟まれる形になる。突然のことに動揺する。あれ、もしかして、これってちょっとまずい? 急に怖くなって足が震え出す。


「大丈夫? とりあえずあっちで休もうか?」


 そう言って、男が私の右腕を掴む。私は怖くなって、視界が朧げになる。涙が出てきたのかもしれない、と冷静な部分の私が気づく。でも、その冷静な私もすぐに霧散して消える。どうしよう。どうしよう。焦って頭がぼーっとする。怖い。どうしよう。どうしよう。パニックになってしまう。涙が流れて頬を伝う。突然慶太の顔が浮かび上がってくる。


「ちょっと!」


 突然、もう一方の手がまた握られた。驚いて左腕を見ると、なんと澤田くんがいる。


「そろそろ行こう」


 そう言って、彼は私を引っ張る。そして走り出す。私もそれに釣られて走る。砂浜に足を取られないように慎重に走る。

 しばらくして、最初のパラソルのあたりに戻ってくる。


「愛佳、大丈夫?」


 澤田くんは私を見下ろして言った。気がつくと、私は彼の手を握っていた。


「だ、大丈夫……」


 ため息みたいな声が出た。澤田くんが私の手を握り返す。澤田くんの手は大きい。バスケをやっているからかもしれない。


「ごめん、俺が目を離したから……」


「いや、澤田くんは何も悪くないよ。悪いのはあいつら」


「でも、ごめん」


 そう言って、澤田くんは私に頭を下げた。つむじが見えるくらい深く。私は驚いた。そして、彼をどこか愛おしく感じた。


 彼の頭をゆっくり撫でる。


「本当に、ありがとう。でも、やるじゃん、澤田くん、ちょっとかっこよかったかも」


 そう言うと、澤田くんは頭を上げて私と目を合わせ、笑った。




 やがて、夕焼けがあたりを覆い尽くした。あんなに盛況だった浜辺にも、もう人はほとんどいなくなっていた。私たちも着替えて、パラソルも返却した。私たちは気だるい夕焼けの下、砂浜を歩いた。


 無言だった。それは、心地よい沈黙だった。静かな波の音と、非現実的な赤い光に包まれ、私たちは歩き続けた。私たちは一体どこまでゆくのだろう? この先はどこに続いているのだろう? 確かなものは何もなく、曖昧な沈黙を生ぬるい潮風がなぞるだけの先の見えない時間が、二人の間には横たわっていた。


 先に口を開いたのは、澤田くんだった。


「愛佳が今何を考えているか、当てていい?」


 何を考えているのかわからない、変に明るい声で彼は言った。

 私は小さく波打つ真っ赤な海面を眺めながら頷いた。


「好きなやつのこと」


 澤田くんは言った。


「好きなやつ?」


 私は聞き返した。


「そう、言ってたじゃん? 好きな人がいるって。で、どうなの?」


 彼は問いかける。


「どうだろう」

 私は答える。


「否定、しないんだな」


 はっきり言って、私は何も考えていなかった。だから彼の答えには否定すべきだったのかもしれない。しかし、私はそのまま何も言わずに話の成り行きに任せた。


「愛佳は、こんなに魅力的な男が隣にいるのに、他の男のことを考えてるんだな」


「さぁね」


「ひどいな」


「ごめん」


「本当に悪いなんて思ってないだろ?」


「どうだろ?」


「はは」


 私たちは歩みを進めた。砂浜が遠くまでずっと、ずっと続いている。私たちの影が伸びて、地面の砂の白と強烈なコントラストを作っている。


「ははははは」


 澤田くんはまだ笑ったふりをしている。やめるつもりはないらしい。


 あたりは波の音と、私たちが砂浜を踏み締める音と、澤田くんの変な笑い声が満たしている。時間の流れが酷くゆったりと感じられる。穏やかな時だった。この時間がずっと続いてくれたらどれだけよいだろう? 穏やかな時は全てを滑らかにする。物と物、感情と感情の境界が曖昧になって、私という人間が溶けて消えてしまいそうになる。しかし、いつか夜は来るのだ。夏だって、夜は冷える。


「俺はさぁ……」


 澤田くんが笑うのをやめ、立ち止まった。


 私もつられて立ち止まる。


 澤田くんが何か言いたそうにしている。私は黙って彼の言葉を促した。彼は息を吸ってこちらを向いた。


「俺は本当に、愛佳が好き、なんだぞ?」


 澤田くんの方を見る。驚いたことに、澤田くんの目は涙で濡れていた。瞳がきらきらと夕焼けを反射している。


「ごめん、でも、私は他に好きな人がいて」


 私は彼の目をじっと見てそう言った。私が言葉を発した瞬間、彼の瞳が揺らいだのがわかった。


「ひどいよな。面と向かってそんなこと言うなんて」


 彼の唇は震えていた。


「ごめん。でも、それはもう、変えられないことなんだと思う」


「俺ってどこがダメ?」


「ダメなところなんてないよ。澤田くんはとても魅力的な男の子だと思う」


「じゃあ、俺を選んでくれよ」


「それはできないよ」


「なんでその男のことが好きなの?」


「さぁ、なんでだろうね。でもさ、私は思うんだよね。恋愛に決定的な理由なんてないんじゃないかって。澤田くんはどう思う?」


「そうかもな。俺もそう思う。愛佳が好きな理由、はっきりとは説明できないもん」


「それじゃあ、納得してくれる?」


「無理」


 彼のまっすぐな瞳から、大粒の涙が溢れる。それは綺麗に頬を伝って、砂浜に落下する。その軌跡は美しく、私はぞっとする。同時に、私はこの人と付き合えないと強く思う。


「俺はさ、本当に愛佳が好きなんだよ! でも愛佳はそうじゃないんだよな。ああーどうして愛佳のこと好きになっちゃったんだろう。情けないな。哀れだな。愛佳が好きなやつって、どんだけすごいやつなんだよ。ちくしょう」


 澤田くんは涙を湛えながらそう言った。彼のこんな姿は想像すらしていなかった。いつも凛としていて、みんなから好かれている人が、どうしてこんなに感情をむき出しにして、私への愛を叫んでいるんだろう? 


 まるで現実感がなかった。そもそも、私は彼が私に好意を寄せている、というのも、半分くらいは信じていなかった。それはまぁ、少しは好きなのかもしれない。でも、それは気の迷いや勘違いみたいなもので、本気からはほど遠いのではないか、というのが、私の感じた正直なところだった。


 だって、あんなに何気なく打ち明けられたんだ。そう思うのも不思議じゃない。けれども、今の彼を見ていると、それは決して適当な、吹いて飛ぶような軽い想いでは片付かないのではないか、というような感じがしてくる。彼もまた、私が慶太を好きなように、私に好意を寄せてくれている。それは、この上なく嬉しいことだった。しかし、同時に、彼が私のことを真剣に好きであればあるとわかるほど、私の気持ちは彼から離れていった。私はその想いに十分な愛情を持って応えられない。たとえ私が彼をここで受け入れたとしても、それこそ一時的な気の迷いでしかないだろう。


「澤田くん」


 私は澤田くんに向き直った。そうして、続ける。


「澤田くんの気持ちはありがたいよ。本当に、心の底からそう思う。でも、それは受け入れられない。受け入れても、どこかで崩れちゃう。澤田くんは少し慰められるかもしれないけど、それだけなんじゃないかな。でも、私、これからも、澤田くんと良好な関係を築いていきたいと思ってる。もちろん、澤田くんがそれを許してくれれば、だけどね。


 それから、私は澤田くんのことを哀れだとは思わないよ。澤田くん想いはまっすぐで、純粋だよ。そういう綺麗な想いを抱いている人がいるというのは、希望になる。この世界は辛いことも多いけれど、そういう尊い感情が生まれる余地もあるんだって思うと、救われる。だけど、その想いが尊いからこそ、ないがしろにしたくない。澤田くんは少なくとも今は私と付き合うべきじゃない。ほんとに、ほんとにごめん!」


 私の言葉を聞くと、澤田くんは私に告白を断られた時と同じように笑った。


 やがて太陽は沈み、夜になった。風が冷たくなってきた。あたりに人は誰もいなかった。夜の海はぞっとするほど真っ黒で、一度足を踏み入れたら飲み込まれそうな不気味さをまとっていた。


 私は空を見上げる。すると、こんな時でも星は綺麗だった。

 しかし、私に正座を結ぶ知識はない。なんとなく目で星々を追っていくけれど、それは何にも発展しなかった。ただ虚しく虚空に目を泳がせる。今の私にはそれしかできなかった。


「……ありがとな」


 突然、澤田くんはボソリと言った。私は澤田くんに目を向けた。


「ううん、こっちこそ、ありがとう」


 そう言うと、澤田くんは頷いてくれた。

 潮風が吹き抜ける。私たちの髪が風にさらわれ、踊る。


「でも諦めないから」


 澤田くんは宣言する。


「ねぇ、そんなに私っていいの?」


「うん」


「そっか。そんなこと言ってくれるのは澤田くんだけだよ」


「はは、そうかもな」


 澤田くんが歩き出した。私も歩き出す。


 月明かりに照らされた澤田くんはいつにも増してかっこよく見えた。


 きらりと、視界で何かが光る。


 私はその美しい光を、きっと忘れない。






 2学期が始まった。


「愛佳、ここわかる?」


 澤田くんは数学のプリントを持って、いつも私の席にやってくる。


「えーっと、ここは、このxにこれを代入して……」


「ああなるほどな〜」


 私たちの関係性はあんまり変わってない。


 澤田くんはいつも私に話しかけてくれる。私もそれに答える。


 いつか……いつか私も澤田くんが好きになれたらいいな。


 最近はそんなことを思うようになった。


 その時まで澤田くんが私を想ってくれていたら、嬉しいな、と思う。


「愛佳? どうしたの?」


「え、いやなんでもないよ」


 今日も私たちの友達関係は続いていく——。

 

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