月の仙人に代わるは、世界にしのぶ紅い音 / feat.月代紅音 仙界シノブ

 夜空の星月に向けて上げられた足から、スルリとき物が抜け落ちた。

 カランと地面を転がる音には目もくれず、わたしの瞳は頼りない白い足の先を見続けて。


 そのまま後ろへ。

 背中から倒れるわたしを受け止めたのは、ギシリとなった木造の縁側えんがわ


 両腕を広げた。両の素足もさらしたまま、庭先へと放りっぱなし。

 わずかに息を吸い、大の字になったわたしは、さらに人には本来ない部位すらも外気に当てていく。

 それは背中から伸びた、一対の黒いコウモリの翼だ。


 体を広げきり、全身で月明かりを浴びるわたしの目は、自然と満ち足りている月へ吸い込まれた。


「きれいじゃのぉ」


 ポツリとこぼれた心の音。


 浮き雲も星々もはべらせて、夜空をべる美麗びれいの女王。

 何度見てもため息をつきたくなるほど心惹こころひかれ、色の違う金銀妖眼オッドアイでも捉える月の姿は同じもの。


 サファイアの左は純に憧れを宿し、ガーネットの右は狂おしいほどの愛おしさを満ちていて。

 それでも結ぶ心は同じもの。


 笑う口に八重歯を光らせ、必死に手を伸ばして、見つめるほどに動悸どうきが加速して。

 ──欲しいって、満たされない渇望かつぼうあふれでる。


「本当だ。月が綺麗だ」

「……シノブさま? いつからそこにいたのじゃ」


 あと一歩。伸ばしたやわい手が月の輪郭りんかくを撫でたところで、少年の声が聞こえて手が止まる。

 声が聞こえてきたのはわたしの真上。


 月から視線を外し、顔を少しだけ上げると、そこに立っていたのは中性的な少年。


 顔つきは少年少女のどちらにも取れ、掛けているアンダーリムの黒い眼鏡は、羽色ばいろの髪と合わさって誠実さと神秘さを両立させている。

 背丈もわたしもさほど変わらず、幼さ特有の愛らしさがあるも、たたずまいは外見を遥かに超えた蠱惑こわくさを含み。

 総評としていえるのは、彼を美少年とくくるのは難しい。


 あえていうとするのならば、魔少年ましょうねんが相応しいだろう。


「今来たところだよ。今日の月は良いね。ずっと見ていたいぐらいだ」

「そうじゃのぉ」


 ヨッと勢いをつけて起き上がるわたしの隣に、魔少年ましょうねん──仙界せんかいシノブはゆったりと腰かけた。


 優し気な横顔のシノブさまは、月と比べて負けず劣らず。

 むしろ身近さでいえば、迷うことなく勝っている。


「まあ、月は前から綺麗じゃよ。もしくは紅音あかねちゃんが一緒だからかのぉ、シノブさま」

「言うねえ、紅音あかね


 一緒に笑い合うわたしとシノブさまは、衣装もそろいの色合いをしている。


 それは差し色に赤をいれた、品位ある黒。

 シノブさまの古い京の都で着られていた和服も、わたしの改造した和洋折衷わようせっちゅうのセーラー服も。

 お互いの関係性を示すかのように結ばれた共通点だ。


「じゃあ、もう死んでもいいわ、オレ」

「それは紅音あかねちゃんが嫌じゃのぉ。今日は寒いというのに、いなくなってしまっては困るのじゃ」


 伸ばしていた足をたたみ、抱えたひざに顔を埋めながら、流し目でわたしは言葉を返していく。

 対してシノブさまは、明るい灰色の目をキョトンとさせていて、おどけていた態度は素足で逃げ出していた。


 彼の瞳に映るのは蝋燭ろうそくに似た長い白髪に、それをポニーテイルにまとめている服と同色の大きなリボン。

 そして磁器じきのような白い肌を持ったわたしの顔と、わずかに赤みを持った柔らかなほお

 ほどよく口角が上がったくちびるさえも。

 全てが月のように彼の視界に収まっていた。


 わたしは次の言葉を今か今かと待ったけれども、シノブさまのお返しは言葉ではなかった。


「なら家に入ろうか。ご飯も準備できてるからね」

「……なんじゃ。シノブさまの用はそれじゃったか」


 ポンと髪の上に置かれた優しい手。

 花を手折たおらないようでるその手は実に見事なもので、自然とほおにまで沿っていく動きは憎いぐらい。

 そのままくちびるにまで伝っていくのかと、期待と少しの焦りで心が染まっていく。


 ──その最後の一歩にまで届きかけたところで、シノブさまの言葉とともにつたう手は外されてしまう。

 思わずムッと来てしまうも、立ち上がりわたしに向けた背は、それすらも受け止めてしまいそうな大きさだった。


 そんな背中にぐちゃぐちゃにした心の色をぶつけられず、わたしも渋々家に上がる準備を始める。


「ズルいのぉ、シノブさまは」


 シノブさまの姿が見えなくなった今でも、トクントクンと動く心はうるさいまま。

 ずっと、のどかわいてしまうくらいに。


「月が綺麗きれいなのは当然じゃろう。だから代わりたいのじゃ、紅音あかねちゃんは」


 肌に牙を立ててすすり、かわきが満ちるまで飲み続けたい。

 月と代わるまで……ううん、紅音わたしが月に代わるまで──


紅音あかね、どうした?」

「なんでもないのじゃよ」


 遠く聞こえるシノブさまの声。

 その声に笑いながら受け答えをするわたしは、トタトタと彼の後を追って家の中へ入っていく。


 吸血鬼のわたし──月代つきしろ紅音あかねと、仙人の仙界せんかいシノブが共に暮らす古屋敷。

 現代の京の都でひっそりと佇む、古き良き日本屋敷の中へと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る