11,丑三つ時

 委員長が魔使君に協力すると言ったその日の晩、僕は物之木高校の裏門にいた。

 それは放課後、七不思議の討伐はこの時間にする、と空き教室にて委員長から呼ばれたからなのだが――。


「……どうしてこんな遅い時間なんだよ!」


 近所迷惑にならないよう小声で叫ぶ。

 今の時間は午前二時前。辺りから物音一つしない完全ド深夜である。


 人目につかないよう夜に行なうのは理解出来る。

 もし誰かに見つかれば、説明がものすごく面倒だから。

 だからって、午前二時はないだろう。家を抜け出すのに苦労したんだぞ。


「こんばんは、吉岡くん。随分早いのね」


 そんな時、こちらに手を振りながら委員長がやってきた。

 先日河川敷で会った時と同じように、長い髪をポニーテールで纏め、動きやすいスポーツウェアを着ている。

 動きやすい服がいいだろうと僕もスポーツウェアを着てきたのだが、どうやらその判断は間違っていなかったようだ。


「ごめんなさいね、こんな時間に呼び出しちゃって……。七不思議の討伐は、から」

「——え?」


 僕の静かな叫びが聞こえていたのだろうか。

 裏門に着くなり、委員長は謝罪した。

 だがそれよりも、僕は彼女の言葉に違和感を持った。


「丑三つ時じゃないとダメって……どういう事?」


 丑三つ時とは確か、午前二時から午前二時半までの間のこと……だったはず。

 この時間では、妖怪や幽霊が最も出やすいって言われている。


「――まず、吉岡くんは怪異がどういう存在か、知ってる?」

「えぇと……『魂の成れ果て』だっけ?」


 以前魔使君に聞いた事を思い出したながら、僕は答えた。


「そう、怪異とは言ってしまえば『死者』なの」


 死者の魂を核とする怪異は、性質的には死者に該当するそうだ。


「七不思議が結界内部を侵食していってるって言ったと思うけど、死者である怪異が創り出した空間、性質的にそれはあの世……『死者の世界』に近いものになっているの」

「死者の、世界――」

「えぇ、丑三つ時とは、あの世とこの世の境目が曖昧になる時間。あの世に近い七不思議の支配領域内に侵入するには、丑三つ時このじかんでなければいけないの」


 丑三つ時のこの時間でなければ、怪異が創りだした領域内に侵入することが出来ない。

 直接対峙することが出来ないと言う訳だったのか。

 なるほど、集合時間がこんなに遅いのは理解出来た。



「――話は終わったか?」


 委員長の言葉を反芻していると、背後から急に声がした。

 急いで振り返ると、退屈そうに壁にもたれ掛かっている魔使君がいた。

 彼は黒のYシャツにジーパンと、ラフな格好だ。

 胸元には、街灯の光を受けた銀の指輪が光り輝いている。

 ラフな格好ながら、持ち前の美貌のおかげで随分様になっていた。


「魔使君⁉ ……いつの間にそこに居たの?」

「ずっといたさ」

「――………ずっとって、いつから?」

「『丑三つ時』の話をし出す前から」


 最初からじゃん!!!


「それより。前方五百メートル先、人がこちらに向かってきてるぞ」


 彼が真っ直ぐ指さす道路の先を見てみても、暗くて人影なんて全く見えない。


「全員集まってるならここでグダグダする必要も無いわね。校内に移動しましょ」


 そう言って委員長は僕を見る。


「さ、吉岡くん。飛び越えるの手伝うわ」


 物之木高校の正門も裏門も、高さは三メートル程あり、かなり高い。

 だから僕一人では難しいと思い、協力を提案してくれていた。

 だけど。


「ううん、大丈夫」


 そう言って僕は門に手をかける。


 その場で屈み、勢いをつけて一気に飛び上がる。

 立て格子に脚をかけ、勢いを殺さずそのまま門を飛び越える。

 

 地面が近くなってきたタイミングで前に屈み、体を丸める。

 着地したと同時に、勢いのまま前転。着地の衝撃を回転して受け流す――。


「――よし」


 服についた砂を払いつつ、小さくガッツポーズ。

 ランニングを続けて、体力が戻りつつあるのを感じる。

 門を飛び越えれたのもそのおかげだ。


「――凄い! 魔力も使わずに飛び越えるなんて!」


 そう言いながら委員長は軽やかに着地した。

 軽々と飛び越えながら言われても、あまり褒められてる感じしないなぁ。

 その横で魔使君は助走も無しに、軽々と三メートルある門を飛び越える。

 彼は魔力を使っていない素の身体能力で飛び越えたんだろうな。

 何となく確信に近いものを感じた。


 それから魔力で学校の扉を開け、僕達は誰かに見られる前に足早に校内に入っていった。


 夜の校舎はしんと静まりかえっていて、僕達だけの足音だけが校舎中に響く。

 意外だったのは、窓から差し込む月明かりのおかげで、思っていたより暗くは無かった。

 僕達が目指しているのは新校舎四階にある音楽室。

 僕達が今居る場所からは少し距離がある。


「それじゃあ、向かうまでの時間で、これからの動きを確認するわよ」


 委員長が歩きだす。その後に続くように、僕と魔使君もついて行く。


「まず支配領域に侵入したら周囲の調査を開始。辺りを調べながら慎重に動きつつ、中央部を目指すわ」


 結界内部を侵蝕して展開されている支配領域。それを構成・維持している核。僕達の目的はこの核を破壊し、怪異本体を祓う事。

 ただ、核がどこにあるのかわからない。領域内のどこかに隠されているかも知れないし、壱番の手元にあるかも知れない。

 なので、核が隠されていないか、領域内を探し回らなければならない。


「もし壱番と接敵した場合、戦闘するのは魔使のみ。私と吉岡くんはその場から離れ、核の捜索を最優先で動く。全員で戦っても、核を破壊しない限り意味ないからね」


 核は支配領域を展開しているだけで無く、存在しているだけで、本体に永続的に魔力支援を行なう。

 さらには本体が負ったダメージを全て肩代わりする。

 と言うことはつまり、核が存在している限り、七不思議を祓えない。

 だからもし接敵した場合、僕達は『戦闘』と『捜索』の二手に分かれる事にしているのだ。


「――着いたわね」


 作戦の確認を行なっている内に、あっという間に音楽室まで着いた。


「……でも鍵かかってるよ。どうするの?」


 確認してみたが、やはり鍵がかかっていてドアが開かない。

 どうするのかと思ったが、委員長が鍵穴に手をかざすとカチリと音が鳴り、鍵が開いた。


「鍵穴に魔力を流せば、即席の鍵の完成よ」

「――……そんな簡単に?」


 セキュリティも防犯もあったもんじゃない。

 ……いや、魔術・魔力を今までの常識で考えること自体間違ってるか。


「ん。丁度良い。二時だ」


 一足先に音楽室に脚を踏み入れた魔使君が、音楽室にある時計を見た。

 時刻は丁度二時。丑三つ時だ。

 委員長曰く、あの世とこの世の境目が曖昧になる時間だが――。




 ぞわり。




 周囲の空気が変わる。

 ぐらりと、世界そのものが塗り替えられたかのような。

 悪寒がするのでは無く、背中を何かが這い上がってくる感覚。

 真後ろから誰かが耳元で囁いてくる。

 あらゆる方向から僕に向けられた視線。


 午前二時を迎えたその瞬間から、違和感が訪れる。

 今さっきまでとはまるで別世界のようにすら感じる。

 ――これが、丑三つ時。


「――……大丈夫?」

「……いや、うん。大丈夫、だよ」


 委員長が僕の顔を覗き込む。

 チラリと窓に映った僕の顔は、随分気分が悪そうだ。


 ……でも大丈夫、もう慣れた。


 大きく深呼吸して気持ちを落ち着ける。


「――始めるわよ」


 そう言って委員長は手をかざす。


「――『我が血に応じ、その門を開き給へ』」


 すると音楽室の床に、まるで水面のように波紋が広がっていく。

 揺蕩い、流れ、次第に影を落としたような黒に変わり、僕達を少しずつ沈めていく。

 その奥にはぼんやりと浮かぶ球体があり、そこへ吸い込まれていく――。


「さぁ、行くわよ」


 その声を最後に、僕達は球体に呑み込まれた。

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