5,虚ろな眼に映るのは

 視界が燦爛たる純白で埋め尽くされる。

 反射で目を閉じ、咄嗟に手をかざして影を作ったのにも関わらず、視界は白く塗り潰される。


 何かを溶かす音が耳に届く。

 何かが焦げるような匂いが鼻腔をくすぐる。

 そして――、



 炎に包まれていると思わせるほどの熱と、突き刺さる激痛が僕の肌に届く。



「――っ!」


 口を開いたその一瞬に、口腔内全ての水分が消し飛んだ。

 このままだと文字通り喉が焼ける。

 脳裏に最悪がよぎった瞬間、体に衝撃が走り、肌を刺す熱が、無機物が融解する不快な音と焦げる匂いが、視界を埋め尽くす炯然けいぜんな閃光その全てが遠ざかる――。



「大丈——」「一体何、が……!?」


 一体何が起きたのか。

 それを知るため、すぐさま上体を起こし顔を上げる。

 目に映ったのは、光だった。


 光の帯。光の束。光の柱が校舎を貫いている。

 光の中に、うっすらと人影らしきものが揺らめいている。おそらく、あれが——。

 いやそれよりも。


「どこから……」


 あの光は突如として現れ、校舎ごと魔使君を灼いた。

 彼が光に呑まれるその時まで、誰一人として気づかなかった。

 ならば、あの光は一体どこから降り注いだものなのか。


 感知出来ぬほどの上空から?

 ……いや、これは無い。

 それほどの上空まで、委員長の力の影響範囲が及ぶとは考えにくい。

 なら、一体どこから……。


 視界の端。窓の外に何かが映る。


 窓から身を乗り出して見てみるとそれは、見上げるほど巨大な、天を衝くほど巨大な向日葵だった。

 日輪を思わせる花から漏れ出る微かな光が、集約され、混ざり合い、一つのとなって放たれていた。


 光熱線を放つ向日葵など、聞いたことがない。

 十中八九、魔術によって生み出されたものだろう。

 けれど。


「――こんな大規模なモノを、一瞬で……?」

「違うよ」


 バルバトスはそう、きっぱりと否定する。


「あれは『隠匿』の結界を張っていたんだろう。彼女渾身の一撃を、確実に命中させるために」


 遠く。振り下ろす手に力を込め、攻撃を続ける委員長の姿があった。

 光の中の影は、弱々しく、その姿を保っている。




 ――……あ。


 あの光が魔使君を呑み込んだ直後、その熱は距離を空けていた僕たちをも襲った。

 強烈な光と熱がその猛威を振るう直前、誰かに引っ張られる感覚があった。

 まだ熱は感じるものの、自分がいつの間にか安全圏にまで後退しているのは何故か。


「……あ、あの、すみませ――」

「いいよ、謝罪は。もちろんお礼もね」


 僕の言葉を遮りながら頭を掴み、前を向かせる。


「それよりも聞かせて欲しい。魔術は、そのにどう映ったのかを」

「……虚ろ?」


 バルバトスが差し出した鏡を覗き込んで、その意味が分かった。

 そこに映った僕の顔は、本当に僕かと疑うものだった。


 僕の眼は光を失い、映るモノ全てを呑み込んでしまいそうな深淵を宿していた。

 さらには口角が不自然に上がり、歪な笑顔まで浮かべている。


「『視ろ』と言ったのはお兄サンだけど、流石のお兄サンもゾッとしたよ」


 ははは、とバルバトスは笑う。

 いつから、なんて聞かなくても分かる。

 僕が初めに魔術について聞いた時、バルバトスは驚いた顔をした。

 つまり、初めからんだ。


「それで。その眼で、君はんだい?」


 ……何を、か。

 僕が今まで目にしてきた魔術は。

 怪異をも焼き焦がす炎。

 人体に根を下ろす花。

 亜音速で毒の種を放つ実の召喚。

 逃げられぬよう、全方位から纏わり付き縛り上げる蔓。

 そして、陽光を思わせる光線を放つ花の顕現。

 その、どれもが。


「――……凄まじいです。威力だけじゃない、想像を超える力を持っていて……」


 ただ、それだけじゃない。他に何かを感じているが、上手く言語化できない。


「うん、ありがとう。充分だよ」


 言葉に詰まる僕を、バルバトスが止める。


「君も視た通り、魔術とは、君の常識を遥かに凌駕した力を持っている。君のその脆い体を砕くなんて簡単だ」


 ようやく、この人の真意が、何を言いたいのか分かった。


 僕の身を案じてくれるんだ。

 その証拠に、光線に巻き込まれないよう距離を取ってくれた。

 魔術がどう言ったもので、どれ程の力を有しているかを教えてくれた。

 バルバトスは、僕の命を大切に思ってくれている——!





「だからね、傀儡になればいいんだよ」



 …………ん?



 ……ん、え? き、聞き間違いかな。今、何て——、


「意思を捨てて、魔使恵あのひとの言う事だけ聞いてればいいんだよ」


 聞き間違いじゃなかった。

 ……どうして?

 僕の安全を願ってくれている訳じゃないのか……?


「対峙するモノに何を感じたのか。ソレを答えるだけなら、きっと大丈夫。死ぬことはない」


 ……あぁ、そうか。

 この人は本当に、僕が死なない事を願ってくれている。

 ただ純粋に、真剣に僕が死なないためにはどうすれば良いかを考えてくれていたんだ。


「ありがとうございます。真剣に、考えてくれて」


 ――でも。


「でも、それじゃダメなんです」


 そう、それじゃダメなんだ。には意味がない。


「それは、です」


 意思を無くす。傀儡に徹する。これならば死ぬことはないかも知れない。

 けど、きっと、その心は空っぽのままだ。

 それだと意味がない。

 僕は、僕の心を満たしてくれるこの世界で生きていたいんだ。

 先の見えない闇を照らしてくれる、この世界で。

 空っぽな心を埋めるために、何者かになるための一歩を踏み出すために。


「し、死んでるのと一緒? ……生命活動は続いてるのに?」


 あぁ、この人には僕の気持ちは理解出来ないんだろう。

 それならそれで構わない。

 僕の決意は変わらない。


「僕は――」

「ダメ!」


 僕の言葉は、誰かの声に遮られた。

 荒い息で途切れ途切れになりながらも、凜と通った声だ。


「……それ以上、口にしちゃダメよ!」


 いつの間にか光線は止んでいて、肩で息を切る委員長が、コチラを睨んでいた。

 フラフラとふらつく足取りで、こちらに一歩一歩向かってくる。

 魔使君が立っていた場所には底が見えない穴が空いていて、委員長はその上をふわりと飛び越える。


「――あぁまずい」


 バルバトスがそう小さく呟いた。

 その瞬間だった。



 ――――ぬるり。



 足下をナニカが蠢いた感覚があった。

 委員長も感じたようで、こちらに向かう足を止める。


 這い上がり、溢れ出し、滲み出す。

 空を宵へと書き換える程の暗黒が。

 全てを影の中へ引きずり込もうとする狂気が。

 背を伝い、死を耳元で囁く恐怖が。

 あの穴から。光線によって生まれ深淵と化した虚ろな穴から溢れ出る。


「結界術を駆使しての不意の必殺、か。……ふふふ、ふふふふふははははははは!!!! 良い、良い。実に実に良かったぞ! ……して次は? 次は何を魅せてくれる、加茂茜!」


 闇を纏い、混沌を吐く魔使君が穴から浮上した。

 所々焼け爛れているのに、負傷を、痛みをまるで感じていないかのように彼は嗤う。

 その姿は、純粋な邪悪そのもの。同じ人間とは到底思えぬ狂気の体現。

 じわりと恐怖が心を支配する。



 しかしその刹那。魔使君の腹が抉れ、鮮血が舞う。

 廊下が血の海へと変化した。

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