第2話 木曜日

 目覚ましがうるさい。

 目覚ましはベッドから手を伸ばして届く場所に置かないようにしている。

 朝起きるのが苦手で、延々と鳴り響く目覚ましに嫌気がさして眠気を遠ざけるか、止めるためにベッドから出るかを自分に強いないと二度寝を決行するから。

 今日は比較的早めにベッドから出られた日だった。


 顔を洗えば気怠さもある程度は流せる。1階に降りてまずやること、顔を洗うこと。

 洗面所に入って迷わず冷水の蛇口を捻る。夏になればなるほど朝の冷たい水を心地良いと感じる。冬は修行のようなのに。

 まあそりゃそうか夏だもんな。


 タオルで顔を拭いてふと、鏡に映る、映らない自分を見る。

 ……ほんと、楽だよなー!


 どうせ誰もわからんから寝癖やら身だしなみなんて気にする必要ないし。自分でもわからんから外見で変にコンプレックスを感じることもないし。

 他人からどう見られているかなんて分かりきっている体になって、まあ全然なる必要はなかったけれど、こういう点では良かったと僕は思うわけですよ。うん。

 リビングからはテレビの音声の他に2人分の気配がうかがえた。いつも通り姉と母だろう。

 ガチャリとドアを開けながら声をかけた。


「おはよー」

「おはよ。あんた眼鏡は」

「え? あ、せや洗面所」

 姉に言われて、Uターンして洗面所にメガネを取りに戻る。

 僕はのろのろと足を動かし、反対にリビングの奥からはパタパタと足音が聞こえてきた。

「あれ、融は?」

「洗面所」


 我が家は4人家族で、父は毎朝6時ごろに出勤する。父の起床時間に合わせて起きる母と、次点で早起きの姉、最後が僕。僕が覚えている限りこの順番が崩れたことはほとんどない。

 父は寡黙で雰囲気が熊みたいだと思う。母は逆におっとり柔らかい。姉は父似で僕は母に似たと親戚の集まりではよく言われる話だ。

 そして姉は芯が強く口が上手く目ざとい。全くもって頭が上がらない。


「母さんおはよー」

「おはよう。白ごはん欲しかったらいつも通り温めてね」

「はーい」

 テーブルの自席に用意してもらった朝食のおかずたちは、本日は焼きサバ、ブロッコリーの副菜、お味噌汁。美味そ! サバがあるなら白米必須! さあどのぐらい食べようか!

「ほら、絶対白米食べるって言ったじゃん」

「そうね〜」


 今日の朝支度は順調とはいえ、あまり悠長に食べているとちょうど良い時間帯に登校路を歩けない。よく噛むことは忘れずにモリモリと白米を食べサバを食み副菜と味噌汁で気分良く〆た。

 姉が話しかけてきた。

「今日は? 送ってあげようか?」

「んー……、ありがたいけど今日はええかな。ありがとう」

「そ」

「ごちそうさまでしたー!」

「食器洗っとくから、弁当忘れんでね」

「ありがとう!」

 2階に上がって制服に着替えて、カバンに弁当を忘れず入れて、ああそうだ歯磨きまだだった。自室の戸締りをしてまた1階に降りる。歯を磨き終わったら、いよいよ出かける準備が整った。

「いってきまーす!」

 リビングまでは廊下を挟んで少し距離があるから、いつも声をちょっとだけ張る。

 「いってらっしゃーい!」と母の声と、パタパタと姉が玄関まで見送りに出てきた。

「鍵閉めとくから」

「ありがと。ほな」

「気いつけてね」




 ◾️




 天気予報は午後にかけて雨だと言っていたから今日は自転車は使わない。

 普段から折り畳み傘をカバンの中に入れているけれど、大きな雨傘も携帯している。大きい傘の方が雨に濡れない安心感があって好きだから。

 学校の正門に着く直前あたりで左の尻ポケットに入れているスマホが震えた気がした。通知かなと思うと確認せずにはいられない。空いている左手でスマホを取り出して画面を見る。メッセージが1件。「今日の放課後はどう?」、清水さんからだった。

 約束だけして肝心の日程を決めていなかった。申し訳ない。そしてさらに悪いが、今日の放課後は部活がある。

 さっさと屋内に入ってしまって落ち着いたところで返信しよう。

 僕は少しだけ速く歩いた。


 昇降口で上履きに履き替えたところで玄関の方から声をかけられた。

「融先輩!」

 顔だけそちらに向けると、ああ、見慣れた後輩が2人。

「おはよう小野さん、平山くん」

「おはようございます!」

「ぉはざまっす」

 小野さんは元気に、平山くんはちょっとだけ無愛想に挨拶を返してくれる。

 小野 姫華さんと平山 孝太郎くん、2人とも僕と同じ中学の出身で、なんなら同じ部活の出でもある。高校でも続けているのは平山くんだけだけれど。平山くんは陸上部で、たしか部で1、2とは言わんでも3を争うくらい好成績のはず。自分より歳下なのにと思わなくもなくも、ない?

 素直にすごいと思う。

 僕のクラスの靴箱と2人のクラスの靴箱は隣り合っているから、朝こうして顔を合わせることも少なくない。最近は特に増えている気がする。

 途中まで一緒に行こうと2人が靴を履き替えるのを待った。

「小野さん、傘は?」

「え今日雨ですか?」

「らしいよ。平山くんも持っとるやん」

「っす」

「は〜? なんで言うてくれへんねん!」

「逆になんでおまえ気付かんねん」

「あはは!」

 この2人は幼馴染らしくて、よく一緒にいるのを目にするし、こういうやりとりもなんだか仲の良さを感じられて好きだ。

「小野さん折り畳み貸そうか? 今日傘2つ持ってるんよね」

「え! いいんですか!」

「いいよー」

「タローおまえ見習えよ」

「タローやめろおまえ」

「あははは!」


 その後、平山くんが傘を置いてくるのを待って3人で階段を上った。僕は3階。2人は4階へ。

 今日ははじまりの時間からとても気分が良い。このまま良い1日になったらいいなと思った。

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