最速の運び屋 前編

 永夜から10日目。


 ヒロは、玄関で靴紐を結びながら、リビングにいるユキに声をかけた。

「ユキ、学校に行ってくる」

「うん、いってらっしゃい、お兄ちゃん」

 ユキは、笑顔で手を振った。その笑顔は、数日前のあの日とは比べ物にならないほど明るかった。マイのおかげで、ユキは過去のトラウマから、回復しつつあった。

 とはいっても、数日は不安だったので、ヒロも学校にも行かずに付き添って過ごしてはいたが、その甲斐もあって、ユキは調子を取り戻しつつあった。

 ヒロは、安堵の息を吐きながら家を出た。この寂しくなった通学路も慣れたものだった。

 しかし、校門をくぐった瞬間、彼の表情は険しいものになった。前までは、永夜渦といえども、それなり活気に満ち溢れているはずの校舎は、どこか寂しげな空気に包まれていた。生徒たちの数も明らかに減っている。

 教室に入ると、その状況はさらに顕著だった。3割以上が空席で、残っている生徒たちも、どこか浮かない顔をしている。

「久しぶり、ヒロ」

 タクミが、いつものように後ろの席から声をかけてきた。

「おはよう、タクミ。今日は特に人が少ないな、俺がいない間に何かあったか?」

「いや。昨日もこんな感じだった。どうやら、お前みたいに何日か休んだまま学校に来なくなる奴もいるみたいだ」

 タクミの言葉に、ヒロは頷いた。

「社会全体が、少しずつ麻痺してきてるのかもしれないな」

 ヒロは、窓の外を眺めた。薄暗い空の下、街はいつもとは違う顔を見せていた。緊急車両のサイレンは鳴りやまず、店のシャッターは閉まり、人通りもまばらだ。

「そういえば、ユキちゃんはどうだ?」

 タクミが聞いてきた。ヒロは、この間の出来事を話すべきか一瞬躊躇したが、正直に話すことにした。

「いじめられてた奴らに会って少し凹んでたが、この間あったマイって子いたろ? その子のおかげもあって持ち直した」

「そうか、それはよかった」

 タクミは安心したように笑った。

「それにしても、マイちゃんか。あの子が……意外だな」

「俺も、あの子のことがよくわからないんだ。ただ、悪い子じゃないってのはわかる」

 ヒロとタクミは顔を見合わせた。

「まあ、マイちゃんが何者なのかはおいといて、ユキちゃんが元気になったなら、それで十分だ。それより、例の噂聞いたか?」

「噂ってなんだ?」

 ヒロは聞き返した。タクミは声を潜めて言った。

「ほら、最近、変な男たちが年頃の女の子に声をかけてるってやつ」

「なんだそれは、こんな時に変質者か」

「ああ、だからユキちゃんとマイちゃんにも気をつけろって言っとけよ」

「わかった、そうする」

 その時、教室の前のドアが開き、担任が入って来た。生徒たちは一斉に席に着いた。

 ホームルームが始まったが、やはり内容は暗いものだった。学校が再び休校になる可能性が高いこと、外出を控えること、そして緊急時のために、連絡網で各家庭に安否の確認をすることなどが伝えられた。


 昼休みのチャイムが鳴ると、ヒロとタクミは購買に向かった。しかし、そこには長蛇の列ができていた。

「おいおい、なんだこの行列は」

 タクミは、呆れたように呟いた。

「外で食料買うのも大変になってきてるからな」

 ヒロは、列に並びながら、スマホでニュースをチェックした。トップニュースは、「電力不足深刻化、計画停電の可能性も」という見出しだった。

「やっぱりか……」

 ヒロは、ため息をついた。太陽光発電が使えなくなったことで、電力の供給が不安定になっていることは、すでにニュースで報じられていた。

「このままじゃ、本当に社会が崩壊してしまうかもしれない」

 タクミは、不安そうに呟いた。

「そうだな……」

 ヒロは、改めて事態の深刻さを実感していた。しかし、今はできることをやるしかない。二人は残り物の菓子パンを買って教室に戻った。


 放課後、ヒロはいつものようにタクミと帰ろうとしたが、今日は用事があると言って断られた。彼は仕方なく一人で家路についた。

 家路につく途中、ヒロはスーパーマーケットに立ち寄った。

「食料、買い足しておこうかな」

 そう呟きながら、ヒロは薄暗い店内へと足を踏み入れた。店内は、初日ほどの混乱はないものの、どこか落ち着かない空気が漂っていた。人々は、緊張した面持ちで買い物カゴを手に取り、足早に商品を選んでいる。

 ヒロは、生鮮食品コーナーに向かったが、そこには、ほとんど商品が残っていなかった。

「野菜も果物も、ほとんどないのか……」

 ヒロは、ため息をついた。肉や魚のコーナーも同様で、まるで品出し前かのように、スカスカの商品ケースがあるだけだった。

「これじゃ、まともな食事も作れないな……」

 ヒロは、諦めて缶詰やカップラーメンのコーナーへと向かった。しかし、そこもすでに品薄状態だった。人気の商品はほとんど売り切れ、残っているのは、見慣れないメーカーの缶詰や、辛すぎるカップラーメンばかり。

「仕方ない、これで我慢するか…」

 ヒロは、仕方なく残っていたカップラーメンと缶詰をいくつかカゴに入れた。


 次に、ヒロは医薬品コーナーへ向かった。しかし、ここもすでに多くの人で賑わっていた。

「マスク、胃腸薬、風邪薬……」

 ヒロは、必要なものを探しながら、人混みをかき分けて進む。すると、棚に貼られた「お一人様一点限り」の文字が目に飛び込んできた。

「やっぱり、みんな不安なんだな…」

 ヒロは、心の中で呟いた。この異常事態が、人々の心に影を落としていることを、改めて実感した。

 ヒロは、なんとか必要な医薬品を手に入れると、足早にレジへ向かった。

「早く家に帰って、ユキを安心させないと」

 ヒロは、レジに並ぶ間も、ユキのことを考えていた。


 ヒロとユキが家に戻ると、リビングのソファに横たわるユキの姿があった。

「ユキ、大丈夫か!?」

 ヒロは心配そうに声をかけたが、ユキは微かに呻くだけで返事をしなかった。慌ててユキの額に手を当てると、火傷しそうなほどの熱を感じた。

「熱があるみたいだ……」

 ヒロは、ユキをベッドに寝かせ、手持ちの風邪薬を飲ませた。しかし、薬の効果は現れず、ユキの熱は一向に下がる気配がない。

 不安と焦りが募る中、ヒロは夜通しユキの看病を続けた。冷たいタオルでユキの額を冷やし、水分補給を促し、時折、意識が朦朧とする彼女に優しく声をかけた。しかし、ユキの容態は悪化するばかりだった。

 翌朝、ヒロは意を決して、開いている病院を探すことにした。しかし、スマホで検索しても、どの病院も休診や予約一杯の表示ばかり。

「一体、どこに行けば……」

 ヒロは、途方に暮れた。太陽が昇らない世界では、病院もろくに機能していないのだろうか。

「お兄ちゃん、私、大丈夫だから…」

 ユキが、弱々しい声でヒロに語りかけた。

「そんなことない! 必ず、病院を見つけるから!」

 ヒロは、ユキの手を握りしめ、決意を新たにした。

 諦めずに、ヒロは病院を探し続けた。そしてようやく、少し離れた場所に予約なしの診察を受け入れている病院を見つけた。

「この距離じゃ……タクシーか?」

 ヒロは、すぐにタクシー会社に連絡し、病院まで送ってもらうよう手配した。

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