マイとユキ

 7日目、曇天。


 ヒロとユキは再びスーパーマーケットを訪れていた。相変わらず薄暗い店内には、慣れた様子で買い物をする人々で溢れていた。

「ユキ、ドリンクゼリーはどこにあるか分かる?」

 ヒロは、買い物リストを見ながらユキに尋ねた。

「えっと、多分奥の方だったと思う……」

 ユキは、記憶を辿りながら答えた。

「じゃあ、行ってくるね。ここで待ってて」

 ヒロは、ユキにそう声をかけると、足早に奥のコーナーへと向かった。

 ユキは、一人残されたまま、キョロキョロと周囲を見渡していた。すると、遠くから聞き慣れた声が聞こえてくる。

「おい、お前」

 ユキは、反射的に声のする方を見た。そこには、中学時代に彼女をいじめていた男子生徒、カイトとその仲間たちが立っていた。カイトは、ニヤリと笑みを浮かべながら、ユキに近づいてきた。

「こんなところで何してるんだ? まさか、お前が一人で買い物か?」

 カイトの仲間たちが、クスクスと笑い始めた。ユキは、恐怖で体が硬直する。

「あ、あの……」

 ユキは、声が出なかった。

「なんだよ、ビビってんのか? 昔みたいに泣くんじゃねえぞ」

 カイトは、ユキの肩を掴み、乱暴に揺さぶった。

「やめて……」

 ユキは、抵抗したが、カイトの力は強かった。

「おい、やめろ!」

 その時、ユキの聞き慣れた声が響いた。ヒロが、二人の間に割って入ってきた。

「なんだ、お前は?」

 カイトは、ヒロを睨みつけた。

「彼女の兄だ。手を離せ」

 ヒロは、冷静に、しかし強い口調で言った。カイトは、一瞬ひるんだが、すぐに強気な態度に戻った。

「あー、そういえば兄貴がいたな。でも兄さん。 こいつ、昔散々俺たちを困らせたんだぜ。ちょっと仕返しして何が悪いんだよ」

「困らせた……? 訳が分からないな」

 ヒロは、カイトの目を真っ直ぐに見つめ、静かに言った。その視線に、カイトはたじろいだ。

「ちっ、面白くねえ」

 カイトは、舌打ちをすると、仲間たちと共にその場を立ち去った。



「ユキ、大丈夫か?」

 ヒロは、ユキを抱き寄せ、心配そうに尋ねた。ユキは、黙って頷いたが、彼女の目は涙で潤んでいた。

 その後、急いで二人は買い物を済ませ、家路についた。ユキは、ヒロの手を握りしめ、一言も発しなかった。彼女の心には、過去のトラウマが再び蘇り、深い傷を残していた。

 ヒロとユキは、家に戻ると、荷物をリビングに置いた。

「ユキ、お茶でも淹れるか?」

 ヒロは、いつも通りに明るく振る舞おうとしたが、ユキは小さく「うん」と答えただけで、自分の部屋へとこもってしまった。

 ヒロは、ユキの部屋のドアの前で立ち止まった。ノックしようかと思ったが、躊躇する。あの時、小学生のユキがいじめられていた時、彼は何もできなかった。その時の無力感が、今でもヒロの心を苦しめていた。

「ユキ……」

 ヒロは、小さくユキの名前を呼んだが、返事はなかった。

(どうすればいいんだ……)

 ヒロは、深くため息をついた。彼は、ユキを助けたい一心でスーパーに連れて行ったが、結果的に彼女を傷つけてしまった。

(あの時、俺がもっと強ければ…)

 ヒロは、過去の自分を責めた。しかし、過去を悔やんでも何も変わらない。今は、ユキの心の傷を癒やすこと、そして彼女を守ることに集中しなければならない。

 ヒロは、リビングに戻り、ソファに腰を下ろした。テーブルの上には、ユキのために買ってきたお菓子が置かれている。しかし、ユキは、もう笑顔を見せてくれないかもしれない。

「ユキ……」

 ヒロは、再びユキの名前を呟いた。彼は、ユキの心を理解し、彼女を支えることができるのだろうか。

 ヒロは、ソファに深く腰掛けながら、スマホを握りしめていた。画面には、マイとのチャット履歴が表示されている。

「マイ、今大丈夫か?」

 ヒロは、メッセージを送信した。数秒後、すぐに返信が届いた。

「相棒!? ようやく返事をくれたのね、 なにかしら?」

「実は、相談したいことがあるんだ」

 ヒロは、ユキのことを打ち明けるべきか迷った。しかし、他に頼れる相手がいなかった。

「ユキが、昔いじめられていた奴らに会って、ショックを受けているんだ。どうすればいいか、アドバイスが欲しい」

 数分後、マイから返信が届いた。

「なっ、使い魔のユキちゃんが!?  許せない!  闇の眷属め!  今すぐ助けに行くわ! 迎えに来て!」

 マイの勢いに、ヒロは思わず苦笑した。しかし、彼女の言葉に、心強い気持ちになったのも事実だった。

「ありがとう、マイ。助かるよ」

 ヒロは、そう返信すると、立ち上がり、ユキの部屋へと向かった。

「ユキ、ちょっと出かけてくる」

 ヒロは、ユキの部屋のドアをノックし、そう告げた。返事はなかったが、ヒロはユキが聞いていることを信じて、家を後にした。



 マイの家は、意外にも近所だった。薄暗い路地を抜け、古びたアパートの前に立つ。インターホンを押すと、すぐにガチャリと音がして、ドアが開いた。

「相棒! 待ってたわ!」

 マイは、満面の笑みでヒロを迎えた。いつものゴスロリ衣装ではなく、ラフな部屋着姿だった。

「使い魔のユキちゃん、どうなった!?」

 マイは、心配そうにヒロを見上げた。

「まだ、ひどく落ち込んでて……塞ぎ込んでいるんだ」

 ヒロは、申し訳なさそうに答えた。

「やっぱり、闇の眷属の仕業ね! 許せない!」

 マイは、拳を握りしめ、怒りを露わにした。

「だから、マイに相談しようと思って。ユキと年が近いお前なら、何か助けになってくれるんじゃないかと思って」

 ヒロは、マイの肩に手を置いた。マイは、一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに決意に満ちた顔つきになった。

「任せて、相棒! 私がユキちゃんを救ってみせるわ!」

 ヒロは、マイの頼もしさに安堵しながらも、ずっと気になっていた疑問をぶつけた。

「そういえば、なんで俺の家を知ってたんだ?」

 マイは、一瞬目を泳がせた後、胸を張って答えた。

「相棒の住処なんて知ってて当然でしょ!」

「いやいや、初対面だったし……」

 ヒロが問い詰めると、マイは頬を赤らめ、小声で呟いた。

「あの……実は、初日に会った時、こっそり後をつけてたの…」

 ヒロは、呆れたようにため息をついた。

「まあ、今回のことでチャラにしてやるよ」

 マイは、ホッとしたように息を吐いた。

「さて、ユキちゃんのところに行きましょう!  闇の眷属から彼女を守るために!」

 マイは、再び目を輝かせ、ヒロを促した。二人は、薄暗い路地を戻り、ヒロの家へと向かった。

「そういえば、マイ、その格好で良かったのか?」

 ヒロは、マイの服装に目をやりながら尋ねた。普段の彼女からは想像もつかないラフな格好だった。ぶかぶかのTシャツに、ショートパンツ姿だ。

 マイは、ヒロの視線に気づき、自分の服装を見下ろした。

「っ!?」

彼女は、慌てて自分の格好を確認し、顔を真っ赤に染めた。

「み、見るなぁ! 一回帰る!」

マイは、慌ててそのまま走り去っていった。

「あちゃー……」

ヒロは、呆然とその後ろ姿を見送った。

10分後、戻ってきたマイは、今度はちゃんと着替えていた。フリルのついた可愛らしいワンピースにカーディガンを羽織っている。

「相棒! おまたせ!」

マイは、少し恥ずかしそうにしながら、ヒロの前に立つ。

「お、おう……」

普段とは違うマイの姿に少しドキッとしながらも、平常心を保っているふりをして、帰路を急ぐ。



「ここが相棒の家なのね……」

 ヒロの家に入ると、マイはまるで観光地にでも来たかのように辺りを見回し、呟いた。彼女の瞳は、好奇心と期待で輝いている。

「ああ、ユキの部屋はあっちだ」

 ヒロは、少し戸惑いながらも、マイをユキの部屋へと案内した。ドアの前で立ち止まり、ヒロはノックをしようとしたが、マイはそれを制止した。

「ここは天岩戸ね……! 安心しなさい、使い魔! この光の巫女が開けてみせるわ!」

 マイは、大げさな身振りでドアノブに手をかけ、勢いよく扉を開けた。

 薄暗い部屋の中、ベッドの上で膝を抱えて座るユキの姿が見えた。彼女は、マイの姿を見ると、一瞬驚きを隠せない表情を見せたが、すぐに俯いてしまった。

「使い魔! 私が来たからには安心よ! あなたを傷つけるものは全て浄化してみせるわ……この神聖魔力で!」

 マイは、ユキに向かって手を差し伸べ、力強く宣言した。

「お兄ちゃん……なんでマイさんなんて入れたの……?」

 ユキは大きなぬいぐるみに隠れながら、警戒心を露わにした目でマイを見つめた。

「なんてって、失礼ね! 私はあなたを救いに来たのだけど」

 マイはユキに向かって指を立て、得意げに言い放った。

「救うって、どうやって?」

 ユキは眉をひそめ、マイの言葉に疑いの目を向けた。

「例えば、私が悲しい時はこう……」

 マイはユキに近づき、優しく抱きしめた。

「きゃっ」

 ユキは驚いて身を引いた。

「ほら、もう大丈夫でしょ?」

 マイは、満面の笑みを浮かべた。

「あの……マイ?」

 ヒロは、二人の間に割って入り、戸惑いながら口を開いた。

「相棒は黙ってて!」

 マイはヒロを制し、再びユキに視線を戻した。

「ユキちゃん? 私はあなたを救うためにここに来たの。だから、安心して、私の言うことを聞いてくれればいいのよ」

 マイは、まるで母親が子供を諭すように、優しく語りかけた。

「でも……」

 ユキは、まだどこか疑わしげな表情を浮かべていた。

「ねえ、お兄ちゃん」

 ユキは、ヒロの方を振り返った。

「マイさんは、本当に信用できるの?」

 ヒロは、困ったような表情を見せた。マイの言動は突飛で、理解しがたい部分も多い。しかし、彼女がユキを傷つけるつもりはないことは、ヒロにも分かった。

「ああ、大丈夫だ。マイは、ちょっと変わってるけど、優しい子なんだ」

 ヒロは、ユキの頭を優しく撫でた。ユキは、少し安心したような表情を見せた。

「でも……」

 ユキは、まだ何か言いたげだったが、言葉を飲み込んだ。

「ユキちゃん、もし何かあったら、私にいつでも相談してね」

 マイは、ユキの手を握り、優しく微笑んだ。その笑顔は、まるで聖母のような慈愛に満ちていた。

 ユキは、マイの手の温かさを感じながら、思わず小さく頷いた。

 マイは、ユキの戸惑いを感じ取ると、そっと彼女を抱き寄せた。

「大丈夫よ、ユキちゃん。怖いことや不安なことがあるときは、こうやって誰かに甘えるのもいいのよ。いつも不安な時はママにこうしてもらってるの」

 マイは、まるで母親のようにユキの背中を優しく撫でた。

「ママ……」

ユキは、マイの胸に顔を埋めながら、小さく呟いた。その声はかすかに震えていたが、その表情には安らぎの色が浮かんでいた。そして、その温かい抱擁に、ユキは堰を切ったように泣き出した。

「ううう……ううっ」

 ユキは、マイの胸元で声を殺しながら泣いた。ヒロは、二人の様子を少し離れた場所から見守っていた。妹がこんなに感情を露わにするのは、珍しいことだった。

 マイは、ユキの髪を優しく梳きながら、静かに語りかけた。

「泣きたいときは、我慢しなくていいの。泣くことで、心のモヤモヤが晴れることもあるから」

 ユキの嗚咽は、しばらくの間続いた。しかし、マイの温かい抱擁と優しい言葉に、少しずつ落ち着きを取り戻していく。

 ヒロは、二人の姿を見て、安堵の息を吐いた。マイは、見た目とは裏腹に、意外な優しさを持っているようだ。

「ありがとう、マイ」

 ヒロは、そっと感謝の言葉を呟いた。

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