夜の底
国土交通省
国土交通省の重厚な扉がゆっくりと開かれ、ジョーは慣れた足取りで中へと入っていく。廊下に響く革靴の音だけが、静まり返った庁舎内に虚しくこだまする。いつもは活気に満ちたこの場所も、永夜の影響で職員の姿はまばらで、薄暗い照明が不安な影を長く伸ばしていた。
「やあ、次官。今日も朝からご苦労様」
ジョーは、次官室の扉を開けながら、いつものように軽口を叩いた。しかし、その声はどこか空虚で、彼自身もそのことに気づいていた。
「ジョー君、こんな時に冗談を言っている場合ではないだろう」
次官は、深く刻まれた皺をさらに寄せ、険しい表情でジョーを迎えた。彼の机の上には、山積みの書類と、深刻なニュースを伝える新聞が乱雑に置かれている。一面には、「永夜10日目、食糧危機深刻化か」の見出しが躍っていた。
「分かっているよ。でも、こんな時だからこそ、少しでも明るい話題を提供しないとね」
ジョーは、無理やり笑顔を作りながら、次官の向かいの椅子に腰を下ろした。しかし、その笑顔はどこかぎこちなく、彼の心の内を隠しきれていなかった。
「さて、本題に入ろうか。例の件、進捗はどうだい?」
ジョーは、努めて軽い口調で尋ねた。しかし、その目は真剣そのもので、次官を射抜くように見つめていた。
「ああ、例の件か。現在、24時間体制で作業を進めている。しかし、この状況下では、資材の調達や人員の確保が難航しており、思うように進まないのが現状だ」
次官は、疲れた様子で説明した。彼の声には、焦りと不安が滲み出ていた。
「分かっている。だが、時間がないんだ。君たちも分かっているだろう? あれが完成しなければ、この国は、いや、世界はどうなってしまうか」
ジョーは、声を低くして言った。彼の言葉には、強い決意と、同時に深い悲しみが込められていた。
「分かっている。しかし、安全性を無視して急ぐわけにはいかない。国民の命を危険にさらすわけにはいかないんだ」
次官は、苦渋の表情で反論した。
「もちろん、安全第一だ。だが、それと同時に、スピードも必要だ。この二つのバランスをどう取るか、それが君たちの使命だろう」
ジョーは、次官の目をじっと見つめながら、静かに語りかけた。
「……分かっている。全力を尽くす」
次官は、ジョーの言葉に心を打たれたのか、力強く頷いた。
ジョーは、次官室を後にすると、深く息を吐き出した。廊下の窓からは、星一つ見えない漆黒の空が広がっていた。
「こんなこと、俺がやるべきことじゃない……」
彼は、誰に言うでもなく呟いた。メッセンジャーとして、半ば脅迫のようなことをしている自分に、嫌悪感を抱いていた。しかし、それでも彼は、この使命を全うしなければならなかった。世界の未来がかかっているのだから。
*
大手証券会社の大会議室
超高層ビル最上階にある重役会議室。厚手のカーテンが引かれ、窓の外は漆黒の闇。重苦しい沈黙の中、CFOが口を開いた。
「現状報告させていただきます。わが社の証券の含み損は、30兆円を超えています……」
その言葉に、重役たちは一斉に息を呑んだ。額に浮かぶ冷や汗を拭う者、天を仰ぐ者、険しい表情で腕を組む者…。
CEOが静かに口を開いた。
「さすが、これは予見できなかった。致し方ないだろう……」
彼の言葉は、諦めにも似た響きを含んでいた。30兆円という損失は、この超大手証券会社にとっても、決して小さくない額だ。
「しかし、エネルギー関連株、特に原子力発電関連は、上昇傾向にあります」
CFOが、わずかな希望を込めたように付け加えた。
「焼け石に水だろう」
CEOは、冷めた目でグラフを見つめた。
「確かに、原子力関連の上昇は目を見張るものがあります。しかし、全体の損失を補填するには、焼け石に水もいいところです」
別の重役が、暗い表情で同意した。
「特に、再生可能エネルギー関連株の下げが痛い。太陽光発電関連は、文字通り日の目を見ない状況です」
CFOの言葉に、重役たちは再び沈黙した。太陽が昇らない今、太陽光発電は全く機能しない。その事実は、再エネ関連株の価値を大きく下げていた。
「この状況がいつまで続くのか……」
誰かが呟いた言葉が、会議室に虚しく響いた。永夜10日目。出口の見えない闇の中、重役たちは、会社の、そして自らの未来を案じていた。
*
都内 ターミナル駅前
「ちっ、また空振りかよ」
タケシはハンドルを叩き、舌打ちをした。都内のタクシー乗り場は、いつもなら客待ちの列で賑わっているはずだが、今日は閑散としていた。太陽が昇らない異常事態が長期化するにつれ、人々の外出は減り、タクシーの利用者も激減していた。
「こんなんじゃ、飯も食えねーじゃねーか」
タケシは、バックミラー越しに自分の顔を映し、伸びた髭を指でいじった。
「おい、あんちゃん。潮風市まで行ってくれるか?」
突然、後ろから声がした。タケシは振り返ると、そこには黒スーツに身を包んだ男が立っていた。
「潮風市? ええ、行きますよ」
タケシは、内心ガッツポーズをした。潮風市は、都内から車で1時間ほどの距離にある。中距離の客は、稼ぎが良い。
男は、無言で後部座席に乗り込んだ。タケシは、バックミラー越しに男の様子を窺う。男は、窓の外を眺めながら、何か考え込んでいるようだった。
しばらく沈黙が続いた後、男が口を開いた。
「急いでくれ。金はいくらでも払う」
男は、そう言うと、鞄から札束を取り出し、タケシに見せつけた。その厚さに、タケシは思わず息を呑んだ。
「へっ、任せとけって。安全運転で、目的地までご案内しますよ」
タケシは、男の言葉にニヤリと笑うと、ギアを入れ、アクセルを踏み込んだ。いつも以上に気合を入れて、潮風市へと車を走らせた。
*
潮風市 遡って永夜発生から3日目
「やっべー! マジで太陽が消えちゃったんだけど!」
ヤマダは、カメラに向かって大げさに驚いてみせた。彼の背後には、薄暗い部屋と、乱雑に積み上げられた漫画やゲームソフトが映っている。
「みんな、信じられる? これ、俺が昨日撮った映像なんだけどさ…」
ヤマダは、編集した動画を再生する。そこには、夜明けを迎えるはずの空が、不気味な紫色に染まっている様子が映し出されていた。
「これ、完全に世紀末じゃん! まさか、俺たち、終末を迎えるのか!?」
ヤマダは、わざとらしく声を震わせ、恐怖感を煽る。
「でも、安心してくれ! 俺、この謎を解く鍵を見つけたんだ!」
ヤマダは、おもむろに一冊の古びた本を取り出した。表紙には、意味不明な文字が刻まれている。
「これ、古代の予言書なんだって! そこにさ、こんなことが書いてあったんだ。『太陽が隠れし時、世界は闇に包まれ、淘汰と選別が始まる』って」
ヤマダは、得意げに本を読み上げた。
「つまり、俺たちが今、体験しているのは、この予言が現実になったってこと! そして、俺こそが、この予言に選ばれた救世主…ってわけじゃないけど、まあ、それに近い存在ってことだよ!」
ヤマダは、ドヤ顔でカメラに向かってウィンクした。
「これから、俺は、この予言書の謎を解き明かし、太陽を取り戻すために、体を張って調査するぜ! みんな、応援よろしく!」
ヤマダは、高らかに宣言し、動画を締めくくった。
「よし、これでバズること間違いなしだな!」
ヤマダは、満足そうにパソコンの画面を見つめた。再生回数は、すでに数万回を超えており、コメント欄には、様々な反応が寄せられていた。
「ヤマダさん、面白すぎ!」
「マジ卍! 予言書って、ガチなの?」
「嘘乙wwww」
「陰謀論乙」
ヤマダは、コメントを読みながら、ニヤリと笑った。彼は、この異常事態をエンターテイメントとして楽しんでいた。しかし、彼の軽はずみな行動が、やがて大きな波紋を呼ぶことになる。
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