太陽が消えた夏

 未明。

 ヒロは、いつも通り目覚まし時計の音ではなく、自身を覆う謎の重みによって目を覚ました。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

 妹のユキが腰まで届く長い黒髪を揺らしながら、ヒロの上に乗って揺さぶって、必死に起こそうとしている。

「どうしたんだよ?」

 そんな風に妹が無理やり起こしに来ることはそこそこある。しかし、いつもと違うのは部屋がまだ薄暗かったことだ。もっと小さいころならともかく、中学生にもなって夜中に起こしに来るほど甘えん坊ではない。

「あれ?  まだ朝じゃないのか……?」

 そう呟きながら、ヒロはユキを丁寧によけるとベッドから起き上がり、窓辺に近づいた。カーテンを開けると、そこにはまだ夜の闇が広がっていた。

「こんな夜中に起こすなよ……」

 ユキに軽く文句を言って、そのまま二度寝しようとするヒロ。いったい何時に起こされたんだと時計の方を見た。

「え……?  なんで?」

 ヒロは目を疑った。時計は確かに朝の6:48を指していた。なのに外を見ると、どんなに見積もっても朝の4時前くらいだった。

「朝のはずなのに、太陽が出てないの」

 兄が異常事態にようやく気が付き、ユキは現状のままを告白する。その声は震えている。吸い込まれそうなほど綺麗な彼女の青い目は、不安げに揺れていた。

「お兄ちゃん、これ……夢だよね?」

 そうであることを願うように、ユキがヒロに尋ねる。。

「そう……かもな」

 その質問に、ヒロはそう答えざるを得なかった。

 疑問を解消するためにひとまず、彼は古典的手段として頬をつねってみる。ユキもそれに倣う。

「痛い……」

「夢じゃ……なさそうだな」

 ヒロは自分の頬をつねった手をそのままに、言った。

「これが現実ならどういうことなの? なんでまだ暗いままなの?」

 不安そうにしているユキの純粋な問いかけに、ヒロは何も答えられなかった。ただ、胸騒ぎがする。何か、良くないことが起こっているのではないか。

「とりあえず、情報を集めよう」

 彼はベッドサイドで充電していたスマホを取り、ニュースサイトを開く。しかし、どのサイトもアクセスが集中しているようで繋がりにくい。ようやく繋がったニュースサイトには、「太陽消失」の見出しが躍っていた。

 しかし、記事の読み込みにあまりに時間がかかるため、あきらめてSNSを見る。

 SNSでは「太陽どこ」「夜明け」「暗い」「白夜」などのワードがトレンド入りしていた。

 ひとまず自分のタイムラインを見てみる。


 普通の学生「マジで太陽が昇らないんだが?」


 眠気まなこ「え、これってどういうこと?」


 終末思想「世界の終わり?」


 冷静沈着「とりあえず落ち着こうぜ」


 猫好きおじさん「不安なTLに猫流します」


 引きこもりニート「俺んとこだけ?」


 寝坊助「もしかして、寝過ごして夕方?」


 心配性ママ「娘を落ち着かせなきゃ……」


 社畜戦士「このまま太陽昇らなかったら会社休も」


 情報通「ニュース速報見て! 太陽が昇ってないって!」


 陰謀論者「ついに始まったね、淘汰のときが」


 オタクマン「なんか、終末モノの始まりっぽいw」


 ネット大好き「こんな時にネット集合するな!w まあ俺もだけどw」


 哲学少女「当たり前など、存在しない」


 科学少年「気象データ見たけど、何が起こってるか全然分からない」


 人々の不安や混乱、そしてどこか他人事のような反応が入り混じったツイートがタイムラインを埋め尽くしていた。

「マジかよ……」

 ヒロは、思わず言葉を失った。これはどうしようもなく現実のようだと、そして全国的に起きている現象なのだと嫌でもわからされた。

「お兄ちゃん、これからどうなるの…?」

 スマホを見ながら凍り付くヒロを見て、ユキの声が、さらに震える。

「大丈夫だ、ユキ。きっと……」

 ヒロは、不安で泣き出しそうなユキを抱きしめながら、テレビのリモコンに手を伸ばす。

 テレビつけて適当なチャンネルに回すと、アナウンサーの緊迫した声が飛び込んできた。

「本日は放送内容を大きく変更してお送りしております。未明より、全世界的に太陽が昇らないという異常事態が発生しております。原因は現在調査中ですが、専門家によると、過去に例のない事態だということです。街の様子を生中継します。」

 テレビ画面には、レポーターが街の様子を伝えている。

「現在、午前7時を回りましたが、外はご覧の通り、夜明け前のような薄暗さです。街行く人々は皆、不安そうな表情を浮かべています」

 レポーターは、足早に通り過ぎる人々にマイクを向ける。

「おはようございます。太陽が昇らない状況について、どう思われますか?」

「え、えっと……ちょっと怖いですね。こんなこと初めてなので……」

 若い女性が、戸惑いながら答える。

「まさか、世界が終わるんじゃないでしょうね…」

 老人が、不安げに呟く。

「今日も変わらず学校ですよ、帰りたいです」

 男子学生がおどけた風に言う。だがその表情はこわばっていた。

「スタジオにお返しします」

 スタジオに画面が切り替わると、そこには、急遽呼び出されたのであろう、髪を掻きむしり、ネクタイを緩めた、やつれた様子の学者が座っていた。

「専門家の先生、この状況について、どのようにお考えでしょうか?」

「わかりません」

 専門家は、きっぱりと答えた。スタジオは一瞬静まり返る。

「え……?」

 キャスターは、戸惑いを隠せない。

「というのも、まだまだ時間と情報が足りないのが現状です。現在、全世界の研究機関や天文台が協力して、この現象の原因を究明していますが、まだ有力な仮説すら立てられていません」

 専門家は、神妙な面持ちで続ける。

「太陽自体は存在しており、光も発していることは確認できています。しかし、その光が地球に届かない理由は不明です。地球の磁場や大気の状態にも異常は見られません」

「では、一体何が原因なのでしょうか?」

 キャスターが何か情報を引き出そうと食い下がる。

「現時点では、断定的なことは言えません。しかし、過去に例のない現象であることは確かです。今後の調査によって、新たな事実が明らかになることを期待しています」

 専門家は、慎重に言葉を選びながら答えた。スタジオには、重苦しい空気が漂っていた。

「現状が解決する見込みはありますか?」

 祈るように、キャスターは専門家に尋ねる。

「現時点では何とも、一部では白夜のような現象なのではと言われていますが、全世界的に起こっているので――」

 専門家の言葉に、ヒロとユキは顔を見合わせる。

「過去に例のない現象……?」

 そういうユキの声はかわいそうなくらいに震えていた。ヒロは、ユキの手を握りしめ、テレビの電源をそっと切った。

「怖いよ、お兄ちゃん……」

 ユキは、恐怖で顔を青ざめ、ヒロの腕にしがみついた。ヒロは、ユキを抱きしめながら、頭を優しく撫でて落ち着かせようとする。それでもユキの震えは止まらなかった。

「ユキ、大丈夫だ。俺が必ず守るから」

 ヒロは、そんなユキの震えを止めるように抱きしめながら、力強く言った。しかし、彼の心にもどうしようもなく不安が広がっていた。

「お兄ちゃん…」

 ユキは、ヒロの胸に顔をうずめ、声を殺して泣いた。ヒロは、ユキの背中を優しくさすりながら、この先どうなるのか、自分たちに何が出来るのか、必死に考えを巡らせた。

「とりあえず、落ち着こう。まだ、何が起こってるかわからないんだ」

 ヒロは、ユキを部屋まで連れていきベッドに寝かせ、毛布をかけてやった。

「うん……」

 ユキは、小さく頷き、目を閉じた。ユキが小さな寝息を立てるのを確認するとヒロは、部屋を出て、リビングに向かった。

 ヒロは、窓の外に目を向けた。街はいつもとはまるで違って見えた。薄暗い光と呼べるかわからないほど微かな輝きが、静まり返った通りをかろうじて照らしている。普段は賑やかな通勤ラッシュの時間帯にもかかわらず、車や人の姿はほとんど見えなかった。街灯がぼんやりとした光を放ち、その光に照らされた道路や建物が、まるでロウソクの火で照らされたように弱弱しく浮かび上がっていた。

「どうなってるんだよ……」

 ヒロは呟いた。この不気味な静けさは、まるで世界が終わってしまったかのような錯覚を彼に与えた。しかし、ヒロはすぐにその考えを振り払った。

「大丈夫だ、何とかなる」

 ひとまず、彼は海外出張中の両親に電話した。両親が無事であることを知り、少し安心するヒロ。

 もう学校に行かなくては間に合わない時間だが、妹を置いて外に行く気にも、そもそも学校に行く気にもならなかった。

 彼はスマホを再び取り出すと友人たちと連絡を取る。

『タクミ、無事か?』

 連絡ツールを使って友人にチャットを送る。

 既読と返信はすぐに来た。

『俺は平気だ。お前こそ大丈夫なのか?』

 親友の安否を確認して、ほっと胸を撫でおろす。

『休校の連絡とか来てないよな?』

『ああ、今のところは何も』

『俺は学校へ行くけど、お前は?』

「……」

 ヒロは熟考する。ユキを置いて学校へ行くべきか。正直ユキを置いていくことには不安しかない上に、こんな状況で妹を一人には出来ないという使命感もあった。

『ちょっと考える』

『おっけー、無理すんなよ』

 スマホを置いてふー、とため息をつく。

 深くソファにもたれ掛かる。そうして、しばらく目をつぶったり、頭を抱えたりと考えに考え抜き、答えを出した。

「ここは、ひとまず学校へ行くか……」

 正常性バイアス――異常事態でも日常を繰り返そうとする人の性が働いているのか、この状態でも、ヒロは学校へ行けばいつもと変わらない日常が待っているという淡い期待を抱いていた。それに、役立つ情報もあるかもしれない。

 とにかく、彼は現在の状況から抜け出すために行動したい一心だった。

「ユキ、学校に行ってくる。何かあったら、すぐに電話してくれ」

 ヒロは、そそくさと準備を終わらせると、ベッドにいるユキを優しく起こし、学校に行くことを伝える。

「お兄ちゃん……いかないで、怖いよ」

 ユキは、ヒロの服の裾をぎゅっと握りしめ、小さな声で訴える。

「大丈夫だよ、ユキ。すぐに戻ってくるから」

 ヒロは、ユキの頭を撫で、笑顔を見せる。しかし、その笑顔はどこかぎこちなく、彼の心の中にも不安が渦巻いていた。

「でも、外は真っ暗だし……」

 ユキは、窓の外の闇を指差す。一人ぼっちになる不安と、兄の身を案じる二つの感情が渦巻いていた。

「大丈夫、すぐに明るくなるさ。それに、何かあったら、すぐに電話すればいいんだ」

 ヒロは、そう言ってユキを安心させようとするが、彼自身もこの状況がいつまで続くのか、見当もつかなかった。

「約束だよ?」

 ユキは何か言いたげだったが、ヒロの心中を察したのか、それ以上は何も言わなかった。

 そして、涙ぐみながらヒロを見上げる。まるで、兄が戦場にでも行くのかのようだ。

「ああ、約束だ」

 ヒロは、そんなユキの手を握り返し、力強く頷いた。

 そして、ユキは、不安そうな目でヒロを見送った。彼女は、兄を信じて待つことしかできなかった。

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