それぞれの夜明け
同時刻、マイの家
「マイ! まだ寝てるの!? 太陽が昇らないって大騒ぎになってるわよ!?」
目覚まし代わりに母親のけたたましい声に、マイはベッドから半分身体を起こした。
「ん、ママあと5分~」
いつものように、マイは朝に弱い。
「だから、太陽が昇らないんだって!」
母親は、この異常事態をマイに理解させようと何度も同じことを言う。
「なに~、太陽?」
「そう、太陽!」
ろくに覚醒していないマイの頭はそれを理解することを拒む。
「もう、見なさい!」
母親はずかずかとマイの部屋に入っていくと、マイを無理やり起こし、カーテンを開け、さらに時計を見せてこの状況を必死に伝えようとした。
「もう、ママひどい……うん、うん?」
マイは、寝ぼけ眼のままカーテンの向こうを見た。
「ええ!?」
一瞬、何が起こったのか理解できず、マイは混乱した。時計の指している時間は、遅刻ギリギリに起きる彼女の起床時間より早いとはいえ、絶対に太陽が昇ってなければおかしい時間だ。あまりの事態を理解できず、頭が混乱する。しかし、次の瞬間、彼女の脳裏には、ある言葉が閃いた。
「ラグナロク……!? ついに来たか……!」
マイは、興奮を抑えきれない様子で呟いた。
「はぁ?」
母親は突然の発言に困惑する。だが、次の瞬間にいつもの“中二病”が始まったというのを理解した。
「そう、ラグナロク! この時を待っていた!」
彼女の中二病的な妄想が、現実のものとなった瞬間だった。
完全に脳が覚醒したマイはつらつらと設定を並べだす。
「この世界を覆う闇…これは、邪悪な闇の眷属が引き起こしたに違いない! そして、この危機を救えるのは、選ばれし光の巫女……そう、私しかいない!」
マイは、ベッドから飛び出ると、クローゼットから何かをひったくり鏡の前に立つ。クローゼットから取り出したものは、黒を基調としたゴシックロリータのドレスだった。ぱっぱと寝間着を脱ぎ散らかし、それに身を包む。いつもは学校に着ていく勇気がなかった、お気に入りの衣装だ。黒いレースの手袋をつけ、首には銀のペンダントを下げ、いつものように長い黒髪をツインテールに結ぶ。
「我が名は光の巫女、ルミナス・プリーステス・マイ! この世界を闇の眷属から解放する!」
マイは誰に言うでもなく、そう高らかに宣言し、家を飛び出そうとした。
「ちょっと、マイ! どこに行くの!? そんな格好で学校に行けるわけないでしょ!」
呆然としていた母親が慌ててマイを呼び止めた。
「ママ、分かってないのね。私は、この世界の危機を救うために選ばれた存在なの。今、私が行かなければ、世界は闇に飲み込まれてしまうのよ!」
マイは、母親の言葉を無視し、玄関へと向かった。
「マイ、そんな格好でどこに行くの!? 冗談じゃないわよ!」
母親はマイの腕を掴み、引き止めようとした。だが、マイはそれを振りほどき、外へ飛び出す。
「マイ、待ちなさい! 危ないかもしれないのよ!」
母親は、マイが学校に相応しくない姿で行くことよりも、マイの身を案じて心配していた。だが、親心子知らず、マイは気にしない。母親は、涙を浮かべながら、娘の後ろ姿を見送ることしかできなかった。
「学校に着いたら、連絡するのよ!」
母親の声が背中に響くが、マイは振り返ることなく、薄暗い街の闇へと溶けていった。
*
少しさかのぼり、帝都テレビ局
大学教授のナカムラは、急なテレビ出演の依頼を二つ返事で答えた。だが、そのことを激しく後悔する羽目になる。
「では、一体何が原因なのでしょうか?」
キャスターが意地悪な質問を投げかけてくる。そんなことわかっていれば誰も苦労はしない。
「現時点では、断定的なことは言えません。しかし、過去に例のない現象であることは確かです。今後の調査によって、新たな事実が明らかになることを期待しています」
ナカムラは、慎重に言葉を選びながら答えた。スタジオには、重苦しい空気が漂っていた。
「現状が解決する見込みはありますか?」
キャスターによる追撃が行われる。ナカムラはそれ正面から受け止める。
「現時点では何とも、一部では白夜のような現象なのではと言われていますが、全世界的に起こっているのでその可能性は低いでしょう。白夜は地球の自転軸の傾きによって起こる現象ですが、今回は地球全体が暗闇に包まれています。正直に申し上げて、やはり現状では何とも言えません」
ナカムラの言葉は、テレビの前の視聴者だけでなく、彼自身にも重くのしかかった。宇宙論の専門家として、この異常事態を科学的に説明できないことに、無力感と焦燥感が募っていく。
「急なご出演、ありがとうございました! 助かりましたよ~、おかげでうちがこの時間帯トップ視聴率取れましたよ!」
こんな状況だというのに、高視聴率が取れてうれしそうなプロデューサーの声がナカムラの耳に届く。しかし、視聴率などどうでもいい。ただただ、この異常事態を解明したいという思いが、彼を突き動かしていた。
「先生、タクシーお呼びしましたんで。お気をつけて」
ADの女性に促されるまま、ナカムラはテレビ局を後にした。タクシーに乗り込み、自宅へ向かう間も、彼の頭の中は太陽消失のことでいっぱいだった。
「一体何が起こっているんだ……?」
ナカムラは、独り言のように呟いた。彼の頭の中は、太陽消失の原因に関する様々な仮説で埋め尽くされていた。
「太陽活動の低下? コロナ質量放出? それとも、未知の宇宙現象か……?」
一つ一つの仮説を検証していくうちに、ナカムラの心はますます混乱していった。
「いや、待てよ。もしかしたら、サカイの言っていた……」
ナカムラの脳裏に、友人の考古学者、サカイが語っていた「アストラル共鳴理論」がよぎった。名前は聞いたことがある。学会でマッドと呼ばれ追放された学者が提唱した理論だ。それは、通常干渉し合うはずのない多元宇宙同士が、干渉しあい共鳴状態が起こるという突飛な理論だった。その理論には、自然の斉一性について述べている部分もあり、まさにドンピシャで太陽が昇らなくなる可能性を述べていたのだ。
「まさか、そんな馬鹿な……」
ナカムラは、首を横に振った。しかし、科学では説明できないこの現象を前に、彼の心は揺れ動いていた。まるで、予言のように今回の事象を当てた理論。単なる偶然で済ませていいのだろうか。
「いや、それでも……可能性はゼロではないかもしれないが、やはり……」
ナカムラは、窓の外の暗闇を見つめながら、苦悩の表情を浮かべた。
*
午前6時 党の一室
「オオタニ様、大変です!」
いつもは冷静沈着な秘書の慌てた声が、静寂を破った。オオタニは、執務室のソファで目を閉じ、瞑想にふけっていた。
「何事だ、落ち着いて話せ」
オオタニは、ゆっくりと目を開け、秘書を見つめた。
「太陽が……太陽が昇らないんです!」
秘書の言葉に、オオタニは一瞬眉をひそめた。しかし、すぐにその意味を理解した。
「……まさか」
オオタニは、窓の外を見た。時刻はすでに午前6時を過ぎているはずなのに、外は薄暗く、夜明けのようだった。今の季節は夏だ。もうとっくに日が出ていなければおかしい。
「ニュースでは、世界中で同じ現象が起きていると報じています。原因は不明ですが、専門家によると、過去に例のない事態だということです」
秘書は、震える声で報告を続けた。オオタニは、腕組みをして考え込んだ。
「……これは、ただ事ではないな」
オオタニは、直感的にこの事態の深刻さを悟った。太陽が昇らないということは、地球上のあらゆる生命活動に影響を与える。食料生産、エネルギー供給、経済活動…全てが崩壊する可能性がある。
「現政権は、この事態を収拾できるだろうか?」
オオタニは、自問自答した。答えは、明白だった。現政権は、この未曾有の危機に対応できる能力も、リーダーシップも持ち合わせていない。国民はパニックに陥り、社会は混乱するだろう。そして、その結果、現政権は崩壊し、党も大敗するだろう。
自身も、年々集票力が下がっていく中、この事態は政治生命にかかわる。だが、オオタニはもはや、政治にこだわりなどなかった。
「今のうちに勇退し、コメンテーターや作家になるのも悪くないな」
将来について、皮算用を始める。かつて、期待の新人、救国の首相とまで呼ばれた彼の姿はどこにもなかった。
「そうだ、天下り先も確保しておこう」
オオタニは、秘書に電話をかけるよう指示した。相手は、大手企業の会長だ。
「もしもし、 オオタニです。実は、ちょっと相談がありまして……」
オオタニは、電話口で、自分の将来について語り始めた。
*
午前7時30分 ??の自室
「……ふふ、面白いわ」
薄暗い部屋の中、SNSやニュースで大騒ぎする人々を眺めながら、少女は静かに呟いた。
「太陽が消えた? 世界が終わりを迎える? そんなこと、私にはどうでもいいの」
少女は、指先でモニターに触れ、そこに映るニュース映像を拡大した。人々の不安げな表情、不安をかき消すように普段通り過ごそうとする人々その全てが、少女の心を満たしていく。
「この世界は、あまりにも醜い。争い、憎しみ、不平等……そんなものが蔓延している。こんな世界、終わってしまえばいい」
少女は、ゆっくりと立ち上がり、窓の外を見つめた。暗闇に包まれた街は、まるで彼女の心の闇を映し出しているようだった。
「でも、絶望しないで。私があなたたちを救う。私が、この世界を浄化する」
少女は、不気味な笑みを浮かべ、マイクのスイッチを入れた。
「みんな~、おはよう。今日はゲリラ配信なのに来てくれてありがとう」
『おはよう~』
『――ちゃんおはよ~』
『学校休みになったから来たよ~』
『――ちゃん大丈夫!? 太陽昇ってないんだって!』
彼女の配信のチャット欄には、思い思いのコメントが寄せられる。
「みんな、おはようありがとう」
リスナーと対話する少女の声は、甘く、優しく、そしてどこか狂気を孕んでいた。
「突然だけど、今日からちょっと活動方針を変えようと思うんだ~」
少女は、自らのリスナーにそう宣言する。
『ええ?』
『突然だ』
『ゲリラでいうことかな……』
リスナーからは驚愕と動揺が見て取れる、そんなリスナーに向けて、彼女はこう続けた。
「でも、すぐに気に入ると思うよ! だって、みんな私のこと好きでしょ?」
『うん!』
『¥500 世界一愛してる』
『最推しです』
リスナーの返事に、彼女はうんうんと満足そうにうなずく。
「私はリスナーが大好きなの、だからみんなを救う」
『え?』
『どういうこと?』
『ちょっと怖いよ?』
少女は聖母のような微笑を浮かべ、リスナーに語り掛ける。
「この世界は、終わりを迎える。しかし、絶望する必要はない。私が、あなたたちを導く」
少女は、突如として静かに語り始めた。しかし、彼女の言葉は、リスナーの心に深く突き刺さり、からめとっていく。
「私の言葉に耳を傾けなさい。そうすれば、あなたたちは救われる」
『88888』
『よくわからないけど、ついていくよ!』
『はあ……?』
『どうしちゃったの? ――ちゃん』
少女は、不敵な笑みを浮かべ、配信を切った。
『え、配信終わり?』
『おつかれ~』
『¥1000 ちょっとだったけど、こんなことになって不安だったから声聞けて良かった』
突如として切られた配信には、彼女のリスナーだけが取り残されていた。
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