Scarlet
ノースはベッドに腰掛けると、もらった水を思いっきり口に流し込んだ。ノエルはそんな少女を困ったように見下ろしている。
ノエルと廊下でぶつかったあと事の顛末を話すと、彼の部屋に通された。自分の部屋よりも小さかったが、よく整えられていて居心地が良い。少女は気持ちを緩め、彼に話しかける。
「本当にむかつく!
何よ、怖い話で身を引かせようとするなんて。
そんなに私は子供じゃないわ!!」
ノエルは少女のむくれた顔に微かに笑うと、隣に腰掛けた。ベッドが少し弾んで、ノースはノエルの方を見やる。仕事着を着崩し、ブラウスだけのラフな格好の彼がそこにいた。胸元の牡丹はふたつ目まで外されていて、白い肌が闇夜に浮いている。今になって迂闊だと感じた。男性と部屋で二人きりなんて───。
「ノエルさんはアンリさんとどんな関係なんですか?」
「どんなって…ただの召使いですよ」
「隠さないで話して下さいませ!」
ノエルがアンリに特別な想いを抱いているのは、なんとなく感じ取っていた。アンリを見つめる彼の瞳は、普段とは違う色を帯びている。
「なんかこう…友情というか愛情というか…
言葉では表せない特別な気持ちがあるんじゃないかなって」
返答はしばらく返ってこなかった。
「…彼とは昔から付き合いがあるだけですよ」
「そうなの?
もし良かったら教えてくださらない?
アンリ様に近づけるかもしれないわ」
やっぱり。絶対そうだと思った。あの雰囲気は普通じゃない。古くから付き合いのある者の間に生まれる、特別な空気感だった。
「ノース様は、どうしてアンリ様と結婚されたいのですか?」
「そ、それは、国のためです!」
アムネジアは、今一番栄えている国だ。それに比べ他国は少しずつ、しかし確実に衰えの道を辿っていた。国の存続を保つためには、この国の王子と結婚するより他ない。ノースは並々ならぬ思いで、この国に来ていた。
「そ、それにこのままめそめそと自国に引き返しては、王女として不甲斐ありませんから!」
少女がそう捲し立てると、ノエルは「そう」と掠れた声で呟く。その声のトーンがわずかに低くなっていることに、少女は気付かない。
「長居しすぎました。
私は部屋に帰らさせていただきますわ」
そう言ってベッドを立つと扉に向かう。他人に話してだいぶすっきりした。彼の安易な言葉に惑わされなければ良いだけ。明日までに気持ちを整えれば良いだけだ。そう言い聞かせて、取手に手を伸ばす。
しかしその手は、虚しく宙を切った。
「え?」
視界が霞む。体の異変に気付いた少女はパニックに陥る。
毒だ。誰かが毒を盛ったんだ。
「帰る必要なんてないよ」
ベッドに腰掛けていた青年は、待っていたかのように笑った。形の良い真っ赤な唇が、美しく歪んでいくのを見る。全身が震え自制の効かない少女に近付くと、彼は嘲るような笑みを浮かべた。
「…相変わらず瑞綺は優しいな、こんな馬鹿にも慈悲の手を差し伸べるなんて」
瑞綺───誰のことだろう。そんなことはどうでも良いか。今は、何より。
「見てないで、早く、助けて……!!」
「助けないよ、このまま自国に戻りたくないんだろ?」
軽く突かれただけでバランスを失う。震えはどんどん大きくなって、息が続かなくなる。
「じゃあ、死んでもらわないと」
血のように紅い瞳が爛々と燃えていた。その色は狂気を帯びている。少女は彼を見つめながら、ぼんやりと考えた。自分の読みに間違いはなかった。彼はアンリに対して特別な感情を抱いている。でもそれは、友情や愛情などではない。
狂愛だ。
「お願……い………助け……て……助けてよぉおおおおおお!!!」
汗と涙で視界がぐしゃぐしゃに歪む。彼は乾いた笑みを浮かべたまま、そこに立っていた。
息が詰まる。呼吸ができなくなる。薄れていく意識に中で、空中にぶら下がった椅子が揺れていた。
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