Rose
グレースには、気になる人がいた。ノースお嬢様の従者としてアムネジアへ足を踏み入れたその日、見たこともないほど美しい青年に出会った。艶やかな黒髪。宝石のような紅い瞳。この国の王子に仕えるその使用人の名前は、ノエルといった。
彼からは、いつも上品な薔薇の香りがした。香水では決して出すことのできないその香りに気を取られていると、偶然目があって話しかけられた。彼は香水は付けていないと話した。趣味で薔薇を育てていて、そのときに付いた香りかもしれない、と。そこからの話は詳しく覚えていない。彼と会話を続けたくて夢中になっていた。ノエルはその気配を感じ取ったのか、必死になるグレースに笑いかけて囁いた。「良ければご案内いたしましょうか?」と。
そうして今に至る。グレースは高鳴る胸の導くままに、ノエルの後ろを歩いていた。
「ここに人を通すのは初めてです」
初めて、という言葉に心が躍る。彼が心を許してくれたと言っているようで、こそばゆい。薔薇の花が咲き乱れる温室に足を踏み入れると、柔らかい香りが鼻をくすぐった。そこには何十もの赤い薔薇が咲き乱れる美しい光景が広がっていた。
「…赤い薔薇がお好きなんですか?」
「えぇ、赤が好きなんです」
グレースは薔薇を眺める。どれも形が整えられた美しい薔薇だった。しかし何よりも目を惹いたのは、その色だ。血の通ったような美しい紅は、今まで見たことがなかった。
「…スカーレット家はその名の通り、赤い薔薇が家の象徴なんです」
ノースお嬢様も、赤い薔薇をよく好む。何本か持って帰ってあげたい。そう思って彼を見上げると、優しく微笑まれた。
「申し訳ありませんが、お渡しすることはできません」
「…そ、そうですよね……すみません……」
慌てて謝ると、彼は微かに息を漏らす。
「しかし、ノース様がアンリ様とご結婚なさった暁には、選りすぐりの薔薇でブーケをお作りいたします」
グレースはその一言で顔を上げる。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
ノエルは無邪気な声に微笑むと、温室の外へ彼女を案内し丁重に鍵を掛けた。
グレースは夢のような浮き足だった気持ちで、彼と肩を並べる。赤い薔薇は消えていく少女の背中を、いつまでも哀しげに見つめていた。
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