Lipsticks
起き上がると、涙を拭った。私のものではない。彼のものだ。近くて遠い彼の心音が、間近に聞こえた。酷く乱れた、ぐちゃぐちゃになった心の波。知らないうちに泣いて、知らないうちに嘲笑を溢して、無理に笑って離れていく。抱きついて「苦しい」と喘いでみては、次の日には元に戻って静かに微笑んでいる。私には触れられない、彼の心。
溢れたものばかりを撒き散らして、彼は帰っていく。私はそれを拾い上げて、そっと胸の内に積み上げていた。それは酷く軽くて、でもずっしりとした感触があった。ぶくぶくと膨らんだそれは、胸にしまっておくには高張る代物。本来ならば吐き出されるべき言葉、感情。私の恋心は、自分の愛と、彼の「忘れ去られた感情」を積み上げてできた、少し歪な形をしていた。服を着替えようと思った。今日の彼からは、酷く甘い女の香りがした。
立ちあがろうとしてふらつく。全身が痛い。でも一番、心が痛かった。今日はたくさん落とし物を拾ってしまったから……。
またその場に蹲み込んだ。彼に聞こえないよう、嗚咽を堪える。彼の落とし物はチクチクと痛んで、心を毳立たせる。あと幾つの感情を、彼は持っていて、しまい込んでいて、笑っているのだろうか。近くて、遠い。優しくて、苦い。その感覚が、自分を苦しめる。惨めで、哀しい時間が募る。誰にも聞かせないのだろう。私にさえ、話してくれない。明日にはまた笑顔で、仕事に出掛けていく。無力な自分が嫌だった。怖くて震えていた。彼の心が壊れたら、どうなってしまうのだろう。私は彼を、嫌いになってしまうだろうか。
しばらく涙をこぼして、私は立ち上がる。入り乱れた靴を並べ直し、息を吐く。床に溢れた雫はそのままでも良いだろう。夏の暑さがきっと、心ゆくまで貪ってくれるだろうから。
鏡の前で笑顔を作ってみる。赤く泣き腫らした瞼を隠すために、いつもより濃くファンデーションを重ねた。
強がりな貴方に合う、強がりな女になるために。
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