夕焼けの月

@akatsuji

夕焼けの月

 幼馴染の男女ほど面倒なものはない。それが17年生きた私の教訓である。ただ生まれた年が同じ、あるいは近かく、尚且つ家が近所というだけなのに何かにつけて組み合され、比較される。同性でもいつの間にかコンビの様に扱われるのに、性別が違うだけでそこから更に『トクベツ』な関係を疑われてしまう。もしくは既にその関係にあると認知されてしまう。本人たちの意思とは関係なしに。

「よ!」

 そんなことを考えていたら前から声をかけられた。彼の名前は柊春一。通称『ハル』。同じ高校に通う同級生。歳も私と同じで家も近所。つまり幼馴染という奴だ。私より頭一つ分高い背。野球部らしく日焼けした肌に短く切りそろえられた髪。幼稚園の頃から、もう10年以上もその顔を見ていて見飽きているはずのに、不思議なくらい見飽きることもなかった。

「おはようハル」

「おはよう。アキ」

 アキ。私の名前。フルネームは夏目秋子。生まれたのが9月だからと付けられた何とも安直な古臭い名前。両親は『秋に色づく紅葉の様に明るい子に育ってほしいから』と後付けの様な理由を言っていたけど、それなら紅葉と付けてくれてもよかったはずだ。ハルも同じような理由だと言っていた。

 幼稚園の頃から、私たちは一緒だった。家が近所なことと両親同士が仲が良いこともあって、夏休みはよく家族ぐるみで海や山に行ったり、一緒に初詣に行ったこともある。最近は色々と事情が重なって行かなくなったけど、私たちの仲は変わらずだった。

「今日の数学の小テストの予習やった?」

「一応。そっちは?」

「ノート見せて」

「だめ」

 私たちの通う学校はスポーツ推薦校であると同時に地元ではそれなりの進学校で名が通っている。だから定期テストの他に小テストもあり、赤点を取ったら1週間の部活動停止が言い渡される。そうなると部活動をしている生徒は部活に支障が出るから必死で勉強する。ハルはいつも赤点ギリギリでひいコラ言っている。かく言う陸上部である私も、駅伝のメンバーに入るためには赤点を回避しなければいけないけど。

「頼むよ~」

「坂井先生は課題の中から出すんだからそっち見直してよ」

「だってアキのノート見やすいんだもん」

 子供っぽく言ってくるハル。彼は時々小学生の様に頼みごとをする。まあそこが可愛らしい一面ではあるし、頼られて満更でもない私がいるのも事実だ。

「しょうがないわね」

「やった!サンキュー!」

 笑った顔は昔から変わらない、あどけなさがある。体格はがっしりとしているのにその笑顔の可愛さというギャップに心が揺さぶられる。この笑顔を見れるならノートぐらいいいかと、現金な考えに我ながら苦笑する。そう、私はハルが好きなんだ。どうしようもないくらい。

「けど少しだけよ。後は自分でやんな」

「わかってるよ」

 そうしてお互い朝練のために連れだって学校に行く。ハルの事は好きだ。けれど今の関係を壊したくはない。ハルも私の気持ちに気が付いた様子はないからまだこのままでいい。この愛おしくももどかしく、それでいて心地よい関係をもう少し続けていたい。

 だけど変化は必ず訪れるのだ。時の流れが変えられないように。この時の私は、そんな当たり前の事に気づかないくらい、どうしようもなかったのだ。


「柊先輩好きです! 付き合って下さい!」

差し出された手を見て、ハルは心底驚いたようだった。見ていたわたしが驚いたのだ。本人は当然私以上に驚いただろう。

見ていると言っても、ハルの近くに堂々と居るわけではない。第一、それでは彼女も告白できない。私が居るのは体育倉庫の中。ハルが告白されたのはその扉の前なのだ。では何故外の様子が分かるのかと言うと、何とない、扉を少し開けてその隙間から覗き見ているのだ。

練習で使ったハードルを片付けていたら、人の声が聞こえて、扉を開けて確認したら告白の場面に居合わせた、と言った具合だ。

それにしても! 私は告白した女の子をマジマジと観察した。腰を少し曲げていて前髪がかかっているから顔はよく分からない。けど着けている髪止めには見覚えがあった。たしか、野球部の新人マネージャーの娘だ。いつだったかハルと話しているのを見た記憶がある。中々に可愛らしい娘だったはずだ。

ハルも隅に置けないなと、私は他人事のように見ていた。

「えっと……気持ちは嬉いんだけど……」

ハルはどう答えたら良いか分からず戸惑っていた。それはそうだ。今まで告白という告白は受けた事がなく、女友達すら私以外は殆どいない。おおよそ恋愛小説のような青春とは縁遠い生活を送ってきていたのだ。どうせ大丈夫だ。と私はなんの根拠もない安心感を抱いていた。

「その……付き合うとか、俺、よく分からなくて……」

そら見たことか。優しいハルの事だ。どうすれば相手が傷つかずに断れるかを考えているに違いない。

「だから……友達からで良いならーー」

「えっ!?」

思わず叫んでしまって慌てて口を塞いで扉の陰に隠れた。気配からして二人は声の主(つまり私)をキョロキョロと探しているようだ。

「ニャー」

と猫の鳴き声がした。多分、学校にたまに現れる野良猫だ。二人は猫に気がついてホッとしているようだった。

「えっと……友達からでも?」

「は、はい!」

女の子の声の、なんと喜びに満ちたことだろうか。まだ交際が確定したわけでもないのに、彼女の中では既に付き合っている判定なのか。彼女はハルの腕を取ると、そのまま倉庫から離れていった。間際にチラリとこちらを見た気がするが、多分気のせいだろう。

「そんな……ハルが……」

私は暫くその場から動けないでいた。正直に言えば、ショックを受けていた。ハルに女っ気がないのに油断して、今のポジションに胡座をかいて、周りがどうするかなんて考えてもみなかった。

ハルもずっと変わらないと思っていた。けど、ハルの身長が一気に伸びる様に、私の胸が少しずつ膨らむ様に、ハルの心だって変わっていくということを、私はまったく想定していなかった。

「どうしよう……」

誰に聞かせるでもない私の疑問に、外の猫が「ニャー」と答えた。


「……なあ? 何かあった?」

「べっつにー?」

そんな言葉が意味のないことなど分かっている。現に私の頬はあからさまに膨れて「私は不機嫌です!」と主張していた。

いつもの帰り道。夕日が私たち『3人』の影を縦長に引き伸ばしている。

「柊先輩って練習がお休みの日は何をしてるんですか?」

プラス1人。私たちの下校メンバーに彼女、四季麗子が追加された。言うまでもなく、麗子はハルに告白した娘だ。彼女は早速と言わんばかりに私たちの帰宅に同行した。物怖じしないのか、彼女は(一応)初対面の私にも「麗子って呼んでください」と気さくに言ってきた。断る理由もないからそう従うことにした。

「分かった。じゃあ私もアキで良いよ」

「分かりました。アキ先輩」

笑顔の眩しい、本当に可愛らしい娘だ。顔だけではなく、スタイルも良い。膨らむ所は膨らみ、くびれる所はちゃんとくびれている。同性の私から見ても惚れ惚れするスタイルだ。走りすぎて胸まで引き締まってしまった私とは大違い。言い方は悪いが、如何にも男子受けする体型だ。校門を出る時も他の男子が尽く2度見していたから間違いない。

「うーん。ゲームとか漫画読んだりかなあ」

「そうなんですね。今度おすすめあったら教えてください」

清楚な見た目とは裏腹に、彼女は結構なオタクのようだった。カバンにぶら下げたキーホルダーも、今人気のアニメキャラクターで、彼女もアニメはもちろん原作漫画も全巻持っているという。

「アキ先輩って好きなアニメとかないんですか?」

ハルだけでなく、きちんと私にも話を振る。こういった気配りの良さもポイントが高い。

「私はあんまり見ないなー」

「そうなんですか? 結構見たら面白いですよ?」

ちょこんと首を傾げる仕種まで、小動物を思わせる。

「柊先輩も今度一緒に見ましょうよ」

そうやってさりげなくハルを誘う抜け目なさも持っている。つまりは、彼女は私が太刀打ちできないほど完璧な『彼女』なのだ。

「ダメよ麗子。ハルってば甘やかすとすぐ怠けちゃうんだから。少し厳しめにしないと」

「あ、じゃあ監督に言って練習量増やしてもらいましょうか?」

「それは勘弁してくれ!」

屈託なく笑い合う私たち。無理やり張り付けた笑顔の裏で、私の心は、段々と夕闇にしずむ太陽の様に、昏く沈んでいった。


それから暫くは3人で帰る日が続いたが、段々とそれも少なくなっていった。麗子がいない日、ハルがいない日があり、いつしか私1人の火が多くなった。

校門で待っていても先に帰るよう連絡があったり、逆に私が遅れてもハルは待ってくれなくなった。ハルの中から、私が薄れていった。

「ねえ、アキ? 柊君と何かあった?」

お昼休み。一緒にご飯を食べていたクラスメイトの娘が不意に聞いてきた。

「え? 別に? どうしたの?」

「だってアキ。最近柊君と登校してないし」

アキと一緒に帰らなくなって、私は一緒に登校するのも止めた。

「別に。ただあっちが今忙しいだけよ」

嘘。本当は私が行きたくないのだ。ハルの口から、彼女の話を聞きたくなくて。ハルがそんな事しないのは分かってる。けど、話題にしないのも何か露骨でおかしい。多分私から話をふってしまう。それが嫌だった。

「そう? なら良いけど。でも柊君、最近部活のマネージャーの娘と良い感じらしいよ?」

「そうなんだ」

知ってる。とは言えず曖昧な返事をする。

「アキ大丈夫なの?」

「何が?」

「取られちゃうよ。柊君」

「元々の私のじゃないわよ」

思ってもないこと。ハルは確かに誰のものでもない。けど、彼の隣は私の居場所だった。そこは私のだけのもののはずだった。

「ま、ようやくハルも幼馴染み離れできるってもんよ」

「何よそれ?」

周りから弾けるような笑いが上がる。いつもは何とも思わないその姦しい声が、今の私には痛いほど響いた。


それからも、ハルとは以前とは違った微妙な距離感を保った。顔を合わせれば話はするし、タイミングが合えば一緒に帰る。けど前みたいに登校することも、休みの日に遊びに行くこともなくなった。幼馴染みから顔見知りに格下げしたのだ。

けど、これで良い。時代は変化するもの。変化は痛みを伴うもの。ハルの変化を私が阻む権利はないし私も変わらなくちゃいけない。そう言い聞かせてきた。

「あ……」

ある日の帰り、前の晩から降り始めた雨がザアザアと飛沫を作る中、校門にハルがいた。傘をさして(当たり前だ)、雨のせいか表情も暗く見えた。

「どうした?」

努めて普段通りに話す。変な声が出ないか心配だったが、それは杞憂に終わった。

「一緒に行こうと思って」

「えー? 麗子に悪いよ?」

「……彼女は関係ないよ」

口を尖らせるハル。彼女と何かあったのだろうか。取り敢えずは時間も押してるので一緒に歩き出すことにした。

「……最近調子どう?」

「うん。結構練習試合で打てるようになった。監督からもこのまま行けばレギュラー確実って言われた」

「良かったじゃん」

他愛のない会話。お互いの部活の近況だったりテストの成績だったり。今まで普通に会話していた内容が、何だか遠くに聞こえる。

ハルは麗子の話を避けているようだった。

「……麗子と何かあったの?」

「……」

触れないでおこうかとも思ったが、やっぱり気になってしまった。麗子の名前を聞いて、ハルは黙ってしまった。

「……やっぱり。何かあったのね?」

「彼女は関係ないって言っただろ」

そうは言っても、ハルの態度から麗子が無関係だとは思えなかった。

「話してみてよ。楽になるかもよ?」

「…………」

黙りを決め込むハル。昔からこうだ。話したくないことは貝のように口を閉ざして一向に話さない。どんだけその口を割らせるのに苦労したか。

「……良い娘よね。麗子って」

「……」

仕方がないので、切り口を変えてみる

「スタイル良くて、気立ても良くて気配り上手。おまけにサブカルにも詳しくて。私が男なら惚れちゃうわね」

露骨に顔を逸らす。やはり何かあったのだな。

「そんな彼女に気に入られたのよ? 何がそんなに不満なの?」

「別に。気に入られたわけじゃないよ」

ハルは不機嫌な姿勢を崩さない。これは重症だ。

「もうどうしたのよ? そんなんじゃ、せっかく彼女が--」

「もううんざりなんだよ!」

ハルが突然大声で叫んだ。近くの家の犬がその声を警戒してけたたましく吠えた。

「ハル?」

「どいつもこいつも! 皆言うんだ! 『良い彼女ができたな』、『羨ましい』、『大事にしろよ』」

ハルは吐き出すように捲し立てる。

「俺だって、最初は嬉しかったさ。付き合ってはなかったけど、可愛いし、話して楽しかったし」

やはり、ハルも彼女と居ることが嬉しかったのだ。改めて知って心が軋むような気がした。

「けどそれから周りの目が変わった。そのくらい俺にも分かる。他の連中が余所余所しくなっし、彼女以外のマネージャーも露骨に俺を避けるようになった」

「遠慮してただけでしょ?」

「そうかもだけど、なんか周りからの扱いが変わった。凄い違和感だったし、それに--」

「それに?」

ハルは傘の向こうから私を見た。

「アキと会えなくなった」

「え?」

「今まで一緒に居たのに、彼女が来てからアキが離れていくのが分かった。それが寂しかった」

「ハル……」

ハルもそうだったんだ。寂しかったんだ。私も寂しかったよ。

「それで気がついたんだ。俺……俺はアキのことが--」

「ストップ!」

私はハルの二の句を手で制した。今はその続きを聞けない。こんな気持ちで聞いてはいけない。

「アキ……?」

「お願い。今は言わないで」

精一杯我慢して、私はハルを止めた。ハルの気持ちを知った時、私はどんな顔をするのか分からない。笑っているのか、泣いているのか。嬉しい反面、自分の中の醜い感情が現れるようで辛かった。

「アキ……分かった」

察してくれたのか、ハルはそれ以上は言わなかった。それがありがたくも、申し訳なかった。

「ごめん」

「いいよ」

ハルは少し寂しそうに笑った。そうだよね。やっと胸の内を打ち明けられると思ったのにね。本当にごめんなさい。

「……雨、上がったね」

ハルが傘を外して上を見る。つられて私も傘を外した。いつの間にか雨は上がって、黄昏時の夕日がぽっかりと雲間から浮かんでいた。

「……いつか」

「うん?」

夕日で影の濃くなったハルの輪郭。今までぼやけて見えていたのは雨のせいだったのか。

「いつか、聞かせてくれる? アキの気持ち」

はにかんだようにハルは笑った。ついこの間まで見ていた懐かしい笑顔。

「どーしよっかなー?」

いたずらっ子ぽく言ってやる。散々やきもきさせられたのだ。このくらい良いだろう。

「何だよー」

またハルが口を尖らせる。けどさっきとは違う尖らせ方。私の知ってるハルの顔。

「ふふ。そうね、いつかね!」

いつか。夕日の様に刻々と変化する日常の中で、唯一変わらない私の気持ち。いつか解き放つその時まで、この気持ちを大事にしていこう。

夕日が沈んだら、月が登るのだ。母の様に、誰かを慈しみながら。






 

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